ということで、RANCIDとしては一切取材を行わないラーズが語ってくれた、貴重なインタビューを一挙公開!

――まずは、このソロ・プロジェクトというか…。

「サイド・プロジェクトだな、うん」

――えぇ、その発端から教えてください。

「言い出しっぺはティムなんだよ。『おまえがいつも話してる、キャンベル時代の物語だけど、あれ、いいよな』って。俺があんまりしょっ中喋ってるもんだから、あいつも自分のことみたいにキャンベルの話に詳しくなっちゃっててさ。で、『あれを曲にして、いくつか数がまとまったらレコードにしてみないか』って、向こうから持ちかけてきたんだよ。やってみたらトントン拍子に曲もできたし、あいつがプロデュースしてくれるってんでスタジオに入ったら5日間でレコードができてしまった」

――初めからランシドではなく、別プロジェクトでやろうという考えで曲を作っていったわけですね。

「うん、まぁ、キャンベルの話はランシドの曲にも出てくるけどね。Took the 60 bus out of down town Campbell …とかさ。だから、これもランシドの延長線上でしかないんだよ。バスターズで俺がやることも、ランシドでやってることと何も変わらない」

――明確な境界線は無い、ということですか。

「無いね、ホントのところ。…つぅか、そりゃプレイヤーのメンツが違うってのはあるけどさ」

――もちろん。

「うん、でも、それを除いたら…無い」

――これといって違いは無いけれども、ランシドとは別の捌け口を持つのはやはりあなたにとって良いことなんでしょうか。

「そりゃそうさ。もっとも、自分じゃ考えたことも無かったんだけどね、サイド・プロジェクトをやるなんてことは…」

――つまり、よくある、本体のバンドでやれないことをやるためのサイド・プロジェクトというのとは違う…。

「違う、違う。ボン・ジョヴィ的なストーリーは一切無し!」

――(笑)。

「まったくもって純粋に、ランシドの延長線で面白いからやろうぜっていうノリ。それだけだ。何やかんやと理由を作っては集まって音楽をやりたがる連中なんでね。今回も、これのおかげで5日ほど楽しめたよ」

――バスターズのメンツは、あなたが普段から付き合いのある人達なんですか。

「あぁ」

――簡単に紹介してもらえますか。まずはビッグ・ジェイ・バスタードから。

「ガハハハ…、いや、こいつがデカイのなんのって…、6.3フィートぐらいの身長で275ポンドはある。巨大なんだ。あいつの隣に立つと、俺が小人みたいに見えちゃうくらいでさ。…まぁ、それはそれとして、あいつはベース・プレイヤーで…、ラフネックスってバンド、知ってる? あそこで活動してたこともあるし、あと、ティムのギター・テクでもある」

――なるほど…。

「相変わらず内輪で収まってるってわけ。ランシドはファミリーを重んじるバンドだからな。ドラマーのスコットはへプキャットってバンドにいたやつで、そのバンドもティムのレーベル、ヘルキャットと契約してたし、スコットはブレッドのドラム・テクでもある…と、まぁ、極めて近親相姦状態なんだな、これが。あと、レコードを作った後でギタリストをひとり足したんだ。フォアゴトゥン(Forgotten)ってバンドにいるやつで、クレッグって名前なんだけど、レコードの時には忘れられてたってことでクレッグ・フォアゴトゥンと呼ばれてる」

――それで彼は怒っていたの?

「いや、いや(笑)。ただバンドの名前と引っ掛けただけ。あとはバック・コーラスのアンノウン・バスタード。それが誰かは知らないが…」

――教えてくれないんだ。

「名前がそのまま答えになってるだろ。アンノウン・バスタードは正体不明さ」

――なんか、意味ありげですけど。

「まぁな(笑)」

――とすると、ビッグ・ジェイとスコットは、今回の企画で出世したことになりますね。

「ガ〜ッハッハ! (近くにいるらしい人に向かって…)いや、ジェイとスコットはテクやってただろ? だから今回は出世したんですね…とか言うからさ」

――そこにいるんですか?

「いや、いないよ。後で話してやんなきゃ。うん、確かにその通りだ」

――ところで、言い出しっぺのティムは、アルバムで演奏はしていないんですよね。

「バック・コーラスを1曲歌ってるのと、“Subterranean”ではギターも弾いてるぜ」

――ギタリストを追加したということは、本格的にこのバンドで活動していこうということなんでしょうね。

「まぁ、タイミングを見ながらだけどね。状況が許せばやっていこうって感じ。今のところ、単発でくるものを片付けていってるって具合で、まだショウも3本しかやってないんだ。レコードもまだ出てないことだし、新人っちゃあ新人だからな、俺たち。だから、目下のところはテメェらで勝手に楽しんでるって域を出ちゃいないんだ」

――レコーディングは5日間で…ということでしたが…。

「あぁ」

――すごく早いですね。

「あぁ、メチャクチャ早かった」

――曲作りは?

