【ディランを追いかけて~ヘッケル】ボブ・ディラン2016年4月6日(水)オーチャード・ホール
ライヴレポートby菅野ヘッケル
Live Photo by 土居政則(4/4)
ボブ・ディラン
2016年4月6日、オーチャードホール
ほぼ同じセットリストのショーが、3日間連続で繰り広げられたというのに、一瞬たりとも注意力が反らされることはない。むしろ3日目の今夜は、あっという間に時が過ぎて行ってしまった感じがする。休憩時間に耳に入ってきた観客たちの会話も、「いいね」「すごかったな」などと絶賛する内容ばかりだ。過去の来日では、絶賛の声に混じって「何を歌ってるのかわからなかった」「ギターを弾いてくれ」と言ったやや冷めた感想も聞こえてきたが、今回はまったくない。少なくともぼくの耳には入ってこない。2016年のボブは本当にすごい。
ボブは、初日と同じ黒のカントリースーツに相変わらず帽子をかぶって登場した。昨年秋のヨーロッパ・ツアーでは帽子はかぶっていなかった。バンドはグレーのスーツを着用している。セットリストは昨夜と同じ。ステージ上に置かれたセットリストが書かれた紙を見ると、まるで演劇のように「ACT 1」「 ACT 2」と分けて表記されている。何か意図があるのだろう。もしかしたら、演劇やミュージカルのように、ショー全体でひとつのテーマをもたせているのかもしれない。なんとかして解明したいな。
ステージの明かりが落とされ、左手から懐中電灯に足元を照らされたスチュがアコースティックギターで「フォギー・デュー」の一節を弾きながら登場。やがてバンド・メンバーもぞろぞろと姿を現し、最後に出てきたボブがステージ中央のマイクの前に立つと1曲目「シングス・ハヴ・チェンジド」が始まる。日本ツアーから取り入れた、ミニブレークを組み込んだ新しいアレンジがじつに効果的だ。「シングス・ハヴ・チェンジド」は2013年のツアーからオープニング曲として歌い続けている。コーラス部分で繰り返し歌われる「人々は狂気に取り付かれ、時代はおかしなことになっている/ぼくは厳重に閉じ込められ、射程外にいる/これまでは気にしていたけれど、いろんなことが変わってしまった」という歌詞に、複雑な思いが浮かんでくるのはぼくだけだろうか? 3日連続だが今夜も声が出ている。むしろ一番いいかもしれない。
ヘビーな行進曲のアレンジで歌われ、「ドント・ルック・バック(振り返らない)」とい歌詞が有名な「シー・ビロングス・トゥ・ミー」に、年寄りのファンは感激するはずだ。(余談だが、会場に置かれていた映画『ドント・ルック・バック」上映会のチラシを見たぼくはあきれた。大きな書体でBOB DYRANと書かれている。なんという誤植だ)。第1期ピークと言われ多くの傑作を生み出した60年代の歌は、今回の日本ツアーではほとんど歌われないだろう。ボブの自作曲に限れば、この曲とアンコールで歌われる「風に吹かれて」だけだ。70年代の歌は「ブルーにこんがらがって」1曲。80年代の歌は1曲も歌われない。ぼくが大好きな「ブラインド・ウィリー・マクテル」を歌ってくれないかな。90年代の歌は、アンコールで歌われる「ラヴ・シック」1曲。あとは全て21世紀に入ってからの歌、特に『テンペスト』の収録曲5曲で占められている。
自作曲の間にグレート・アメリカン・ソングブックと称されるスタンダード曲が、8曲もちりばめられている。ボブがカヴァーするスタンダード曲のすべてをフランク・シナトラも歌っているので、シナトラ・カヴァー曲と指摘する声も一部にあるようだが、ボブはシナトラを意識しているわけではない。ロックが誕生する以前、50年代を中心にするプロの作詞作曲家たちがつくったすばらしい歌にスポットライトを当てて、みんなが忘れてしまわないように、伝えていきたいと思っているのだろう。ボブがスタンダード曲を歌うなんて考えられないという人がいるかもしれないが、ボブはジャンルにとらわれずに好きな歌、気に入った曲を何度もなんども繰り返し聞き、そこから自作の歌をつくりだしてきたのだ。
