Bird Bear Hare and Fish - 「Moon Boots」オフィシャルインタビュー
そこに何があろうと、そこで何が起ころうと、そこに誰がいようと、僕たちはここで音を鳴らす。そのしなやかで気骨ある佇まいが眩しい。そしてそこで鳴らされた音は、目の前の景色のようで、でも、どこにないようで、あるいは今の時代のようで過去の記憶のようで、いや、近未来の場面のようでもあり。Bird Bear Hare and Fish(以下BBHF)という名前で初めてリリースされたアルバム『Moon Boots』を聴いたとき、そんなイマジネイティヴな目眩に苛まれた。だがしかし、それはきっと実にシンプルでひたむきな意思で貫かれた、尾崎雄貴、尾崎和樹、DAIKI、佐孝仁司という音楽家4人の強靭な願いがあまりに眩しかったからなのだろう。
さて、ちょっと想像をしてみよう。あなたはこのBBHFを聴いて、次に何を聴きたくなるだろうか? あるいは、このアルバムの隣にどの作品を並べたくなるだろう? 私はボン・イヴェールだったりザ・ナショナルだったり、カニエ・ウエストだったりフランク・オーシャンだったりする。あるいは、ニュー・オーダーかもしれないしブライアン・イーノかもしれないし、ソニック・ユースでもヴェルヴェット・アンダーグラウンドでもいいかもしれない。こうした音楽の歴史の中で今なお息づくバンドたち、足跡を築いてきた音楽家たちの中に、さあ、今、BBHFのこのアルバムを置いてみたらどうだろう? Galileo Galilei時代から尾崎たちを追いかけてきた方も、今初めて彼らの存在に気づいたという方も、音楽の歴史という素晴らしくタフなファンタジーの中で彼らがまばゆく輝こうとしていることに気づくのではないかと思う。
昨年12月にリリースされた尾崎雄貴のソロ・プロジェクトであるwarbearのアルバム『warbear』は、フィル・イークがミックスを、グレッグ・カルビがマスタリングを手がけている。モデスト・マウスやフリート・フォクシーズといったアメリカの人気インディー・バンドを数多く手掛けてきたスタッフがサポートしていた。そういうところからも尾崎がUSインディー・ロック好きなリスナーであることは想像できたが、BBHFとして届けられたこのファースト・アルバム『Moon Boots』は、カリフォルニア拠点の3ピース・バンド、POP ETCのクリストファー・チュウがプロデュースをしている。その相性の良さは聴いてのとおり。きっと制作の現場では志を同じくしたクリスと意気投合していたことが容易に想像つく。
北海道は札幌に暮らしている尾崎雄貴に電話インタビューをした。ここには音楽の歴史と向き合い、ひたむきにそこに関わり、なんとしてもその枝葉の一端になろうとする真摯な眼差しがある。このアルバムがロックかどうかなどどうでもいい。ロックなんて音楽の長い歴史の中のほんの一部でしかないし、きっと尾崎はそんなところに囚われていないはずだ。ただただ音楽であろうとする尾崎の言葉をぜひ一字一句逃さず読んでみてほしいと思う。
――アメリカのインディー・レーベルからリリースされても不思議ではない、音の分離がクリアで強度の高いギター・ロック・サウンドなのに驚きました。なのに、一方で楽曲そのものが伝える世界はすごく幻想的でありリリカルであり……その両方を兼ね備えた、タフで詩情豊かなファースト・アルバムですね。
尾崎雄貴「ありがとうございます。例えば誰かに“これはどういう曲が説明して”と言われても、今回のアルバムはなかなか説明しずらい曲ばかりなんですね。これは作った僕だけじゃなく、聴いてくれた方もきっと説明するのが難しいと思う。でも、僕がいいなと思う音楽自体、実はそうなんです。言葉で説明しにくい音楽が好きだし、そういう音楽をやりたいとずっと思っていた。自分たちが好きな音楽は……もちろんその時々に好きで聴いていた音楽がいっぱいありましたけど、どれもが実はそう。その言葉で説明できない音楽というものを、自分たちの手で作ることに僕は長く挑戦し続けてきたのかなと思います。それが今回のアルバムで一つ実現した感じですね」
――言葉で説明できない音楽……例えばこのアルバムを制作していた際にはどういう作品が視野に入っていたのですか?
