:: BIOGRAPHY & HISTORY

THE PRODIGY

リアム・ハウレット(Writer&Producer&Mixer)、キース・フリント(MC&Dancer)、リーロイ・ソーンヒル(Dancer)、マキシム・リアリティ(MC)によるザ・プロディジーは、91年に「What Evil Lurk」でデビューを果たし、ハード&アグレッシヴなブレイク・ビーツ・サウンドで、瞬く間にアンダーグラウンドからメジャー・シーンにのし上がった。いち早くドラムンベース、ビッグ・ビートのスタイルを実践。92年にファーストアルバム「Experience」をリリース、デビューアルバムにして全英トップ10にチャートイン。95年にはセカンドアルバム「Music For The Jilted Generation」で念願の全英初登場1位を獲得、同時に世界中でその名を知らしめる。フリントが初めてヴォーカルをとった曲、『Firestarter』が全世界で大ヒット、その収録アルバム『The Fat Of The Land』(97年)は、エレクトロニック・ダンス・ミュージックの垣根を遥かに超え、全英初登場1位、そしてイギリスのアーティストがなかなかなし得ない 全米チャート1位も獲得。 なんと、全世界22カ国で初登場1位というモンスター・アルバムとなる。この作品でエレクトロニカのみならずロック/オルタナティヴのリスナー層からの支持も獲得――90年代のUKカルチャーにおける最大の エポック・メイキング的作品となった。常にチャートのトップを独占しながら、エンターテインメント性満載のエキサイティングなステージ・パフォーマンスとサウンドで世界を席巻。フジロックをはじめ、多くのフェスティバルの大トリを飾る。


HISTORY(text by 佐藤譲)
<1990>
イギリス東南部に位置するエセックスで当時DJだったリアムとフリーターだったキース、ダンサーだったリロイ(2001年に脱退)がブレイントゥリーズ・ザ・バーンというナイトクラブで出会いを果たす。リアムのデモ・テープをいたく気に入った2人はリアムに踊りたいと申し出てバンドを結成。また共通の友人を通じてMCであるマキシムが加入。当時は女性ダンサー・シェイキーも加入していた。同年、バンドは個性的なアーティストを排出するXLレコーディングスと契約(シェイキーはこの時に脱退)。レディリンスというヴェニューではじめて行われたギグの動員は250人を記録している。

<1991>
リアムがソロ時代にリリースしていたシングル“What Evil Lurker”を2月にプロディジー名義で再リリース。7000枚の売上を記録し、ダンスチャートの31位を記録する。その後、バンドはセカンドシングル“Charly”を8月にリリース。これが全英シングルチャート3位、ダンスチャートの1位を記録する特大ヒットシングルになり一躍プレスから注目を集める。さらに“Everybody In The Place”(全英シングルチャート2位、ダンスチャート1位)をリリース。アルバムへの期待が高まっていく。

<1992>
11月にアルバム『Experience』をリリース。シングル“Fire/Jericho”(全英シングルチャート11位、ダンスチャート1位)をリリース。アルバムは全英初登場10位(ダンスチャート1位)に輝き、後にゴールド・ディスクを獲得する。レイヴ・カルチャーの金字塔として高い評価を得た本作をきっかけにバンドは一躍ダンス/ポップ・シーンの寵児になる。またこの頃から独自のスタイルを誇るライヴが話題を呼び、チケットは入手困難に。またアメリカツアーにはZZトップやリック・ルーヴィンが来るなど多くのアーティストたちから注目を集めるようになる。

<1993>
アルバムからのリカットシングル“Out Of Space”(全英シングルチャート3位、ダンスチャート6位)をリリース。次作に向けて準備する中で、リアムはジーザス・ジョー
ンズ、アート・オブ・ノイズ、フロント242などの多くのリミックスを手掛ける。さらに次作に収録されることになる“One Love”(全英シングルチャート8位、ダンスチャート5位)“Wind It Up(Rewound)”(全英シングルチャート3位、ダンスチャート11位)を立て続けにリリース。また初来日を果たしたのもこの年。初のライヴは今は亡きジュリアナ東京。

<1994>
アルバムのリードシングルとなる“No Good (Start The Dance)”(全英シングルチャート、ダンスチャート共に4位)をリリース。そして7月にセカンド・アルバム『Music For The Jilted Generation』をリリース。初の全英1位を記録。4ヶ月の間トップ10にランクインし続け、ダンス・ミュージックのアルバムとしては異例のミリオンを記録する。また8月にはアルバムからのリカット・シングル“Voodoo People”(全英シングルチャート12位、ダンスチャート6位)をリリースする。この年から来年にかけて20カ国を股にかけるワールド・ツアーがスタート。また8月には東京ドームで開催された『avex rave '94』に出演。