「う〜ん、5日間」

――こちらも?

「というか、曲を書いてレコーディングしてミックスまでで5日間」

――へぇ…、そりゃあスポンテニアスな展開で。

「うん、すごいスポンテニアスだったよ。ランシド自体、常にスポンテニアスなバンドだしね。レコードはいつもその前のレコードと違うものになるし…、ただ、ランシドに関しちゃ、前のレコードが俺たちの史上最高に難産で…最初のレコードなんかよりずっと大変だったぐらいなんで、今回こういうのをやるに当たってはとにかく気楽に、その場のノリで作っちゃおうぜってのはあったんだ」

――しかし、くどいようですがランシドとの間に明確な境界線は無いとなると、このプロジェクトの位置付けはどうなってくるんでしょう…。

「明確な境界線は無いっていうのは、やってる時の気分の話でさ。今回のレコードを作ってる時も、ランシドのレコードを作ってるのと気分的に何も変わらなかった…っていうか、全然違和感が無かったんだよ。バンドとしちゃ、そりゃ別物だぜ。けど、曲を書いたのはティムと俺だろ? ランシドでも俺たちは一緒に曲を書いてるし、あいつがプロデュースしてあいつのレーベルから出すとなると、ランシドでやってることの続きじゃん…みたいな。わかる? 俺たちはファミリーだから…、マフィアみたいな…ヤクゥザみたいなものなのさ。何をするにも、いつも何となくつるんでしまう。よっぽどラッキーなやつでないと仲間には入れない。一方、入ったら最後、なかなか脱けられない(笑)」

――でも、あなたはランシドに後から加入していますよね。その点、バスターズは最初から自分で立ち上げたプロジェクトですから、より‘自分のもの’という意識を持てるのでは?

「いや、ランシドだって、ある意味、今じゃ俺のバンドになってるもん。ランシドってのは、4人が全員ただのメンバーで、リーダーというのが存在しない。ビジネス上の決定も全員で下すし、誰が曲を書いていようが関係無しに金はきっちり4つに割るし…、言ってみりゃ、非常にコミュニストなバンドなんだよな。それぞれ平等な会員である、と。確かに俺はそこに後から加わった人間だけど、今となっては、これまで関わってきたどのバンドよりも一員だっていう実感を持てるようになってるよ」

――音楽的に、ランシドよりもバスターズでの方が表現しやすいとか、またその逆はありますか。

「…っていう話になると、やっぱり明確な境界線は無いんだな、これが。俺の言いたいことは、ランシドとやろうがバスターズとやろうが同じだから」

――全体として、ランシドよりもバスターズの方が、ロックンロール、スキンヘッズ・パンク/ロックの影響が強く出ていて、そこに更にモーターヘッド的な突進力が加わったような印象を受けましたが…。

「ランシドはアメリカン・パンク・バンドだからな。初めてティムの歌を聴いた時、俺はブラック・フラッグを…それもキース・モリスの時代の全員アメリカ人だったブラック・フラッグを思い出したっけ。ランシドもそういうアメリカのバンドとして認識されているはずだし、実際、受けた影響もラモーンズ、ソーシャル・ディストーション、サークル・ジャークス、ブラック・フラッグ、クルーシフィクス…、ときて最近でもディスティラーズ、ドロップ・キック・マーフィーズ、USボムスと、影響されるバンドはいくらでもいるが、どれもアメリカン! その徹底したアメリカ振りがランシドなんだろう。強いて言うなら、そこがバスターズとの違いかな」

――今更ながら、あなたはアメリカ生まれですよね。

「あぁ」

――UKサブスにいたけれど…。

「あぁ、あれは俺が19才の頃で、当時は彼らが俺のフェイヴァリット・バンドだったんだ。加入の話をもらったんで向こうへ行って、精一杯やってきた。その後はまたずっとアメリカさ。しかし、あの頃は面白かったぜ。俺、自分がカリフォルニアの外に出るなんて思ってもいなかったんだ。実際、カリフォルニア以外の州に行ったこともなかったのに、いきなりイギリスだもんなぁ。初めてカリフォルニアを出て、行ったところがイギリスときた! 向こうにいた頃、『どんなバンドを聴いてるんだ?』って聞かれてソーシャル・ディストーションとかブラック・フラッグの名前を挙げると、向こうの人はそんなバンド、名前も聞いたことがなかったんだ。あれは不思議だったよ。俺が聴いてたのはカリフォルニアやニューヨークをベースにしたバンドがほとんどだったから…、でも、イギリスのも好きだったんだぜ。だからこそ、イギリスのバンドに入ることになったわけで…」

――とすると、あなたの経験がもたらすイギリス的なものが、バスターズをランシドと差別化する要素になりますか?