尾崎「作り始めた頃、僕らフリートウッド・マックを聴いていたんです」
――へえ! いや、でも、英米ではMGMTやヴァンパイア・ウィークエンドといったバンドがフリートウッド・マックの曲をカヴァーをしたりもしていますしね。
尾崎「そうなんです。実は今回のアルバムのプロデュースをしてくれたPOP ETCのクリス(・チュウ)が本当にいろんな音楽に詳しくて。彼がアコギで弾いていた曲がよかったから“それ誰の曲ですか?”って聞いたらフリートウッド・マックだって言うんです。で、一緒に今制作をしてくれている50代くらいの音楽好きのおじさん(笑)……まあ、今のそういう若いバンドがフリートウッド・マックに影響受けてるんだよって教えてくれて。で、実際に聴いたら本当にいいんですよね。今回、ソングライティングにすごくヒントをもらえたバンドの一つです。曲を作ってアレンジするという作業に誇りを持てるようになったというか……そういう気持ちがスタジオでのレコーディングの意識にも影響を与えてくれたんだと思います。当たり前のこと言うようですけど、いい音で録って、面白いことをしたい、というところがいつも僕らの頭を支配しているんですけど、そういう点でもフリートウッド・マックのようなバンドの70年代の作品とかはすごく参考になりました。あと、ジェネシスのフィル・コリンズのレコーディング風景の映像とか……そういう動画って、今は割と簡単にサイトで観られるじゃないですか。それらを観ていると、今まで僕ら、2000年代の英米のインディー・ロックからの影響が強かったんですけど、今はもうそういうところからだけじゃなく、もっとルーツにあたる音楽にも素晴らしいものがあるんだと気づいて……それで刺激を受けることが増えました」
――日常的に音楽を聴く時間が増え、その振れ幅も広がったということ…つまりリスナーとしての側面の拡大が尾崎さんに新たなアングルを与えてくれた、と。
尾崎「そうですね。ゆっくりと音楽を聴いたり、時間をかけて曲を作る時間が持てたということがすごく大きかったと思います。制作のペースを自分たちで作れて考えられるようになったことはすごく大きな変化だったかなと感じますね」
――実際、今回のアルバムは尾崎さんご自身が所有するプライヴェート・スタジオである“わんわんスタジオ”と、芸森スタジオ……札幌でも郊外の、環境のいい場所にあるプロ・ユースのスタジオとで完成させたそうですね。音の強度の高さと、楽曲の持つ想像豊かな風合いとが絶妙に同居しているのも、二つのスタジオをうまく使い分けたからなのでしょうか。
尾崎「まさにそうだと思います。芸森スタジオでは音の強度が必要なパートを録音する時に使いました。でも、普段、パッと録音したい時には“わんスタ”で録って……で、少しそこで録音して、その後芸森に移って録音して、また“わんスタ”で録音して……という感じで行き来しながら作ったんです。そうすることで、おっしゃったような、強さと想像力みたいなものとの同居が可能になったのかもしれない。もちろん、そういう作業ができたのも今のこの札幌での生活環境があるからなんだと思いますね」
――尾崎さんと尾崎和樹さんは札幌在住、DAIKIさんと佐孝さんは東京だそうですね。そういう環境でも活動できるという確かな手応えも背中を押したわけですね。
尾崎「そうなんです。そもそも2016年10月の武道館公演を最後にGalileo Galileiの活動を終了させたあと、僕は他のメンバーと全然連絡をとらなくなっていたんです。それは僕だけじゃなく他のメンバーもそうで……でも、その活動終了後の空いた期間でそれぞれ自分のペースで音楽と向き合ったり旅行に行ったり…そうやって時間を過ごすことができたことはすごく大きかった。それぞれ自分のミュージシャンとしての立ち位置とか感覚とかをもう一回取り戻す時間になったんですね。僕は毎日の生活の中で曲は作っていたし、実際にどんどん曲ができていったし……それがソロ活動……warbearにつながっていったんです」
――でも、そうやってそれぞれの時間を過ごした後に始めたこのBBHF、弟の和樹さん、佐孝さん、そしてサポート・メンバーだったDAIKIさんというGalileo Galilei時代の仲間が揃うことになった。距離を置いた時間があったからこそまた新鮮な気持ちで音を出せるようになったということですか?
