アル・クーパー

 アル・クーパー(本名アラン・ピーター・クーパーシュミット、1944年2月5日生)は、ソロ・アーティストとしてのキャリアは地味ながら、1960年代から80年代のロック・シーンにおいて、ソングライター、ミュージシャン、そしてプロデューサーなど多方面にわたる活躍でロック界に多大なる貢献を行ったことで知られ、未だに幅広く英米のミュージシャンや音楽業界関係者からのリスペクトを集める、ロック界のレジェンドの一人。ここ日本では90年代に盛り上がった渋谷系ブームや「フリー・ソウル」ムーブメントの際、1973年のアルバム『赤心の歌(Naked Songs)』からの「ジョリー(Jolie)」が人気を集めたため、彼のシンガーソングライター的側面だけが注目されがちだが、ボブ・ディランの代表曲「Like A Rolling Stone」(1965)での有名なハモンド・オルガンの演奏をはじめ数々のアーティスト作品への客演など、一流のスタジオ・ミュージシャンとしても有名。更に、60年代後半に「ブラス・ロック」という新しいジャンルを確立したバンド、ブラッド・スウェット&ティアーズの創設者であり、70年代にはサザン・ロックの強力バンド、レーナード・スキナードを見出して彼らの初期作品をプロデュースしてブレイクさせるなど、一流のスターメイカー、サウンドメイカーとしても大きな実績を残している。

NYブルックリンのユダヤ系の家庭に生まれ育ったアルは、NYという土地柄もあってか音楽業界との関わりは早く、14歳の頃にはフォー・シーズンズの主要メンバーとして有名なボブ・ゴーディオが在籍したロックンロール・バンド、ザ・ロイヤル・ティーンズのギタリストとしてキャリアのスタートを切っている。そしてまだティーンエイジャーの頃に友人2人とソングライティング・チームを組んでNYのティンパン・アレーで作曲家としても活動を開始、1965年にはゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「恋のダイアモンド・リング(This Diamond Ring)」の全米ナンバーワン・ヒットで、早くも作曲家としての成功を収めている。

この年、ボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」での印象的なハモンド・オルガンの客演で一気にシーンの注目を集めたアルのミュージシャンとしてのキャリアは一気に花開く。ディランが初めて電気楽器を使用して従来のフォーク・ファンにショックを与えた、この年の伝説のニューポート・フォーク・フェスティバルでのライブのバックでハモンド・オルガンを演奏していたのもアルだ。一方その頃、アルは自らのバンド、ブルース・プロジェクトを経て、ロックとホーンセクションを融合させた「ブラス・ロック」のアイデアを持つミュージシャン達と初期のブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)を結成。リード・ボーカリストとしてデビュー・アルバム『子供は人類の父である(Child Is Father To The Man)』(1968年全米47位)を録音したが、メンバーとの意見の対立でリリース後に脱退、その後全米ナンバーワン・アルバム2枚と「You’ve Made Me So Very Happy」(1969年全米2位)など大ヒットを記録したBS&Tの成功を共にすることはなかった。

BS&T脱退後、コロンビア・レーベルのA&R担当として働いていたアルは、以前ディランのセッションで出会い意気投合したギタリストのマイク・ブルームフィールドに声をかけ、当時解散したばかりのバッファロー・スプリングフィールドにいたスティーヴン・スティルスを加えた3人でコロンビアのスタジオで録音したブルース・ロックや、ディラン、ドノヴァンらの作品のカバーのジャム・セッションを『スーパー・セッション(Super Session)』(1968)としてリリース。これが全米トップ20にチャートインされる大ヒットとなり、改めてミュージシャン、アル・クーパーのシーンでの評価が一気に上昇。またこのアルバムの成功で、後のブラインド・フェイスやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングなど、有名ミュージシャン達による「スーパーバンド」による作品のリリースが70年代初期にかけて相次ぎ、『スーパー・セッション』はそれらの先駆的作品としてシーンで広く記憶されることになる。

またこの60年代後半から70年代前半にかけては、1969年のデビュー・アルバム『アイ・スタンド・アローン(I Stand Alone)』をはじめとする、ソウルやブルース、カントリーやロックなど多様な音楽性を持つアル自身のソロ作品が相次いで発表された時期。日本で90年代に人気を集めた「ジョリー」を含む『赤心の歌』がリリースされたのもこの時期だ。同時にアルはこの時期スタジオ・ミュージシャンとしても精力的に活動し、ジミ・ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド(Electric Ladyland)』(1968)でのピアノや、ローリング・ストーンズの『レット・イット・ブリード(Let It Bleed)』(1969)収録の名曲「無情の世界(You Can’t Always Get What You Want)」でのオルガンとフレンチホルンなど、ロックファンにはお馴染みの数々の名演で存在感を放っていた。

