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1. ゴスペル
Gospel |
7. ジャスト・ライク・ラヴ
Just Like Love |
2. バーン
Burn |
8. レギュラー・グラインド
Regular Grind |
3. アイ・ドゥ・ザ・セイム・フォー・ユー
I Do The Same For You |
9. ディリンガム・レーン
Dillingham Lane |
4. クルーエル・アンド・ジェントル・シングス
Cruel And Gentle Things |
10. イット・ドント・テイク・ロング
It Don't Take Long |
5. ブリング・イット・ホーム・アゲイン
Bring It Home Again |
11. インプレスト *
Impressed(85年『Pictures For Preasure』収録曲をセルフカバー) |
6. ワンス・イン・ア・ホワイル
Once In A While |
12. スパニッシュ・ワーズ *
Spanish Words(『Wishing Tree』収録曲をセルフカバー) |
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* 日本盤のみのボーナストラック |
<チャーリー・セクストンが語る新作までの道のり>
ロン・ハワードはデビュー当初おかしな外見のオーピー・テイラー少年を(ドラマ「ジ・アンディ・グリフィス・ショウ」で)演じ、その後おかしな外見のティーンエイジャー、リッチー・カニングハムを(ドラマ「ハッピー・デイズ」で)演じた。彼が正統派の映画監督と認められるには、それらのイメージを払拭せねばならなかった。
エリック・クラプトンは元祖ギター・ゴッドだった。彼が細かい欠点の多い地味なポップ・アルバムを録音することを、現在でもなお受け入れられない人も多い。
かつてギターの天才少年として名を馳せた、おかしな外見の少年“オーピー・クラプトン”、チャーリー・セクストンを思い浮かべてみよう。彼の1985年のデビュー・アルバム「ピクチャーズ・フォー・プレジャー」をどうしても受け入れられない人は多いだろうが、十年ぶりの最新アルバム「クルーエル・アンド・ジェントル・シングス」はセクストンの成熟した様や思慮深さが当然最も表れた作品となっており、ようやく理解され始めている。
セクストンがそれほどの成長を見せたという事実は、一つの偉業といえる。彼は母親が16歳のときの子供である。父親は彼が4歳のときに刑務所送りになり、両親は離婚。ベビー・シッターを雇う余裕のなかった母親はセクストンと弟をオースティンのナイトクラブに連れ歩いた。そこでセクストンの初期の才能が開花することになる。
彼は12歳でジョン・リー・フッカーと共演し、13歳でジョー・イーライのツアーにリード・ギタリストとして参加した。
「最近、生まれて初めて、インタビューの時にライターに問い詰められなくなったんだ」とセクストンは言う。「自分が年取ったからなのか、それとも曲が良くなったからなのかは分からないけれど、いつも自己弁護をしなくて済むようになってよかったよ」
1980年代初頭、オースティンの少年チャーリー・セクストンが共演相手のスティーヴィー・レイ・ヴォーンの再来になるのではという評判は、地元から世界中へと広まっていった。
しかし「ピクチャーズ・オブ・プレジャー」は、スティーヴィー・レイというよりはむしろビリー・アイドルに近い内容だった。アルバム・ジャケットのセクストンは、鳥のとさかのような野暮ったい頭をした、思春期のニュー・ウェイブ少年。彼を応援していた人々が期待していたものではなかった。
彼を裏切り者扱いする者もいれば、レコード会社の介入を理由に挙げた者もいた。どちらも正しい推測ではなかった。セクストンは単に、16歳らしい16歳に過ぎなかったのだ。さらに、この世代のジョニー・ラング的存在になるまいとする彼の思慮深い決心も、あまり理解されたり評価されたりすることはなかった。
「おかしな話だけど、MCAからはテキサス・ブルース的なアルバムを作れと言われたんだ。でも俺はブルースを歌うのが本意でなかった。あの歳でそんなアルバムを作るのは不可能だったよ。作曲力も十分でなかったし、アーティストとしてまだまだ発展途上だったからね」と彼は振り返る。
「不思議なもので、自分はブルース弾きから始まったのに、それからセックス・ピストルズとかあのへんに夢中になって、‘80年代初頭にU2みたいなイギリス・アイルランドのアーティストが出てくると、本当に、ものすごくのめりこむようになったんだ」
そう、同世代の子供たちの多くが、1980年代初頭にそうであったように。
セクストンがなりつつあったスーパースターの立場に求められる大袈裟な将来の予測は、決して消えることがなかった。彼が歳を重ねるにつれてアルバムの内容は充実していったが、売り上げはそれに反比例して目に見えて落ちていき、MCAとの関係はぎくしゃくしたものになっていった。彼はセッション・ミュージシャンやプロデューサーとして引く手あまたの存在になった(最近手がけたうちの一人、シャノン・マクナリーは、ソラナ・ビーチの「ベリー・アップ」に毎週月曜日に出演するセクストンの前座を務めている)が、1999年には、ソロとしてのキャリアが下降線を辿っていった。
そこに運命の電話があった。セクストンにとって一生のヒーロー、ボブ・ディランに起用されたのだ。