尾崎「本当にそう思います。僕と和樹は札幌で、和樹も“わんスタ”に通って一緒に録音をしてくれたりしてたけど、仁司(佐孝)とDAIKIくんは東京だった。それでも、また久しぶりにこの4人で音を出した時に、“あ、みんな成長したな”って思えたんです。その間ライヴをやっていたわけでもないのに、すごく大きな手応えがあったんですね。正直言って、最後の武道館公演で、僕らはこれからも何らかの形で音楽は続けていきます、とファンに伝えてはいたんですけど、この4人でまたやることになるとは思っていなかった。でも、仁司とDAIKIくんが札幌に遊びにきた時に、一緒にスタジオで音を出したらすごく手応えがあって……その時にすごくいい曲までできてしまったんです。しかも、Galileo Galileiとは全く違う音楽だった。それで、もう、このままやろうってことになって。それがBBHFなんです。やっぱり今思うと、Galileo Galileiという存在がみんなの音楽性の広がりや挑戦を縛っていたんだなって。それがなくなった時にみんな自由になれた。Galileo Galileiは中学……高校の頃の学生感覚でずっと続けてきたから、バンドが大きくなっていくにつれ、やりたいことと、求められることとのギャップにとてつもなく苦しんだこともあって。プレッシャーというより、少し淀んでいた部分もあったのかもしれないし、その淀みが諦めにつながっていたのかもしれないです。こういう新しいことはGalileo Galileiではできないね、やれないね、みたいなふうに思っていたのかな。だから、一度離れてまた音を出した時に、それまでと全然違う、でも新しいすごくいい曲ができたってことが嬉しかったし、それはGalileo Galileiをやめたから得られた次のステージなんだなって感じましたね」
――Galileo Galilei時代からメンバーそれぞれがプログラミングを担当したりシンセサイザーの導入を効果的に試してみたりするようなことをしていましたよね。このBBHFではキーボードや打ち込みを軸にしたサウンドの方向性がよりフォーカスされている印象もあります。
尾崎「あ、実際、warbearでソロとしてアルバムを出したあと、次にやるバンドでは、いいシンセサイザー弾ける人がいたらいいな、くらいに思っていたんですよ。でも、僕がやりたいことをそのまま再現してもらうっていうよりも、思わぬいい展開になっていくからこそバンドは面白いわけで、僕はやっぱりそういうことをバンドでやりたかった。そんなことを考えていた時にまたこの4人でやろうという手応えがあったんで、なんか、気がついたらこうなってたって感じですね」
――シンセとかプログラミングをフィーチュアした方向性ありきというより、自然と音楽性もこの4人で音を出しているうちにフォーカスされていったと。
尾崎「そうです。だから、さっき、4人で久々に音を出した時にいい曲ができたって話しましたけど、その時にできた曲、アルバムの中に入っている「ページ」なんですけど、それも、僕とDAIKIくんが“わんスタ”で、あーでもないこーでもないって感じで音を出していた時に“あ、これいいじゃん”って出来た曲なんですよ。そういう過程も新鮮だった。それまでって僕が用意したデモ曲をみんなで合わせていってたんですけど、「ページ」は最初の断片からDAIKIくんと作った曲。最初、この4人で、ニュー・オーダーみたいにシンセが使われてるけどそこにはメランコリックな情緒もちゃんとある曲をやれるようなバンドがいいね、みたいに話をしていたんですけど、そういう感覚を自然と共有できていたってことだと思うんです。日本でバンドっていうと、やっぱりまだまだギター・ロック・スタイルがすぐイメージされると思うんですけど、僕らは前からそこには違和感があったんです。少なくとも僕らにはシンセってギターやベースと同じというか、言ってみればアコースティック楽器のような感覚なんですね。シンセサイザーを“取り入れる”っていうより、アコギで弾き語るような感じでシンセサイザーで曲を“聴かせる”、みたいな意識があるんです」
――アルバムではリズムマシーンも使っていますが、新たな存在価値を与えるような使い方をしていますよね。