そんなアルは1972年にアトランタに拠点を移し、「Sounds Of The South」というレコード会社を設立。現地で見出して契約したのが、後に70年代のサザン・ロック・シーンの重要バンドの一つに成長するレーナード・スキナードだった。アルはデビュー・アルバム『レーナード・スキナード(Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd)』(1973)から『セカンド・ヘルピング(Second Helping)』(1974)、『ロック魂(Nuthin’ Fancy)』(1975)までの初期3作のプロデュースと、これらのアルバムにミュージシャンとしても参加、彼らのブレイクに大きな役割を果たした。アルはこの時期、シアトリカルなポップ・ロック・バンド、ザ・チューブスのデビューアルバム(1975)もプロデュースするなど、アーティスト発掘とプロデュースの分野でも活躍の範囲を広げていたのだ。

プロデューサー業が一段落したアルは4年ぶりのソロアルバム『倒錯の世界(Act Like Nothing’s Wrong)』(1977)をリリースするも、皮肉にも他のソロアルバム同様商業的な成功にはならず。アルはその後70年代後半から80年代を通じて専らディランやジョージ・ハリソン、リンゴ・スター、ロイ・オービソンらのヒット作アルバムのバックで一流のスタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアを続ける一方、テレビや映画のサウンドトラック音楽の仕事などその多彩な才能を発揮し続けた。90年代に入って、アルはブルース・プロジェクトやBS&Tのメンバーと25年ぶりに結集、リユニオン・ライブをNYの老舗ロック・ライブハウスであるボトム・ライン(2004年に廃業)で敢行した。この時演奏された数々のアルの過去の作品や、アルが関わった楽曲の演奏音源を収めたライブ盤『Soul Of A Man』(1995)は、アルのミュージシャンとしての健在ぶりをそれまでの彼のロック・シーンへの偉大な貢献を知るファンに知らせてくれた傑作アルバムとなった。

ブルーアイド・ソウルを歌う、ロック界を代表する伝説的なオルガン・プレイヤーとしてあのスティーヴ・ウィンウッドと並び称され、ディランやフー、ローリング・ストーンズやBS&T、更にはレーナード・スキナードといったロック史を彩る数々の名盤、ヒット作にミュージシャン、プロデューサー、楽曲共作者として参加してきたアル。一方自身のソロヒットはほとんど皆無であり、ソロのキャリアは地味なものだが、超一流のミュージシャンとして特に60〜80年代のロックシーンを影で支え続けてきたアルは、ロックの殿堂入りを果たすべきロック界のレジェンドであることは間違いない。2000年代にアル一流のソウル、ブルース、ルーツロック等多様な作風での滋味溢れたアルバムを2枚リリースした後、既に音楽活動から引退したといわれているアルだが、また忘れた頃に珠玉の作品を突然届けてくれるかもしれない。

 

ディスコグラフィ(カッコ内は原盤レーベル、- 以降は英米のチャート実績)

1.ソロおよび共演アルバム

1968年  『スーパー・セッション(Super Session)』(マイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスとの共演)(Columbia) – US 12位(ゴールド)

1969年  『アイ・スタンド・アローン(I Stand Alone)』(Columbia) – US 54位

『The Live Adventures Of Mike Bloomfield And Al Kooper』(ライブ盤、マイク・ブルームフィールドとの共演)(Columbia) – US 18位

              『孤独な世界(You Never Know Who Your Friends Are)』(Columbia) – US 125位

『クーパー・セッション(Kooper Session: Super Session, Vol. II)』(シャギー・オーティスとの共演)(Columbia)- US 182位

1970年  『イージー・ダズ・イット(Easy Does It)』(Columbia)- US 105位

              『真夜中の青春〜オリジナルサウンドトラック(The Landlord – Original Movie Picture Soundtrack)』(映画のサウンドトラック盤)(United Artists)

1971年  『紐育市(お前は女さ)(New York City (You’re A Woman))』(Columbia) – US 198位

1972年  『早すぎた自叙伝(A Possible Projection Of The Future / Childhood’s End)』 (Columbia) – US 200位

1973年  『赤心の歌(Naked Songs)』(Columbia)

1975年  『アルズ・ビッグ・ディール(Al’s Big Deal – Unclaimed Freight)』(ベスト盤)(Columbia)

