SCHOOL OF AC/DC “AC/DC トリ/ビア高校”
コンセプト:AC/DCをもっと知りたい!そして、いつかは立派な"ロケンローラー"になりたい!
Q01:マルコムとアンガスのヤング兄弟は、どこから生まれた...じゃなくて、どこ出身なの〜?
オーストラリア、シドニー
アメリカ、ニューヨーク
イギリス、グラスゴー
A:(3)
マルコムは1953年1月6日、アンガスは1955年3月31日、ともにイギリスのスコットランド地方のグラスゴーに生まれています。ヤング家の生活は苦しく、新天地を求めて1963年にオーストラリアのシドニーに移住しました。よってAC/DCは、イギリス人によってオーストラリアで結成されたバンドだということになります。彼らがイギリスで初ステージを踏んだのは1973年12月のライヴ・デビューから2年4ヶ月後の1976年4月でした。
Q02:マルコムとアンガスのお兄さん、ジョージ・ヤングを紹介して...じゃなくて、お兄様がやっていたバンドって?
カーナビーツ
イージービーツ
マサラビーツ
A:(2)
イージービーツは1964年にオーストラリアでデビューしたポップ・グループ。彼らは地元で成功を収めてからイギリスに向かい、1966年には「フライデイ・オン・マイ・マインド(我が心の金曜日)」がヒット。後にデヴィッド・ボウイやゲイリー・ムーアもカヴァーしています。イージービーツの一員だったハリー・ヴァンダはジョージと共にプロデューサー・チーム"ヴァンダ&ヤング"としてAC/DCの作品の数多くを手がけています。
Q03:スティーヴィー・ヤングって、アンガスとどんな関係?(もしかして肉体...??ムフッ)
息子
特に血縁関係はない
A:(2)
スティーヴィーはマルコムとアンガスの兄、アレックスの息子です。アレックスはヤング家がオーストラリアに移住したときグラスゴーに留まり、グレープフルートというバンドで活動。息子のスティーヴィーもミュージシャンとなり、スターファイターズを結成しました。このバンドは80年代前半に解散しますが、何度か再結成を果たしています。AC/DCの1988年の『ブロー・アップ・ユア・ヴィデオ』ツアーにマルコムが参加できなかったとき、代役としてスティーヴィーがギタリストとして同行しましたが、外見がマルコムに似ているため、ほとんどの観客は気付かなかったそうです。ちなみにスターファイターズのシンガーだったスティーヴ・バートンは、ボン・スコットの後任としてAC/DCに誘われたこともあります。
1954年
1955年
1962年
A:(2)
「In the beginning, back in 1955」という歌詞です。エルヴィス・プレスリーが「ザッツ・オールライト・ママ」でデビューした1954年をロックンロール元年と定義する人も多いですが、AC/DCはおそらくチャック・ベリーがファースト・シングル「メイベリーン」を発表した1955年をロック元年としているのだと思われます。あと、歌詞の次の一節「And all that jive」と韻を踏むからという理由もあるでしょうね。
Q05:AC/DCの音楽がサウンドトラックとして使用された映画はなんなの〜。最近、観たい映画がなくて困ってたところなの〜。
悪魔のしたたり
恐怖の報酬
地獄のデビルトラック
A:(3)
1986年公開のホラー映画『地獄のデビルトラック』でAC/DCが新曲「フー・メイド・フー」を主題歌として提供、BGMでも既存曲のインスト・ヴァージョンが使われています。宇宙線を浴びた機械が意思を持って人間を襲うというストーリーで、原作者のスティーヴン・キングがAC/DCのファンだったことから実現しました。
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