世界に届けたいのは、「希望」であり「平穏」への思いなんですーーーリッカルド・ムーティ
いよいよ開催が迫るウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに向けての無観客記者会見・全記録。
いよいよ開催が迫るウィーン・フィルノニューイヤー・コンサート。コロナ禍の2021年は無観客という特別な形での公演となります。それについて、リハーサルを終えたリッカルド・ムーティを中心に、ウィーン・フィルの楽団長ダニエル・フロシャウアー、コンサートを生中継するオーストリア放送協会のアレクサンダー・ヴラベッツ、コンサートを開催するムジークフェラインのインテンダント、シュテファン・パウリーが記者会見を行いました。 記者会見も無人のムジークフェラインザールの舞台上で、オンラインで行われるという異例のもの。約30分にわたって、それぞれがこの特別なニューイヤー・コンサートについての思いを語っています。その全貌の日本語訳をお届けいたします。
動画はオーストリア放送協会内の以下のリンクで1月3日まで限定公開されています。 https://tvthek.orf.at/profile/Pressekonferenz-zum-Neujahrskonzert-der-Wiener-Philharmoniker-2021/13890008/Pressekonferenz-zum-Neujahrskonzert-der-Wiener-Philharmoniker/14076694
なおニューイヤー・コンサートのアルバム・デジタル配信は1月8日にスタート、国内盤CDは1月27日発売予定です。 https://www.sonymusic.co.jp/PR/new-years-concert/info/524656
また1月1日午後7時よりNHK Eテレで、午後7時15分よりNHKFMで生中継が予定されています。 https://www.sonymusic.co.jp/PR/new-years-concert/info/525496
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ウィーン・フィルによるニューイヤー・コンサート2021記者会見・全記録
開催日時 2020年12月29日午後1時30分
開催場所 ウィーン、ムジークフェラインザール舞台上
出席者
ダニエル・フロシャウアー(司会・ウィーン・フィル楽団長)
リッカルド・ムーティ(指揮者、ウィーン・フィル名誉団員)
アレクサンダー・ヴラベッツ(オーストリア放送協会[ORF]総局長)
シュテファン・パウリー(ウィーン・ムジークフェライン[ウィーン楽友協会]インテンダント)
◎フロシャウアー楽団長の挨拶(3分03秒)
(壇上の全員マスクを外す)
フロシャウアー (ドイツ語で)美しい黄金のムジークフェラインザールの舞台上から、心からのご挨拶を申し上げます。この会見は世界のメディアに向けて英語で行うことにいたします。(以下英語で)世界中のプレスの皆様、私たちのパートナーの皆様、美しい黄金のムジークフェラインザールの舞台上から、心からのご挨拶を申し上げます。私の左にはマエストロ・リッカルド・ムーティがいらっしゃいます。さらにその左側にはアレクサンダー・ヴラベッツさん、そして私の右側にはシュテファン・パウリーさん(ウィーン・ムジークフェライン[ウィーン楽友協会]インテンダント)が座っていらっしゃいます。申し遅れましたがヴラベッツさんはオーストリア放送協会[ORF]の総局長です。
マエストロ・ムーティは、私たちウィーン・フィルを50年以上にわたって指揮してくださっています。ウィーン・フィルは来シーズン全体を通じて、マエストロの80歳をお祝いするさまざまな演奏会を企画していますし、大変ありがたいことに、マエストロは今回の特別なニューイヤー・コンサートを指揮してくださいます。 皆さんの中には、私たちがお互いにこれほど近くに座り、マスクも外していることに疑問をお感じになる方も大勢いらっしゃるでしょう。ここ何週間にもわたって私たちは、ムジークフェラインのパウリーさん、そしてオーストリア放送のみなさんとコロナ対策を協議してきました。私たち演奏者は全員毎朝リハーサル前にPCR検査を行います。それが問題なければ検査済みのワッペンをもらって服に貼ります。ワッペンを貼っていなければムジークフェラインの建物には入れないのです。舞台裏では私たちは全員FFPマスク(ヨーロッパ統一規格に適合した防塵マスク)を二重につけています。PCR検査は受けていますが、マスクの着用も怠りません。いずれも全員が健康でニューイヤー・コンサートで演奏できるようにするためです。