1977年  『倒錯の世界(Act Like Nothing’s Wrong)』(United Artists) – US 182位

1982年  『チャンピオンシップ・レスリング(Championship Wrestling)』(ジェフ・バクスターとの共演)(Columbia)

1994年  『Rekooperation』(Music Masters Rock)

1995年  『Soul Of A Man』(ライブ盤)(Music Masters Rock)

2001年  『レア&ウェルダン:アル・クーパーの軌跡1964-2001(Rare And Well Done: The Greatest And Most Obscure Recordings 1964-2001)』(ベスト盤)(Columbia)

2003年  『フィルモア・イーストの奇蹟(Filmore East: The Lost Concert Tapes 12/13/68)』(ライブ盤、マイク・ブルームフィールドとの共演)(Legacy/ Columbia)

2005年  『ブラック・コーヒー(Black Coffee)』(Sony)

2008年  『ホワイト・チョコレート(White Chocolate)』(Sony)

 

2,主な参加作品

1965年    ボブ・ディラン『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』(ピアノ、オルガン)

1966年    ボブ・ディラン『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blonde)』(オルガン、ギター)

1967年    ザ・フー『セル・アウト(The Who Sell Out)』(オルガン)

1968年    ブラッド・スウェット&ティアーズ『子供は人類の父である(Child Is Father To The Man)』(オルガン、ピアノ、ボーカル)

                 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス『エレクトリック・レディランド(Electric Ladyland)』(ピアノ)

1969年   ザ・ローリング・ストーンズ『レット・イット・ブリード(Let It Bleed)』(ピアノ、フレンチホルン、オルガン)

1970年   ボブ・ディラン『セルフ・ポートレイト(Self Portrait)』(ギター、ホルン、キーボード)

ボブ・ディラン『新しい夜明け(New Morning)』(オルガン、ピアノ、エレキギター、フレンチホルン)

1971年   ザ・フー『フーズ・ネクスト(Who’s Next)』(ハモンド・オルガン)

ボー・ディドリー『アナザー・ディメンション(Another Dimension)』(キーボード、ギター)

リタ・クーリッジ『ナイス・フィーリン(Nice Feelin’)』(オルガン)

1972年   リタ・クーリッジ『ノット・フォー・セール(The Lady’s Not For Sale)』(リードギター)

1973年   ベティ・ライト『ハード・トゥ・ストップ(Hard To Stop)』(アレンジ、作曲、キーボード)

アトランタ・リズム・セクション『非情の壁(Back Up Against The Wall)』(シンセサイザー)

レーナード・スキナード『レーナード・スキナード(Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd)』(プロデューサー、エンジニア、ベース、メロトロン、オルガン、マンドリン、バックボーカル)

1974年   レーナード・スキナード『セカンド・ヘルピング(Second Helping)』(プロデューサー、ピアノ、バックボーカル)

ロジャー・マッギン『ピース・オン・ユー(Peace On You)』(アレンジ、ギター、ピアノ、クラヴィネット)

1975年   レーナード・スキナード『ロック魂(Nuthin’ Fancy)』(プロデューサー

チューブス『ザ・チューブス・ファースト(The Tubes)』(プロデューサー

1979年   レオ・セイヤー『気ままな人生(Here)』(オルガン、シンセサイザー、キーボード)

1981年   ジョージ・ハリスン『想いは果てなく〜母なるイングランド(Somewhere In England)』(キーボード、シンセサイザー)

リンゴ・スター『バラの香りを(Stop And Smell The Roses)』(ピアノ、エレキギター)

1985年   ボブ・ディラン『エンパイア・バーレスク(Empire Burlesque)』(リズムギター)

1986年   ボブ・ディラン『ノックト・アウト・ローデッド(Knocked Out Loaded)』(キーボード)

1989年   ロイ・オービソン『ミステリー・ガール(Mystery Girl)』(オルガン)

1990年   ボブ・ディラン『アンダー・ザ・レッド・スカイ(Under The Red Sky)』(ハモンド・オルガン、キーボード)

1996年   ニール・ダイアモンド『Tennessee Moon』(ハモンド・オルガン)

1998年   フィービ・スノウ『I Can’t Complain』(ハモンド・オルガン)

2000年   ダン・ペン『Blue Nite Lounge』(キーボード)

* USでは、アルバム・シングル共にゴールド=50万枚、プラチナ=100万枚(2x=200万枚)の売上によりRIAA(アメリカレコード協会)が認定。2022年4月現在。