本名クライヴ・パウエル。1943年6月23日、英国はランカシャー州の生まれ。 1960年、若干17歳にしてエディ・コクランの伝説的な英国ツアーにキーボード奏者として同行、その後、ビリー・フューリーのバンド、ブルー・フレイムズに参加を経て、バンドと共にフューリーから独立、62年にレコード・デビューを果たす。 R&B、ジャズ、ソウル等々の要素を折衷したそのスマートな音楽は、ほどなく高い人気と評価を集め、65年には「Yeh Yeh」(65年)でシングル・チャートの首位を獲得、翌年には再び「Getaway」(66年)をチャートのトップに送り込んでいる。 カウント・ベイシー・オーケストラとの共演コンサートを成功させるなど、60年代半ばにはジャズに接近、ブルー・フレイムズを解散させるも、その後、ポップ色を強めた「ボニーとクライドのバラッド」(67年)でまたも英シングル・チャートを制覇、72年には人気テレビ・シリーズでコンビを組んだアラン・プライスとのデュオ名義でもヒット曲を放った。 以降、ヒット・チャートからは遠ざかるも精力的な活動を続け、コンスタントに作品をリリース(ヴァン・モリスン・バンドでのミュージカル・ディレクターとしての仕事もよく知られるところ)、ジャンルの枠を超えたその音楽は、エルヴィス・コステロら、ミュージシャン仲間からも強い支持を寄せられている。(日本では佐野元春のアルバムなどにも参加) |