2021年のニューイヤー・コンサートは全く特別なコンサートになります。無観客で開催します。私たちが世界に向けて発信したのは前向きなメッセージです。考えてみてください・・・もし私たちがここに座って、「ニューイヤー・コンサートは開催いたしません」と発言するとすれば、それは実に後ろ向きのメッセージになってしまうでしょう。つまり、ニューイヤー・コンサートを開催するために、私たちは万全を期し、何よりも健康を維持することに注意してきたのです。 マエストロ・ムーティとはすばらしいプログラムを演奏いたします。そこには過去のニューイヤー・コンサートでは一度も取り上げていない作曲家も含まれています。コムツァークの「バーデン娘」はその一例です。それから・・・ちょっとお待ちください・・・プログラムについては後ほど詳しく触れることにいたします。
ムーティ たくさんありますからね・・・憶えきれませんよ(笑)。
フロシャウアー 不思議なことです・・・人前でしゃべるのは緊張するものなのに、逆に誰もいないともっと緊張するものなんですね。妙な感じです。まあそれはともかく、まずはマエストロ・ムーティにこの特別な状況についてお話しいただきましょう。
◎指揮者ムーティの挨拶(3分43秒)
ムーティ ありがとう、ダニエル、それにここで席を共にしている友人二人にもお礼を言いましょう。実のところ、私にとって6回目となるニューイヤー・コンサートを指揮することが決まった時点で、このような状況になるなんて想像もしていませんでした。私の宿泊しているホテルにも人っ子一人いません。奇妙なことです。だから時折、自分がホラー映画の一場面にでもいるような感覚になるのです。ウィーンの街は全く空っぽなんですよ。これまで、ニューイヤー・コンサートを開催するか、それともしないか、何度も議論を重ねてきました。そして私たちが到達した結論はこうですーー音楽という文化や劇場を捨て去るわけにはいかない・・・このような感染状況にあっても、です。音楽は時に喜びに溢れ、時にノスタルジーや悲しみに満ちていますが、これは聴衆のみなさんへのプレゼントなのです。聴衆のみなさんは音楽を受け取って、それぞれに異なった反応をなさいます。例えば、ポルカ・シュネル(テンポの速いポルカ)は、飛行機あるいは列車が駅に到着するように、素早いテンポで進みます。私たちの演奏が情熱に溢れて終わるとーーーオーケストラもさきほどのリハーサルで素晴らしい演奏をしてくれましたよーーーコンサートでは、何らかの反応が欲しいものです。そうしたものは今回はありません。しかし私たちは、世界中の数多くの聴き手とつながっているのを十分に知っています。ですから私たちは1月1日のニューイヤー・コンサートで、美しい音楽をお届けするだけではないのです。「希望」をお届けしたいのです。イタリア語では「希望」のことを「La Speranzaラ・スペランツァ」と申します。私たちにはまさに「希望」が必要です。1月1日、ムジークフェラインに音楽が鳴り響かなければ、それは墓場みたいなものです。これでは世界にとって最悪の、ネガティブなメッセージになってしまう。このホールには、何世紀にもわたって積み重ねられてきた音楽を信じる心が大切なのです・・・たとえホールの中に聴き手がいなかったとしても、です!世界中でこのコンサートを見てくださる皆さんに届けたいのは、「希望」であり「平穏」への思いなんです。
フロシャウアー マエストロ・ムーティ、ありがとうございました。よく問い合わせをいただくのは、ニューイヤー・コンサートがいったいどのくらいの国で放送されているかなのですが、今回は全世界90か国以上の方々が見てくださいますし、もちろんこれは私たちの長年のパートナーであるオーストリア放送協会とのつながりがなければ実現しないのです。私たちはちょうど2027年までニューイヤー・コンサートとサマーナイトコンサートの放送契約を延長したところです。ヴラベッツさん、この点について一言お願いします。
◎オーストリア放送協会総局長アレクサンダー・ヴラベッツのコメント(6分31秒)