「ボブから電話があったときの俺は、もうすぐ息子が生まれるというのに人生最大の金欠状態だったんだ」とセクストンは振り返る。「自分に言い聞かせたよ。『おい、そろそろ大人になれよ。ちゃんと食べていけるようにしなければならないんだ』ってね」
とはいえ彼の決断は、経済状況よりも憧れに根ざしていたものだった。
「実は、『ブロンド・オン・ブロンド』のポスターの前で、オムツ姿で赤ちゃん用の椅子に座った写真があるんだ」とセクストンは振り返る。「赤ちゃんのときの記憶に残っているのがそれなんだ。彼の音楽はそれだけ深く心に植えつけられているのさ」
セクストンはディランのギタリストを3年間務め、その間ディランのキャリアが再評価された作品「ラヴ・アンド・セフト」に参加している。人生を変えた経験だったと彼は語る。セクストンは、ディランに大いに不満を持っていた以前の同僚たちとは違ったのだ。
「本当に才能がある優秀なアーティストはみな気難しいものさ」とセクストンは言う。「これまでディランと仕事をしてきた人たちは全員自分から辞めたか、辞めさせられたか、逸話を持っている。でもその内容がどこかの時点で連想ゲームのようにねじれてしまうんだ。彼がやることにはみな理由があるものだと俺は学んだし、そもそもあんなにレベルの高い曲を書ける人に質問するものでもないからね」
「クルーエル・アンド・ジェントル・シングス」は、伝統に基盤を置いた作曲や楽器編成からパーソナルで印象派的な歌詞まで、ディランの影響に満ち溢れている。ガイ・クラークやアレハンドロ・エスコヴェドなど、オースティンの同胞作曲家の作品も思い浮かぶ。
37歳の今、セクストンはようやく帰ってきたのだ。一部の人々が予測していたブルース・ギターのヒーローとしてではなく、故郷の偉大なる伝統の吟遊詩人として。
「このアルバムは完全に偽りのない作品なんだ」と彼は明言する。「何年も曲を書いてきたけれど、やっと決めたんだ。ブルースを聴きたければ、ブルースのレコードを買いに行けばいい。レッド・ツェッペリンを聴きたければ、レッド・ツェッペリンのレコードを買いに行けばいい。この作品は、俺がやっていることそのものなんだ。もうゲームをするのはもうやめることにしたのさ。もう二度と、他人に『ロックを書いてくれ』なんて指図されたくないからね」
(SignOnSanDiego.comインタビューより抜粋)
<チャーリー・セクストンが語る:キャリアにおける最も思い出深い音楽的な出来事>
●ジミー・ヴォーン:「初めてジミー・ヴォーンに会ったのは俺が11歳くらいのときだった。エルヴィス・プレスリーに会うような気分だったよ。『よう、お前の噂は聞いたよ。来週末ザ・ファビュラス・サンダーバーズと一緒にやろうぜ』なんて言うんだ。すごく嬉しかったよ」
●キース・リチャーズ&ロン・ウッド:「キース・リチャーズとロン・ウッドと1曲作るためにニューヨークに行ったんだ(1984年の映画「ワイルド・ライフ」のサウンドトラック用)。ウッディ(ロン・ウッドのこと)が、チャーリー・ワッツが来るかも知れないって言った。来なかったけどね。でも、ボブ・ディランが顔を出してくれた。彼と初めて会ったのはそのときだった。あれはよかったよ」
●デヴィッド・ボウイ:「オーストラリアのテレビ番組にスペシャル・ゲストとして一緒に出ないかって誘われたんだ。デヴィッドは本当に心の優しい、チャーミングな人だよ。いつも本当に、本当によくしてくれるんだ」
●ジプシー・キングス:「ツアーでうちの街に来たときに飛び入り参加したんだ。7本のギターが一斉にじゃらんじゃらんと鳴っている中、一緒に<バンボレオ>をやれたのは、人生最高の出来事の一つだね」
●ボブ・ディラン:「ボブとやるようになって6〜7ヶ月経ったある晩、2人で<ライク・ア・ローリング・ストーン>を弾きながらふと彼の方を見やったとき、初めて自分の目が開いたような気分になったよ。それまでは自分がちゃんとできているかに気を囚われ過ぎていたからね。彼のほうを見やる余裕がようやく出来て、初めて思ったんだ。『うわぁ、今俺は<ライク・ア・ローリング・ストーン>を弾いていて、そこにいるのはボブかよ。すげえ!』って」
<チャーリー・セクストンが語るサウンド作り>
チャーリー・セクストンの自宅は、テキサス州オースティン市内を走る鉄道の線路の近くにある。
「小さい頃から線路の近くに住んでいたけれど、音が気になったことはないね。列車の音が好きなんだ」
そこに絶妙のタイミングで列車が通りかかり、セクストン家の居間を走り抜けるかの勢いで、悲し気な三和音の汽笛を鳴らす。悲しい別れやたゆまぬ放浪を連想させるその音は、セクストンの新譜「クルーエル・アンド・ジェントル・シングス」にまで入っている。このアルバムはマルチに楽器を操るシンガー・ソングライターにしてプロデューサーでもある彼が、自宅の居間と、オースティン市内のファンキーなスタジオ数軒でレコーディングしたもの。セクストンは列車の音など偶然入ってしまった音源に関して、面白い持論を持っている。
「ああいう音には、アナログ・テープのヒス雑音にちょっと似た、アンビエントな要素があるんだ。デジタル・レコーディングのおかげで本当にクリーンな音を作れるようになったけれど、現実の世界はノイズに溢れている。そのノイズを少しアルバムに入れる必要があるんだ。何もかも無傷で隔離された状態じゃリアリティがないからね。普段暮らしている世界からかけ離れたものになってしまう」
Q:これまでプロデュースしてきたアルバムへのアプローチを総括すると?