尾崎「そうなんです。ローランドのTR808を今回使っているんですけど、それはカニエ・ウエストのアルバム『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』が大好きで、そこに影響されたことが大きくて。プロデューサーのクリスも808だけで録ったというカニエ・ウエストのアルバム『808s & Heartbreak』を聴かせてくれたんです。使う楽器の幅を狭めることによってアルバムの色が出るって方向性もあるよって。たぶん、そういう感覚を今度のこのメンバーで自然と共有できていたんじゃないかなって思いますね。実際、DAIKIくんはディアンジェロとかも大好きで。オクターヴで聴かせるギターとかを彼はレコーディング後半から取り入れたりもしたんですけど、そういうのもいろんな音楽を聴いたり共有したりしているうちに本当に自然とレコーディングでトライできるようになっていたんですよね。制作しながら何かを学んだり発見したり……僕らはそういうタイプのミュージシャンなんだと思います。だから、当初の予定とは全然違う仕上がりになっていったりするんですよね(笑)」
――使う予定のなかった楽器をスタジオで急にとりいれてみたりするようなこともまったく厭わない、と。
尾崎「そうです。「夏の光」って曲の後半にはピアノが入っているんですけど札幌のピアノ奏者の方に弾いてもらったんです。あれは、ブルース・ホーンズビーのようなピアノがほしいってことになって、最初は和樹に頼んだんですけど、難しいフレーズだったので弾けないってことになって(笑)。それでちゃんとしたプレイヤーの方に弾いてもらったんです。でも、その時はその場でセッションしてもらうような感覚でした。フレーズも決めつけすぎずに、自由にやってもらいたくて。そういうこともGalileo Galilei時代にはできなかったんです。今、そういう意味では本当に自由に音楽に向き合えてるな、自由に音を作れているなって感じますね」
――そうした自由で創造的な環境によって、今、このBBHFはどういうヴィジョンのもとに活動するバンドとして誕生したと考えますか?
尾崎「今回のアルバムのジャケットのアートワークが割と象徴的なんですけど、僕ら、レトロ・フューチャーの世界観が好きなんです。レトロ・フューチャーって過去であり未来であり現在でもありますよね。すべてがそこにある。僕らも音楽を人生の生業にし始めて、曲を作って演奏することで、過去を感じ今を感じ未来を感じているんです。その時間の流れをキャッチしたいというか、その時間の流れの中にいたいと思うんです。つまり、過去の音楽も現在の音楽も未来の音楽も繋げていけるような。実際、僕が好きな海外のバンド……ザ・ナショナルも、アーケイド・ファイアも、モデスト・マウスも、ザ・シンズも、マイ・モーニング・ジャケットも……みんなに共通しているのは音楽の歴史の時間軸の中にいるというか、1本の音楽という歴史ある木の中にいる感じがするんですね。葉っぱであり根っこであり……その中にしっかり息づいているバンドなんですよ。生きているんです。例えば、LCDサウンドシステムのメロディの中に意外にもブルーズのコード進行があったりするじゃないですか。レトロ・フューチャーってそういう意味なんです。しかも、このアルバムのジャケットは森が舞台。そこには思想性も実はあって。音楽の歴史の中に僕らもいたいけど、それは音楽が生きている星の中の生き物でいたいってことでもあるんです。宇宙人じゃイヤだと。音楽を知れば知るほど、自分はその星の中でしっかり根を下ろして生きていたいと思うんです。このバンド名に動物の名前を入れているのも、地球上の生き物でいたいってことの表れなんですよ」
――地球という星の中にある音楽の歴史の連鎖の中に自分たちもいたいし、そういう存在として聴かれたいということですね。
尾崎「はい。その一部でありたいと思っています。僕らは大きな会場でやりたいとか、売れたいとか、そういう考えでスタートしたバンドじゃない。音楽をやることで生きてるってことを心から思えるからこそ、その歴史の一部になりたいですね。もっと言ってしまえば、音楽そのものでありたい。音楽だよねって思われるバンドでありたい。BBHFはそういうシンプルな願いのもとにいるバンドなんです」
解説:岡村 詩野
■2018/09/05 Release 1st Album『Moon Boots』
※アナログ盤のみ 9月26日(水) 発売
[収録曲]
Disc 1
1. ウクライナ 2. ライカ 3. ダッシュボード 4. レプリカント 5. Hearts 6. 夏の光
7. ページ 8. Wake Up 9. Different 10. 骨の音 11. 次の火 12. Work
Disc 2 (初回生産限定盤のみ)
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