ヴラベッツ ありがとう。その通り、オーストリア放送協会はウィーン・フィルと長年にわたるパートナー関係を築いて参りました。ニューイヤー・コンサートが初めてTV中継されたのは1959年のことで、今回この協力関係を2027年まで延長することになりました。70年にわたって続けられてきたこの協力関係の枠組み中でも、今回のコンサートは特別なものとなることでしょう。私たちオーストリア放送協会が制作するTVやラジオ、ストリーミングの中継を通じて、音楽の希望を受け取ってくださる視聴者のみなさんにお礼を申し上げたいです。これはとても強力なメッセージとなることでしょう。なぜなら、コンサートが開催できない国や地域が数多くあるからです。ウィーンから発信されるクオリティの高い音楽は、きっと世界中の音楽ファンに心に届くことでしょう。オーストリア放送協会は映像と音声でニューイヤー・コンサートをお届けするわけですが、それは地元オーストリア国内だけでなくEBU(ヨーロッパ放送連合)も含む全世界にお送りします。 マエストロ・ムーティの指揮でこのコンサートを放送するのは今回が6回目ですが、今年の収録を担当する映像監督は経験の深いヘニング・カステン氏です。氏はニューイヤー・コンサートのことも、このホールのことも熟知していて、今回は無観客ではありますが、氏の采配のもと、特別な映像に仕上がることは間違いありません。5.1サラウンド放送もいたします。40本にものぼるマイクロフォンとカステン氏が指示する14台のカメラで収録するのです。
毎年恒例の、演奏会の休憩時間に放映する映像作品も制作しています。今回はオーストリアの週の中で最も若いブルゲンラント州を特集したものです。ブルゲンランド州はちょうど100年前にオーストリアに加わった地域です。ここはオーストリアの中でも最も美しい場所であり、音楽も盛んです。ハイドンやリストもここで活躍しています。ウィーン・フィルの室内アンサンブルの演奏とともに、この州の特徴や文化の魅力をお伝えすることになるでしょう。
今回は無観客公演という特別な状況でもあるので、オーストリアのポエットオーデイオ(POET Audio)社と提携して、第1部と第2部の最後に世界中でこの放送をTVやラジオで聴いてくださっているみなさんの中から一部の方々に拍手でご参加いただけるようにいたします。聴き終わった演奏に対して、ウィーン・フィルとマエストロ・ムーティにみなさんから直接感謝を示していただける機会になるわけです。最初私たちは2000人くらいの方々がこのインタラクティブ・システムスにご参加いただけるかなと思っていました。ちょうどムジークフェラインザールに収容できるお客様の数と同じくらいだからです。しかし参加を希望される方々の数が私たちの想定をはるかに上回ったので、7000人に引き上げました。これが現状のオンライン・システムでは上限です。とにかく今となってはうまく進むことを願うのみです。以上が今回のニューイヤー・コンサートの特徴となるものです。
フロシャウアー ヴラベッツさん、ありがとうございます。ウィーン・フィルにとっては、このムジークフェラインザールがくつろげる我が家のようなものです。それゆえムジークフェラインのインテンダントであるパウリーさんがこの会見に参加してくださったのはとても光栄なことです。ようこそお越しくださいました。コメントをお願いいたします。
◎ムジークフェライン・インテンダント シュテファン・パウリーのコメント(6分04秒)
パウリー マエストロ・ムーティをはじめとするみなさま、ありがとうございます。ウィーン・フィルとウィーンのムジークフェラインは長い歴史を共に過ごしてきました。150年ほど前にウィーン・フィルがこのホールで初めて演奏したときから、私たちの提携が始まりました。それ以来お互いの関係は深まってきています。ウィーン・フィルは私どものムジーキフェラインザールで年間40回ほど演奏してくださいます。このホールはウィーン・フィルにとっての本拠地であり、ムジークフェラインにとっても、ウィーン・フィルの演奏会に関しては、最も重要なイベントという位置づけになっています。ニューイヤー・コンサートは私たちのお互いの協力関係を象徴するものです。オーケストラが演奏した音は、ホールの美しい内装と優れた音響と見事に融合するのです。私たちウィーン・ムジークフェラインは、ニューイヤー・コンサートという特別なイベントを特別に開催できることを何よりも光栄なことだと感じております。 このホールの歴史を紐解くには、マエストロ・ムーティ、あなたにもご参加いただかなければ。というのはここがあなたにとっても音楽活動の本拠地の一つであるからです。このホールにマエストロがデビューなさったのは約50年前、1974年のことで、元旦のニューイヤー・コンサート公演はここでの187回目のコンサートとなります。マエストロ・ムーティ、あなたはわたしたちムジークフェラインにとって、また私個人にとっても大切な方であり、ここで再び演奏してくださることに感謝しています。ニューイヤー・コンサートもたのしみにしています。
