バーシア
本名 バーバラ・スタニセワ・チェチェレフスカ

ポーランドのクラクフ近郊ヤヴォルズノ生まれ


アイスクリーム屋を営む両親の元、小さい頃から音楽の才能を見出され、ピアノと歌のレッスンを受けていました。

スティーヴィー・ワンダーやアレサ・フランクリンなどアメリカのソウル・ミュージックからプログレッシヴ・ロックまで(!)、当時の東欧の体制下では闇ルートでしか入手できなかった貴重なレコードを手に入れては擦り切れるほど聴いていたとか。

15歳の時に地元のタレント・コンテストのヴォーカル部門で優勝。アリバブキという女性バンドで活動するうち、とあるエージェントの橋渡しでアメリカはシカゴのポーランド系移民居住区のクラブで歌うため生まれて初めて渡米します。

1年半ほどシカゴのクラブで活動をした後、’81年にイギリスはロンドンへ移り、コマーシャル・ジングルの仕事などをするうちに将来の音楽パートナー、ダニー・ホワイトと出会います。

ダニーと二人でブロンズというファンク・バンドを結成した後、元ブルー・ロンド・ア・ラ・タークのマーク・ライリー率いるマット・ビアンコの結成に参加。

'85年、デビュー・アルバム『探偵物語』収録曲「ハーフ・ア・ミニット」でリード・ヴォーカルをとり、評判となります。

'87年、バーシアはダニーと共にマット・ビアンコを脱退。ソロ・アーティスト、バーシアとして当時のEPIC/UKからアルバム『タイム・アンド・タイド』でデビュー。

日本では早くからFMラジオで紹介され、流行に敏感な人々の間では早くからその名前は知られていましたが、アルバム収録曲「ニュー・デイ・フォー・ユー」がパルコのクリスマス・キャンペーン・ソングに起用され、バーシア本人も出演してポーランド語を話すCMで一気に人気を博し、東京・渋谷のクラブ・クアトロのこけら落とし公演が初来日公演となりました。

'90年、セカンド・アルバム『ロンドン・ワルシャワ・ニューヨーク』発表。ファースト・シングル「ベイビー・ユーアー・マイン」に続くセカンド・シングル「クルージング・フォー・ブルージング」はソニーS-VHSのCMソングにも起用され、同年の来日公演は東京NKホールなどを中心に各地で大盛況となりました。日本のみ「コペルニクス」をサード・シングルとしてカット。日本企画『ベスト・リミックス』発売。フォース・シングル「アンティル・ユー・カム・バック・トゥ・ミー」発売。ビデオ・クリップ集『ニュー・デイ』発売。フィフス・シングル「ブレイヴ・ニュー・ホープ」発売。

’94年、サード・アルバム『スウィーテスト・イルージョン』発表。ファースト・シングル「ドランク・オン・ラヴ」、(日本のみ)セカンド・シングル「サード・タイム・ラッキー」、サード・シングル「ヤーニング」発売。3回目の来日公演。

’95年、ライヴ・アルバム『バーシア・オン・ブロードウェイ』発表。

'96年、クリスマス・シングル「天使たちのクリスマス」発表。

’99年、スパイロ・ジャイラ『ゴット・ザ・マジック』ゲスト参加。葉加瀬太郎『DUETS』ゲスト参加。

'04年、ダニーと共にマット・ビアンコに復帰。ユニバーサルより新作『マッツ・ムード』発表。