チャーリー・セクストン(以下S):コラボ相手によく訊かれるんだ。「この曲はどうする?」ってね。いつも、「曲が自ら望む方向を訴えかけてくるよ」と答えるんだ。だから、音に割り込んで入って、思いつくままにキーボードを叩くというよりは、よく音を聴くことの方が大切になってくるね。そういうスタンスだと相手を困惑させてしまうこともあるけれど。「プロデューサーなのに、曲が何を求めているのか教えてくれないのか」と言われるから、「そりゃ、でっち上げることはできるさ。でも信じてくれよ、この曲が羽ばたくために本当に必要なものがやがて見えてくるから」と答えるのさ。
Q:ボブ・ディランは自著「クロニクルズ」の中で、その曲がどんな曲になろうとしているのかを見いだすプロセスについて多く書いていますね。一つの曲に何週間もかけても、あっさり捨てて「いや、これはワルツにすべきだ」と決めてしまうこともあるそうです。
S:そういう意味で彼からは多くのことを学んだよ。彼は恐れを知らないからね。一つの曲をどんな方向にでも持っていくことができる。彼のセッションのアウト・テイクをボックス・セットにしたものがいくつかあるんだけど、その中に<ライク・ア・ローリング・ストーン>のワルツ・ヴァージョンがあるんだ。あれは大好きだね!歌詞の抑揚に注意して聴いてみれば、ワルツも本当にしっくりくることが分かるんだ。
Q:でも、ギタリストとしては、そうやって目まぐるしく方向性が変わることに気が狂いそうになりませんでしたか。
S:ボブの心の中については、あまり語ることはできないね。でも、彼のやることなすことの全てに理由があるということだけは言える。とても几帳面な人だから、自分のやっていることがはっきり分かっているんだ。彼のことは信じるしかない。俺はかねてから、彼の曲は彼の急所みたいなもんだって言っている。彼の好きにしていいってことさ。
Q:あなた自身も、ギタリスト、プロデューサー、シンガー・ソングライターとして名を上げました。これらの役割はあなたの中でどのようにまとまっているのでしょうか。
S:最近、それが9歳の頃に遡るって気づいたんだ。独学でギターを練習していた頃。その頃は、(ビートルズの)「マジカル・ミステリー・ツアー」を何度も何度も繰り返し聴いていた。あれは、ビートルズがただギター・コードを弾いて歌を歌っていただけの、初期のアルバムとは毛色が違う。逆回転のヴォーカルやストリングスのパートがあるからね。当時部屋でアルバムを聴いていたわけだけど、ビートルズのアルバムに参加したいとは思っても、あのメンバーと一緒にステージに上がりたいとはそれほど思わなかった。あのサウンドを作ってみたいと思ったんだ。プロデューサーとしては、特定の楽器の音よりも、周波数や音の質感を気にして音を聴いている。その特定の周波数領域を満たすことのできる楽器なら何でも、スタジオにたまたま転がっているものを使うんだ。
Q:新作では、12弦アコースティック・ギターの素晴らしい音色がいっぱい聴けますね。
S:ありがとう。メインで使っている12弦は、質屋で200ドルで買った古いギルドなんだ。でも、中には、'60年代のギブソンのすごい12弦を使っている曲もある。レコーディングしたスタジオにたまたま転がっていたやつなんだけどね。大抵の人は、一番音のいい12弦はギルドだって結論に達する。俺も今までずっとそう思ってきた。そうしたら、このギブソンの音を聴いたんだ。あの楽器に関して言えば、音がいい理由の大半は年季が入っていることによるものだろうね。俺のギルドより古いから。
Q:アルバムで用いられているアコースティック・ギターの音にはとてつもない深みがありますね。アコースティックのトラックを重ねているかのような感じがします。
S:曲によっては、そうだね。重ねているよ。昔ながらの手法で、同じ音が2トラックあると、自然にフェージングやフランジング(ディレイ効果のこと)が生まれる、あれさ。それから、2本のアコースティックを向かい合って弾くとあの深みが自然に出るんだ。左と右に何を置くかじゃない、前に何があるかなんだよ。廊下やトンネルの先を見ようとするようなものだね。