ムーティ ありがとうございます。
パウリー みなさんがおっしゃったように今回のニューイヤー・コンサートは無観客です。これは私たちにとってはとても悲しいことです、どのコンサートホールでも同じことですが、ここムジークフェラインザールも、舞台上の音楽家たちがお客様とライヴで音楽体験を共にする場所です。9月と10月はまだ私たちのこのホールでもコンサートを開催することができました。適切な感染予防を行ったため、いらしていただいた2万5千人以上のお客様でコロナに感染された方は一人もいらっしゃいませんでした。その後状況が変化し、(政府の方針で)コンサートにお客様を迎えすることができなくなりました。世界中のコンサートホールがこの同じ状況に直面しています。コンサートを開催することができず、無人のまま黙しているばかりです。 多くの音楽家も人前で演奏することさえできない状況が続いています。クラシック音楽界では、音楽家、マネージメント、コンサート主催者、出版社、メディアのいずれもこれまで誰も体験したことのないような危機に直面しています。芸術面での損失は大きく音楽にかかわる者すべての生活も危機に瀕し、ライヴの音楽が私たちの生活から消えてしまいました。ですからニューイヤー・コンサートがともかくも開催されるということは、私たちにとっては何よりも嬉しいことであり、希望の灯でもあります。何とか早いうちに音楽家が演奏できるようになり、再びコンサートホールにお客様をお迎えできるような状況に戻ってほしいものです。ウィーン・フィルのみなさんとの今に至る緊密な協力関係には感謝申し上げます。この黄金のホールの様子を世界中に届けてくださるオーストリア放送協会にもお礼を申し上げたいです。マエストロ・ムーティ、ウィーン・フィルのみなさま、そしてオーストリア放送協会の全ての方々に、素晴らしいニューイヤー・コンサートの実現と成功を期待して、声援を送りたいと思います。
フロシャウアー パウリーさん、ありがとうございます。私たちウィーン・フィルもコロナの3回目のロックダウンの最中に、このホールで演奏させていただけるのをとても名誉なことだと思っています。1回目のロックダウンでは演奏することができませんでしたからね。このホールから前向きの希望溢れる音楽のメッセージを発信できることが時機に適ったことであると確信しています。アメリカにいる友人の音楽家たちはいつ演奏が再開できるかさえ見通しがないままです。メトロポリタン歌劇場は来年の9月まで閉鎖されています。それゆえ、私たちウィーン・フィルは幸運であり、しかも演奏できるという名誉に対して責任も感じています。 それからみなさん、私たちのデスクを飾っている美しい花々にもぜひご注目ください。ムジークフェラインザール全体がこのような美しい花々で覆いつくされています。ウィーンの国立園芸協会が3万本の花を飾ってくださいました。そのお陰で何もなくても美しいホールがさらに美しくなっているのです。
◎登壇者への質問(13分06秒)
フロシャウアー ここで、ご出席いただいている皆様お一人お一人に、私たちの許に寄せられた質問にお答えいただきたいと思います。まずマエストロ・ムーティから。(今年2曲取り上げられ、第1部と第2部それぞれの冒頭を飾る)フランツ・フォン・スッペの音楽は、シュトラウス一家の音楽が取り上げられるニューイヤー・コンサートの中でどのような立ち位置にあるのでしょうか。