「う〜ん…、といっても、聴いたり観たりしてるものは色々だからなぁ。例えば、マットのフェイヴァリット・バンドはロサンゼルスのXっていう生粋のアメリカン・バンドだったりするけれど…、でも、そこがパンク・ロックのいいところなんだよ。G.G.アレンからクラスに至るまで、その中間にあるもの全部ひっくるめて受け入れてしまうってとこがさ。俺たちも、ずいぶんと色んな音楽を聴いて、色んなバンドを観てきた。ランシドの場合は、その中でたまたま色濃く残っているのがアメリカのやつだったってことなんじゃない? カリフォルニア・ハード・コアってやつ。バッド・レリジョンとかさ」

――では、バスターズの初めてのアルバムに、何かコンセプトはありますか。

「キャンベル絡みの曲がほとんどだっていう、それくらいかな。あの頃の俺たち…みたいな。ビリー・ブラッグのカヴァーで“To Have And Have Not”ってのをやってるけど、それも俺たちみたいな連中のことを書いた歌だと思えたからでね。ビリーにも言ったことがあるんだ、『あの歌、俺のことかと思ったよ』って。そしたら彼も、『そうさ、おまえらも含めて俺たちみたいな連中のことを書いたんだから』って。みんな、ワーキング・クラスが住むエリアで育ったブルー・カラー・キッズでさ。マットのオヤジさんが警官だったり、俺はオヤジの顔を14年も15年も見てないがオフクロが女手ひとつで子供2人を育ててくれて、そのためにオフクロは週末もエイボン・レディのバイトで小銭を稼いでたぐらいなんだぜ。そんなワーキング・クラスを背景に持つ俺たちだから、ビリー・ブラッグの曲も筋が通るってものだ。あの歌はまた、歌詞が俺のキャンベルでの子供時代そのものなんだ。そもそも、今回のレコードは『キャンベルの話をレコードにしよう』ってところからスタートしてるんでね。

モーターヘッドのカヴァー“Leavin' Here”に関しては、モーターヘッドがやった曲だっていう、それだけで決まり! モーターヘッドは俺のフェイヴァリット・バンドで、俺に言わせりゃ彼らこそラモーンズと並ぶ史上最高のロックンロール・バンドだからな。よくあの曲をベッドルームで聴きながら、‘ここから出て行くんだ’っていうあの歌詞に共感してたのを覚えてる。そういう意味でも、バスターズのレコードにはまってると思う。俺も、夢を追いかけるのをやめていたら、あのまんまキャンベルで腐ってたかもしれないんだもんな。俺はとにかく、バンドで音楽をやりたかったんだ。その夢をあきらめてたら、今頃もう死んでたかもよ。あるいは刑務所の中かな。刑務所だったら、キャンベル時代に2回ぐらい入ったことあるけどさ。あの頃は仕事だってロクなもんがないし、どうせこんなもんだろうと思っていたが、音楽が俺を救ってくれたんだ。クサイ話だと思うかもしれないが、ロックンロールとパンク・ロックはマジで俺の生命を救ってくれた上に、ファミリーまで与えてくれたんだぜ。ランシドっていう、俺のことを気にかけてくれるファミリーを。あいつらしかも、このサイド・プロジェクトの成功を祈って応援すらしてくれている。さっきも言ったように、そもそも言い出したのがティムだしな(笑)。そのこと自体が、あいつのアーティストとしての才能の証明でもあると思う。あいつはアーティストとして常に時代に先駆けていて、いつも次のこと、新しいことを考えていて、チャンスがあれば賭けに出る。今回は、俺のことを信じてくれているからラーズ・フレデリクセン&ザ・バスターズなんて名前でレコードを作りたいと言ってくれたわけで…、そこまで信じてくれている人がいるなんて、クールなことじゃないか。そんな相棒を持たない人間が多い中で、俺にはいるんだからホント恵まれてるよ。

ランシドはずっとインディでキャリアを貫いてきてるだろ。だからランシドのレコーディングも通常そうだけど、今回のこのレコードもすっごくリラックスした雰囲気で作れたんだ。どこかの大きなメジャー・レーベルと契約してたら、きっとラジオ受けするような曲を書けだの何だのって口を出されていたに違いない。メジャー・レーベルのバンドって、どうしようもなくフェイクなやつらが多くって、これといって信頼に足るものが無いというのは聴いてみればバレバレだ。ボディビルをやってる人なら、食べ物の中身をしっかりチェックするよな。何が入ってるのかわからない出来合いのものなんか食いたかないだろう。それと似たような思いを、俺はメジャー・レーベルに対して抱いている。出来合いのジャンク・フード。俺は堂々とインディでいくよ」