いまでまも、デビュー・アルバムの大半はブルース曲のカヴァーで占められていたし、カントリー・ミュージックから傑作『ナッシュヴィル・スカイライン』をつくったし、カヴァー曲を収録した『セルフ・ポートレイト』、トラディショナル曲を中心にした『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』『ワールド・ゴーン・ロング(奇妙な世界に)』といったアルバムを発表している。そして昨年、大きな影響を受けたものの、いままであまり歌ってこなかったスタンダード曲を集めた『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』を発表し、今年の5月には続編と言われる『フォールン・エンジェルズ』を発表する予定だ。
いまのボブは自作曲よりも、こうしたスタンダード曲を歌いたいと思っているのではないかとぼくは勝手に想像している。さらにもしかするとゴスペル・ミュージックの方向に興味を移していくのかもしれない。昨年秋のツアーを見たときに、観客の大半がスタンダード曲を歌うボブにスタンディング・オベーションで賛同の拍手を送っていたのを経験したぼくは、はたして日本公演ではどんな反応を見せるのかなと思っていたが、東京の3日間を見た限りでは、ヨーロッパのファンと同じように日本のファンも絶賛の声を上げている。仮に批判的な気持ちで会場に来た人がいてとしても、実際にライヴを聞けば、ボブの世界に引き込まれただろう。それほど、ボブはスタンダード曲の中に入り込み、心の底から、魂を込めて歌っている。カヴァーという表現はまちがいだ。
4曲入り来日記念盤が発売されているが、このうちすでに3曲を3日間で歌っている。この後の日本ツアーで「カム・レイン・オア・カム・シャイン」も歌うだろうし、まだだれも知らない『フォールン・エンジェルズ』の収録曲を日本で初めて歌ってくれるかもしれない。楽しみは増すばかりだ。
全て良かったが、3日目の第1幕で特にぼくの印象に残っているのは、ボブがノリノリの動きや表情を見せた「ペイ・イン・ブラッド」と歌のうまさが際立つ「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」だ。もちろん「メランコリー・ムード」に酔いしれたことは言うまでもない。ただ、あっけなく終わってしまうきがする。もっといつまでも続いてほしいと思う。
「アリガトウ。これからステージを離れるけど、すぐに戻ってくる」コンサートでボブが語りを入れるのは、休憩を告げることばだけだ。当然、余計なMCはない。メンバー紹介もない。
スチュの弾くエレクトリックギターのブルース曲が流れ、第2幕が始まる。毎回、スチュは同じフレーズを弾くのだが、なんという曲なのか知っている人がいれば教えてほしい。1曲目、バンジョーが特徴的な「ハイ・ウォーター」で始まった。後半も調子はいいようだ。ただ、「ホワイ・トライ・トォ・チェンジ・ミー・ナウ」では間奏の間ボブはピアノにもたれて休んでいた。当然疲れも感じるだろう。それでも74歳とは思えないエネルギーでショーは続く。それにしても、ボブは歌がうまい。リズム感、タイミング、音程、表現力のすばらしさに圧倒されっぱなしだ。すごい人だ。
「スピリット・オン・ザ・ウォーター」ではチャーリーのギターから見事なリフが飛び出した。ボブも初日のようなドレミファ・パターンではなく、チャーリーに応えるようにピアノを叩いた。「ピークを過ぎたと思っているのかな?」とボブが歌うと、「ノー!」と大歓声が帰ってきた。感動的な「スカーレット・タウン」、挑発的な「ロング・アンド・ウェイテッド・イヤーズ」、そして第2幕を締めくくる、ひらひらと風に揺られて地上に舞い落ちる「枯葉」。もちろんアンコールの2曲「風に吹かれて」「ラヴ・シック」は連日、甲乙つけがたい出来栄えだ。感動の一夜は終わった。ありがとう、ボブ。
(菅野ヘッケル)