ムーティ これはいきなり難しい質問ですね(笑)・・・私は音楽学者ではありませんから。スッペは自分が半分はイタリア人だと感じていました。今年の演目の一部はイタリアと関係の深い作品が選ばれています、「マルゲリータ・ポルカ」や「ヴェネツィア人のギャロップ」などがそうです。第2部の冒頭に演奏する「詩人と農夫」序曲は、典型的なイタリア・オペラの要素を持った音楽です。そして内容面では、特にメロディはオーストリア的と言えるでしょう。それゆえこの序曲は、時には諍いもあったが今は非常に友好的な関係にあるイタリアとオーストリアとを結びつける作品ではないでしょうか。イタリアとオーストリアという2つの側面をね。まさに友好の証左であり、しばしば政治面での統一よりも、音楽家がヨーロッパ内の国境の垣根を取り払ってグローバル化を推進していた感がある18世紀を思い起こさせてくれます。この時代に、サリエリはウィーンで、ケルビーニはパリで、チマローザはサンクトペテルブルクで、メルカダンテはスペインで活躍していました。音楽にはこうした国や文化の境を超えていく力があります。スッペはオーストリア的なものとイタリア的なものをミックスさせた存在でしたーー正確に申し上げるとスッペは現在ではクロアチアに属するダルマツィア出身ですが、地理上の細かい点はここでは置いておきましょう(笑)。彼はこの2つの国を代表しています。私のことを申し上げると、イタリア人ですが、ウィーン・フィルとは50年以上もほぼ毎年演奏しています。この年月の間に、ウィーン的なものを自分の中に取り込んできました。もう一つご指摘しておきたいのは、私がナポリ人であることです。18世紀にナポリ王妃だったマリア・カロリーナ(1752-1814)は、ナポリの文化に大きな貢献をした人物です。その意味で今でも私たちはこのマリア・カロリーナに感謝していますし、彼女は実はオーストリアの(ハプスブルク家の)出身(マリア・テレジアの娘でマリー・アントワネットの姉)なのです。
フロシャウアー もう一つマエストロに質問です。1993年に初めてニューイヤー・コンサートを指揮された時のことを憶えていらっしゃいますか。今回と比べてどうお感じなっているでしょうか。
ムーティ 今よりも若かったのは確かですよ(笑)。指揮者にとってニューイヤー・コンサートはーーあなたもオーケストラの団員としてよくお分かりだと思いますがーー最も難しいコンサートの一つです。ワルツを演奏するのは(と「美しく青きドナウ」の一部を口ずさむ)容易いことだと考えられがちです。そうじゃないんですよ。指揮者の解釈とウィーン・フィルが持っている演奏伝統を融合させる必要があり、そのためには指揮者に熟練したパイロットのような技術が求められます。もちろんウィーン・フィルのやり方に従うという方法もありますが、それならば指揮者なんて不要です。ウィーン・フィルは指揮者なしでも演奏できますからね。その場合は指揮者が邪魔になってしまう。ですから芸術的に意味があるのは両者のバランスをうまくとることなのです。ちょうどイタリアの音楽家がヴェルディの演奏法が身についているように、シュトラウスの演奏伝統を体得しているウィーン・フィルが毎年違った指揮者を招くのもそのためでしょう。
伝統とは危険なものです。フルトヴェングラーは確か「伝統とは怠惰なことだ」と言いましたよね。マーラーだったかな。今でも私たちはこの点を肝に銘じています。
1993年のニューイヤー・コンサートの前は、何日も眠れぬ日々が続きました。怖かったからですよ。実は、私がウィーン・フィルのみなさんとシューベルトの交響曲全曲の録音を終えたところで、ニューイヤー・コンサートの指揮を依頼されたのです。シューベルトの交響曲の演奏が、さほど悪いものではなかったのでしょうね。シューベルトはウィーンそのもの。シュトラウスもウィーンそのもの。つまりシューベルトはシュトラウスへの関門だったわけです。生きた時代は違う作曲家ですが、シューベルトがうまくいけば、シュトラウスも同じようにうまくいく可能性がある、ということなのです。
当時の楽団代表だったレーゼルさんからニューイヤー・コンサートの指揮を打診されたとき、私は躊躇しました。ナポリとウィーンは遠く離れています。そうそう、よくミラノとウィーンがより近いと言われますが、それは真実ではない。ミラノはオーストリア人が支配していたのに対して、ナポリは独立した王国で、その王妃マリア・カロリーナはオーストリアのマリア・テレジアの娘でした。それゆえウィーンとナポリの絆は、ミラノよりも深いのです。このような思いを巡らせ、自分はナポリ出身だからな・・・やってみるか、と。最初のトライアルはうまくいきました。しかし非常に難しかったのは、ウィーン・フィルが世界一のオーケストラであるということだけでなく、シュトラウスの音楽が独特であったことです。私には不慣れなレパートリーでもあったので、うまくいかないと私の責任になるなと考えました。しかしウィーン・フィルのみなさんとはいい関係だったので、いろいろな点で私を助けてくれました。それでちょっと気が楽になり、最終的にコンサートは成功したのです。それでようやくホッとしましたよ(笑)。