Q:そういう効果は、マイクの位置も大いに関係してくるものなのでしょうか。
S:時にはね。例えば<ゴスペル>はノイマンのU67型(ヴィンテージ真空管マイク)を使った。ギブソンの12弦に1本、それからヴォーカルに1本。それから、天井の高いところにルーム・マイクも1本設置したんだ。ソロのときはあまりいい音がしなかった。低音域の真ん中辺りがひどく大きくなってしまってね。でも、もっとダイレクトに音を拾うマイクとミックスしてみたら、突然音の幅が広くなって、深みが大いに増したんだ。部屋全体の音が聞こえるような感じ。3本もマイクがあると、色んなディケイやディレイができる。それから、俺が「モーフィング」と呼んでいるものもできるんだ。つまり、2つの楽器の音が合わさって、全く別の楽器のような音がしたり、実際には誰も演奏していないのに、幻の音が出ることなんだ。
Q:なるほど、確かに<ゴスペル>ではハンマー・ダルシマーのような音が絶対に入っているような気がしますよ。
S:でも、実際はただのギターなんだ。メインのアコースティック12弦のトラックがあって、それから同じギブソンの12弦がオープンEにチューニングしてある2つ目のトラックがベースラインを弾いているんだ。俺はフィンガー・ピッキングのようなスタイルで、ベースラインを1オクターヴ上げて弾いている。でも、実際はベースラインを全部弾いているわけじゃないんだ。最初の音符を右手で拾うと、左手でアクセントを叩いて、パーカッシヴな感じを出すんだ。ハンマー・ダルシマーのようにね。どちらかというと、ドラムスのパートを弾いているような感覚なんだ。俺にとってのあの曲は、バック・ポーチ・ブルースとアリ・ファルカ・トゥーレを合わせたような感じなんだ。みんな俺のことをルーツ・ミュージック的なロックやブルースと関連づけたがるけどね。でも基本的には、ここ10年間くらいはインド、アフリカの音楽やオーケストラ音楽ばかり聴いているんだ。
Q:「クルーエル・アンド・ジェントル・シングス」の中には、ループから組み立てられた曲もあるようですが。
S:そうだね。時にはベーシック・トラックをバンド全員でやるけれど、組み立てていかなければならない曲もあるからね。一度にあまり多くのことをやってしまうと、発見のプロセスをいくつか見失ってしまうから。だから、例えば<ディリンガム・レイン>のときは、タンバリンとハンド・ドラムで小さなループを作ることから始めたんだ。基本的には拍子を合わせるためだけにそうやった。クリック・トラック(キュー用のトラック)を使うより、ループにあわせて演奏したほうがずっと音楽的になるからね。ライヴ演奏からパーカッションのループを作ると、ぴったり完璧なものは絶対にできないから、人間的な要素が損なわれずに住むんだ。ループはテンポを少しだけ押したり引いたりするしね。ドラマーはその引きに合わせてもいいし逆らってもいい。そうすると、あのクールに揺れ動く雰囲気ができるんだ。
Q:これらのループは、ProToolsで作っているのですか。
S:そういうのもあるね。でも、レキシコンのジャム・マンをよく使っている。デジタルだけど、すごくファンキーなアナログ・サウンドを出すことができるんだ。無限に音を積み重ねることもできる。音を積み重ねるごとに音が分解されていって、ざらざらした質感やクールさが出るんだ。
Q:他のアーティストをプロデュースするときもループを用いたりしますか。
S:勿論。ルシンダ・ウィリアムズのアルバム「エッセンス」では、彼女がいなくて俺と(ドラマーの)ジム・ケルトナーだけだったときがあったんだ。そのとき俺は生音でループを作って、それに相反するような形でギター・コードを弾き始めたんだ。ループから外れるような感じでね。そうしてみたら、即座にヴァイブを作り出すことができたんだ。レコーディング・ルームに戻ってきたルシンダが「うわあ、すごい。これ何?」って訊くから、「君の曲だよ。さあ、ブースに入って歌って」って答えたのさ。
(HARP誌インタビューより抜粋)
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