――オーガニックに。

「そういうこと。オペレーション・アイヴィだってそうだろ。マットとティムと…、ルックアウト・レコードのあの時代。早い話、あいつらがギルマン・ストリートの創設者だもんな。マットとティムのバンドがなかったら、ギルマン・ストリートはあそこまでもたなかったと思うよ。だろ? あいつらは言うまでもなく最初からずっとインディでやってきて、今でもリスクを恐れずチャンスに賭けることをやめない。バスターズのレコードも、そういう俺たちの表現の捌け口のひとつでしかないってこと!」

――他のメンバーにもこのレコードを聴かせたんですか。

「あぁ、すごい気に入ってくれてるよ」

――そして3月にはドロップ・キック・マーフィーズとのツァーだそうですね。

「そうだよ」

――それに向けてリハーサルとか、してるんですか。

「既に何本かやってるんだけど、一度はカリフォルニア北部のチコっていう小さな町でナーヴ・エイジェンツってすごくいいバンドとプレッシャー・ポイントっていうサクラメントのオイ・バンドと一緒にやったやつで、あとアナハイムでソーシャル・ディストーションと一緒にやったやつ。それと、初めてホームタウンのキャンベルでやったのが、まだ2週間ぐらい前の話で、場所がアメリカン・リージェント・センターっていう、俺が実は1982年にソーシャル・ディストーションのショウを観た会場だったんだ。19年前にソーシャル・ディストーションを観た地元の会場に戻ってきて彼らと共演するなんて、なんか皮肉だよな」

――あなたも出世したってことだ(笑)。

「そういうこと! 確かに俺も出世した(笑)」

――地元の人はバスターズの音楽にすごく共感して喜んでいるんじゃないですか。

「あぁ、キャンベルの連中が大勢観に来てくれて、なんか感動しちゃったよ。ベンが一緒じゃなかったのが残念だ。ベンにも是非観てもらいたかったが…、出も、きっとあいつはあの場所にいたはずだよ。あいつの魂がね。今だって、俺の隣にいて耳元で囁いてくれてるんじゃないかな、俺がちゃんと受け答えできるように(笑)。ベンが死んだのが1年ぐらい前のことなんで、今回のレコードはあいつに捧げてるんだ」

――ツァーはアメリカのみですか。

「アメリカと、あとカナダ」

――長いんですか。

「8週間」

――かなり長いけど…、北米はそれでもカヴァーし切れないか。

「そうなんだよ」

――日本だったらじゅうぶん過ぎるけど(笑)。

「でも、前は俺たち、日本を3週間ツァーしたぜ。すっごい楽しかった。俺たちみんな日本が大好きだ」

――このプロジェクトで来日の可能性は?

「今のところその予定は無いよ。バスターズのツァーが終るとすぐランシドのツァー…ワープト・ツァーが始まるし、その後はランシドでまたレコードを作るかもしれないから」

――忙しい年になりそうですね。

「あぁ、意外な展開が色々とありそうだ」

――プロデューサーの仕事の方は?

「最後に俺がやったのはアグノスティック・フロントで、あれは…98年か99年だ。プロデュース業は、ちょっと一息入れたいんだよね。プリプロダクションはちょこちょこ手伝ってて、ビジネスのレコードとか、パトリオットのレコードを手掛けたり、今度のアグノスティック・フロントのレコードもプリプロをやることになりそうなんだけど…、本格的にスタジオで一緒にっていうんじゃないが、初期段階でアイデアを練ったりする手伝いをすることになるだろう。当面は一ミュージシャンとしてやっていきたいんで、プロデュース業はお休みだ」

――では、日本のファンに一言。

「We love you, we love you all! 日本のみんなは本当にフレンドリーで、ありのままの俺たちをまるで日本人みたいに受け入れてくれた。ランシドはそれを心から感謝している。日本という国もカルチャーも大好きだよ。それと、アントニオ猪木は絶対リタイアするべきじゃなかった」

――(笑)。

「ジャイアント馬場の死を心から悼むよ。彼はジャイアント中のジャイアントだった。いやぁ、レスリング話になっちまったな(笑)。とりあえず、今、俺が一番気に入ってるのはFMWでね。俺、もともとレスリング狂なんだけど、ジャパニーズ・スタイルが特に好きなんだよ。アメリカだとなかなか手に入らないんだけどビデオが見つかるとチェックしてる。来日中には相撲も観たし…って、テレビでだけどね。えぇ〜と、何てったっけな、好きなレスラーがいたんだけど…」

――アメリカ人?

「いや、日本人」

――誰だろ…、貴乃花とか…。

「あ、それ、それ! タカノハァナ!」

――だったら横綱ですよ。

「そうか、彼はヨコヅゥナなのか。やっぱり俺は勝者につくんだな(笑)。タカノハァラってのはいる?」

――いないと思いますよ。

「それはレスラーだったかな、ま、いいや(笑)」


訳:染谷和美