それ以来、シュトラウスの演奏を重ねてきましたが、今でも決して楽にはならないですよ。オーケストラにとってもそうです。作品のことはよく知っていても世界中の音楽ファンの前で演奏するわけです。ミスも、音が揃わなかったことも、何もかも克明に伝わってしまいます。まあそれは人間の行為ですから仕方がないことではあります。しかし自分をさらけ出しておかなければならない。オーケストラにとっても指揮者にとっても、大変なことです。ワルツなんて、庭を散歩しているようなものだと考える人もいるでしょうが、そうじゃないのです。とんでもない!シュトラウスの音楽はデリケートで、演奏者への要求も高い。技術的に演奏が難しいのです。フルートとピッコロ、ヴァイオリンのイントネーションをどうするか、ほかのホルンやトランペットとのバランスをどうするか・・・毎回ニューイヤー・コンサートに出るたびに味わう挑戦です。演奏には全力で集中して自信をもって演奏しなければならない。そしてアンコールのラデツキー行進曲でやっと一息つく感じです。
例えば「美しく青きドナウ」は極めて繊細な音楽で、ちょっとしたミスが全体を台無しにしてしまうのです。だから自分は(曲の冒頭でソロを吹く)ホルン奏者には絶対になりなくないですよ。ウィーン・フィルには素晴らしいホルン奏者がいますしね。デリケートを極めた「美しく青きドナウ」が終わると、ラデツキー行進曲の番です。今回は拍手なしです。「拍手なしでラデツキー行進曲を演奏できるのですか」と最近よく聞かれます。しかしラデツキー行進曲にはもともと拍手のパートはないのです(笑)!リズミカルな拍手はなくても演奏できるのです。ですから、私もウィーン・フィルも、今回は作曲されたまま、拍手なしの演奏をするということなのですよ(笑)。
フロシャウアー ありがとうございます。オーケストラの一員として、あなたとこのシュトラウスのレパートリーを演奏するのはとても充実した気持ちになるのです。あなたの指揮で演奏すると、もっと美しい音が出せると確信させてくれるのです。本当にありがたく思っています。
ムーティ ありがとう。
フロシャウアー ヴラベッツさん、拍手の演出を手掛けるのはどなたですか?
ヴラベッツ 文化部門主任が担当です。彼がこのシステムを発見し、それを注意深く改良したのです。先ほども申し上げたように拍手は曲ごとに入るのではなく、第1部の最後と第2部の最後のアンコール曲であるラデツキー行進曲の後にだけ入ります。実際のコンサートの拍手を模倣するためではありません。しかしこの拍手部分に参加したいという世界中の音楽ファンのみなさんの熱意は非常に高いですし、私たちも皆さんの拍手をスピーカーを通じてホールの内部に届けるようにするのです。
フロシャウアー パウリーさんに質問です。通常のコンサートとニューイヤー・コンサートの違いってなんですか。
パウリー 普通のコンサートよりも寄せられる期待が段違いに高いことでしょう。私たちにとって素晴らしい指揮者やソリスト、オーケストラによるコンサートを開催できるのはありがたいことですが、ニューイヤー・コンサートは中ででも特別です。コロナ禍でコンサートを開催するのはどうすればいいかの証左となるでしょう。ウィーン・フィルのみなさんは細かく決められた規則に従ってコロナ感染の検査を定期的に行っていらっしゃいます。私たちホール側も、細かく規定された感染予防策を講じています。今回は無観客開催ですが、もし観客がいたとしても、一定のソーシャル・ディスタンスを保ち、衛生対策を講じ、ホール内で食事は提供せず、休憩もなく、あらゆる場所で密を避けることを徹底します。音楽家側とホール側双方で感染対策を万全なものとし、コンサートの場を安全な場所とするのです。ホールとしての大きな課題は、ワクチンの開発や感染検査の徹底が、一刻も早くコロナを収束させ、それによって、コンサートホールや歌劇場、劇場が安全なのだという認識が政府に生まれ、コンサートやオペラが通常通りに行われるようになる方向にもっていくことです。2021年のニューイヤー・コンサートがその先駆けとなることを期待しています。
フロシャウアー 出席いただいたみなさん、ありがとうございました。そしてオンラインでのご清聴にも感謝いたします。