BIOGRAPHY

ティーナ・マリー (1956.3.5生〜2010.12.26没・54歳)

LAの中でも黒人が多く住む地域で生まれ育つ。(彼女自身は、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ネイティブ・アメリカンの血が混ざっているようです)

1976年に「白人」としては異例のモータウンと契約。その驚くほどソウルフルな歌声に魅了された新たなファンクの帝王、リック・ジェイムスがプロデュースを買って出る。1979年に「I'm a sucker for your love」でデビュー。R&B系のラジオ局でヘビーローテーションされ、全米R&Bチャートで8位まで上昇。デビュー・アルバム『Wild and Peaceful』も18位と健闘した。実はこのアルバム・ジャケットにティーナ本人の写真は使用されておらず、一般リスナーはもちろん、ラジオ関係者もティーナのことを「黒人」であることを疑わなかったという。その後も毎年のようにアルバムを発表し、1981年の4thアルバム『It Must Be Magic』は全米R&Bチャート2位、シングル「Square Biz」は全米3位を記録した。

また、同時期にモータウンとの契約を巡って争った裁判(モータウンが彼女の新作のリリースを却下したことに対して不満を持ったティーナが、レコード会社の移籍を打診したところ、契約違反に当たるとしてモータウンから訴えられる)では、ティーナ側が勝訴し、それまでレコード会社の言いなりだったアーティストの権利を向上させることに貢献した。(通称、ティーナ・マリー法と呼ばれる)

1983年にはモータウンからエピックに移籍し、従来にはなかった新たなシンセ・ファンク・サウンドを展開。1984年、プリンスなどを意識したダンス・チューン「Lovergirl」は全米4位となり、彼女のキャリア最大のヒット曲になった。その後もロック色の強いファンクを展開していたが、1988年に原点回帰ともいえる正統派R&Bアルバム『Naked To The World』を発表。アルバムからは、クワイエット・ストーム系のクラシックとして今も愛される「Ooo La La La」が、全米R&Bチャート1位を獲得した。その後1990年に、エピック最終作『Ivory』を残し、自らが設立したレーベル「サライ」へ移籍する。

90年代後半からは、ヒップホップ系のアーティストたちからの再評価の機運が高まり、「Ooo La La La」をサンプリングしたフージーズ(ローリン・ヒル)の「Fu-Gee-La」が世界的に大ヒット。さらに、アメリカ南部・ニューオリンズを拠点とするヒップホップ専門レーベル、キャッシュ・マネーが彼女と契約。2004年に発表した、10年ぶりのアルバム『La Dona』には、恩師であり恋人でもあった故リック・ジェイムスや大御所、エディ・リヴァート(オージェイズ)、女性ラッパー、MCライトらが参加し、見事に全米6位まで上昇。翌年のグラミー賞にもノミネートされる。その後もアルバムを発表し、ライヴ活動も精力的に行うなど、“第2の黄金期”ともいえる活躍を見せていた。最新作は『Congo Square』(2009年)。

【ディスコグラフィ】

1979 Wild and Peaceful (Motown)
1980 Lady T (Motown)
1980 Irons in the Fire (Motown)
1981 It Must Be Magic (Motown)
1983 Robbery (Epic / EICP-1445)
1984 Starchild (Epic / EICP-1446)
1986 Emerald City (Epic / EICP-1447)
1988 Naked to the World (Epic / EICP-1448)
1990 Ivory (Epic / EICP-1449)
1994 Passion Play (Sarai)
2004 La Dona (Cash Money)
2006 Sapphire (Cash Money)
2009 Congo Square (Stax/Universal)