オハイオ州シンシナティで、父親の指導のもと、1950年頃からゴスペル・トリオ(当初は4人組)として活動を開始。その後1956年頃からR&Bに転向。いくつかのインディー・レーベルを転々とした後、1959年にRCAからのシングル「シャウト」(Shout)がヒット。さらに1962年にはビートルズがカバーしたことで一躍知られた「ツイスト&シャウト」(Twist & Shout)で、全米17位を記録する。その頃、まだ無名だったジミ・ヘンドリックスをツアー・メンバー、レコーディング・メンバーに加えていた。ジミ・ヘンドリックスの演奏は、後にギタリストとして参加するアーニーに多大なる影響を与えた。

1969年からは、アイズレー自身が運営するレーベル「T-Neck」からレコードを発表。(当初Buddha Recordsが販売。後にCBS)まず、R&Bチャート1位に輝いた「イッツ・ユア・シング」を収録したAL『イッツ・アワ・シング』を発表。この頃から、アーニー(g)、マーヴィン(b)、クリス・ジャスパー(p)が参加し始め、6人編成のファンク・グループに移行していく。1973年のAL『3+3』からは、ディストリビューションが強力な販売網を持つCBSに変わり、爆発的な快進撃が始まる。ファンキーでロックなギターと、ゴスペルの迫力を持つヴォーカルが融合したサウンドで人気を博し、「ソウル・レディ」(That Lady)が全米6位、「ファイト・ザ・パワー」全米4位など、次々とヒットを量産。1983年の名作『シルクの似合う夜』(Between The Sheets)まで、ほぼ毎年1枚のペースでリリースを続けた。(CBSとの契約もここまで)その後グループ内の軋轢などにより、分裂。オリジナル・メンバー3人による「アイズレー・ブラザーズ」はワーナーへ移籍。若手3人は「アイズレー・ジャスパー・ジャスパー」としてCBSからリリースを続けた。

1986年に長兄オケリーが急逝、ルドルフも教会での活動につくためグループを離脱。ロナルドはソロ活動かと思われた矢先、1991年アーニーとマーヴィンがグループに復帰して、グループとしてのレコーディング〜ライヴ活動を再開。(マーヴィンは今年病気で亡くなりました)R.ケリーとのコラボレーションや、B・バカラックとの共作アルバムなど、2000年代に入っても、精力的にリリースを続け、「1950年代から2000年代まで6つのディケイド連続でビルボードのシングル・チャートに登場した史上初のアーティスト」となった。2005年、ロナルドが脱税などにより逮捕・起訴され、2006年に刑が確定。インディアナ州の連邦矯正施設に収監され、グループは事実上の活動停止状態となっていたが、2010年4月にロナルドが出所。5月から出所後初のツアーを行ない、ニュー・アルバムの準備も進めている模様。

<メンバー>

ロナルド・アイズレー
リード・ヴォーカル(1941年生まれ)

オケリー(ケリー)・アイズレー
バック・ヴォーカル(1937年生〜1986年没)

ルドルフ・アイズレー
バック・ヴォーカル(1939年生まれ)

※以下は、1973年『3+3』から正式加入したメンバー

アーニー・アイズレー
ギター(1952年生まれ)

マーヴィン・アイズレー
ベース(1953年生〜2010年没)

クリス・ジャスパー
ピアノ、キーボード(1951年生まれ)
※アイズレー兄弟の従兄弟