<1995>
ワールドツアーを続ける彼らはイギリス最大のフェス、グラストンベリー・フェスティヴァルをはじめとする多くのロック・フェスティヴァルでメインアクトとして参加する。アルバムからのリカット・シングル“Poison”(全英シングルチャート11位)、ビデオクリップ集『Electronic Punks』、そして日本ではリミックスを編集した独自の企画盤『Selected Mixes For The Jilted Generation』をリリースする。またキースの髪形が電撃ネットワーク南部氏とそっくりになったのもこの頃から。ツアー終了後、バンドは次作へのレコーディングを開始する。

<1996>
3月にシングル“Firestarter”をリリース。よりヒップホップ/ロック色を増した本作は全英初登場1位(ダンスチャート2位)を記録。またビデオの内容が過激なものであるということで放送が禁止され大きな話題になる。“Firestarter”がヨーロッパのほとんどの国でナンバー1を獲得することで、バンドはアメリカでも大きな注目を集め、彼らはマドンナが主宰するレーベル、マーヴェリックと契約。そして、バンドはその勢いのまま6月に“Mind Field”を、そして11月に“Breath”を立て続けにリリースする。“Breath”(全英シングルチャート1位、ダンスチャート2位)はバンドのキャリア史上最大のセールスを記録し、彼らの次作を世界中が注目するようになっていく。またこの頃からU2やマドンナ、デヴィッド・ボウイなどがツアーをオファーするようになるが、全て拒否。アルバムへ向け、バンドはひたすらレコーディングの日々を過ごす。

<1997>
6月にサード・アルバム『The Fat Of The Land』(全英アルバムチャート、ダンスチャート共に1位)をリリース。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドを筆頭に、ロックとテクノのクロスオーヴァーが盛んだった当時のシーンの文字通り金字塔として圧倒的な評価を得る。また当時L7のカバーやゲスト・ヴォーカルにクーラ・シェイカーのクリスピアン・ミルズ、ラッパーのクール・キースなどを招き、音楽性を飛躍的に拡大させた同作は、世界22カ国でナンバーワンを飾り1000万枚の売上を記録するモンスター・アルバムとなる(日本ではダンス・シーンのアーティストとしては異例の40万枚のヒットを記録)。ちなみにアメリカ初登場1位はイギリスのアーティストとしてはビートルズ、エリック・クラプトン、エルトン・ジョン、ピンク・フロイド、デフ・レパード、デペッシュ・モード、ブッシュに続く快挙。バンドは夏には日本初の大型野外ロック・フェスティヴァル、フジロック・フェスティヴァルに参戦するも雨でキャンセルに。11月にはリカット・シングル“Smack My Bitch Up”(全英シングルチャート8位)をリリース。バンドは再びのワールドツアーへ。

<1998>
1月に幕張メッセにてライヴ。グラミー賞で『The Fat Of The Land』が「ベスト・オルタナティヴ・ミュージック」を受賞。また8月には昨年のリベンジを果たすべく東京ベイサイド・エリアで行われたフジロック・フェスティヴァル'98の大トリを務めた。ワールドツアー終了後、バンドは休息を取り、リアムはDJ活動、マキシム、リロイはソロと、メンバーはそれぞれの活動を開始する。

<1999>
リアムが自身の影響を受けたアーティストの音源をミックスしたアルバム『Prodigy Present: The Dirtchamber Sessions Volume One』をリリース。プライマル・スクリー
ム、ウルトラマグネティックMC'S、シャーラタンズ、ケミカル・ブラザーズ、ジェーンズ・アディクションなどヒップホップ、テクノ、ロックを大胆にミックスし話題を
呼ぶ。またマキシムもソロ・シングル“My Mob”をリリースする。

<2000>
次作に向けレコーディングに励む中、アルバムタイトルが『Always Outnumbered, Never Outgunned』であるという情報が飛び交う。しかし、音に関する情報は一向にアナウンスされず。バンドのレコーディングが続く間、メンバーのソロ活動は活発に。マキシムはシングル“Carmen Queasy”“Scheming”、そしてアルバム『Hell's Kitchen』をリリースする。

<2001>
4月にバンドのオリジナルメンバーでありダンサーであるリロイが脱退。そのためバンド解散説が飛び交う。またバンドはこの年ヨーロッパの4つのフェスティヴァルでライヴを行い新曲2曲をプレイ。セットリストに書かれていたタイトルは“Trigger”と“Nuclear”。

<2002>
2月に東京BAY NKホールで3年ぶりのライヴ。オーストラリア最大のフェス、ビッグ・デイ・アウトやフジロック・フェスティヴァルなど大型フェスを中心に6つのライヴをこなす。またバンドは5年ぶりのニュー・シングル“Baby's Got A Temper”をリリース。しかし、アルバムのインフォメーションはなく、バンドはひたすらレコーディングに励む。

<2003>
ひたすらレコーディングの日々。2001年からギターを学んでいたキースが立ち上げたバンド、Flintがシングル“Aim 4”とアルバム『Device』をリリースする。

<2004>
8月にニューアルバム『Always Outnumbered, Never Outgunned』リリース決定。