第十一章 〜日本武道館〜

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 目の前にあるのは金の玉ねぎ。
 荘厳な鈍い光をたたえたそれは、唯一無二であることを自覚し、建物の天辺に堂々と鎮座しているように見えた。
「ついにここで」
 不思議なことに自分たちの軌跡を思い出すより先に、周りにいてくれる人の顔や、オンステージしたときに見てきたこれまでのフロアの景色、厳密に言うと表情の一つ一つが思い起こされた。良い歩みだったんだ、と思う。
 誰かの為、とそうやって音楽をしてきたつもりはない。何故なら音楽は慈善事業ではないし、客商売とも違うと思っているからだ。まず自分が、自分たちが楽しくなければ意味がない。人と人とが対峙するにあたり、とても大事な気持ちである。自分が楽しいと思えることこそ、自分が好きだと思えることこそ、自分が愛していると思えることこそ、誰かに渡したいと思うのだ。そうでなければ、あなたの気持ちと、時間と、お金とを堂々と受けとることなど絶対に出来ない。自分が「お客さん」という言葉を殆ど使わないのは、そういう気持ちの表れでもあるのだ。即ち、その我々の気持ちの辿り着く先であるあなたが、楽しくないと全くと言っていい程に意味がない。自分の為があなたの為になって、あなたの為が自分の為になってこその音楽。自分たちの音楽を無理矢理に位置付けるのであれば、まアそんなところだろう。
 重たそうな扉に手をかける。深く息を吸い込んで、力を込めた。
 鍵が閉まっていた。
「まだだから」柳沢が言った。
「ん?」
「今日は撮影しにきただけだから」
 あんた何言ってんだ、と言いかけたが、冷静になって考えると、今日はツアーファイナルであるZeppTokyo2Daysの二日目に会場で流す告知映像と、フライヤーで使用する写真を日本武道館に撮りにきただけであった。
「焦りすぎ」
 上杉にも言われたので、私はわかりやすくそっぽを向いて、「知ってるし」とこぼした。
 視界の隅で藤原が笑っているのが見えた。白々しいと思った。
 藤原が藤原さんでないことが判明したのが丁度このあたりであった。彼は私の一つ年下であるにも拘らず、然も自分が年上であるかのような顔(造形の意)をして十四年もの間、私を騙していたのだ。
「人のこと騙しておいてよく笑ってられるよな、嘘つき!」
「でも俺は柳沢と幼なじみだって、初めっから」
「うるさい」
「いやでも」
「うるさいって」
 確かに彼は出会った当時から、私に対して年下であることをこれみよがしにアピールしてきてはいた。しかし、まさか本当のことを言っているとは露にも思えまい。同じ冗談を十四年。頭の具合が良くないのか、はたまた根気強いのか。その二択で私はずっと悩んでいたというのに。人の気も知らないでよくもまア、この男は。
 しばらく藤原を睨んでいたが、また何か言い訳を始めそうな気配がしたので目線を外してあげた。
 まアなんだかんだ擦った揉んだあったものの、山あり谷あり紆余曲折の道のりを、この四人で歩いてきたことには堂々と胸を張れる。メジャーから転落して、二度と音楽というフィールドで有情は出来ないと、そう言われ続けたあの日から、心のどこかでメジャーレーベルなんぞに頼らなくても自分たちで日本武道館に立ってやるわい、と思っていた。鼻を明かしてやろうと、そういう気持ちがないと言ったら嘘だ。しかし、それだけの気持ちではここまで絶対に来られなかったと、そんな風に思う。

 ということで告知映像から撮影開始。ドキドキしてほしかった為に、なかなか全貌が掴めないように足元から煽って一気にドン、みたいな。撮影してるうちから、公開した時にこれを観てくれた人と一緒に歓べる瞬間を想像してワクワクした。
 スムーズに進行した撮影は、次のフライヤー写真の行程に移った。日本武道館を背に四人で格好つけてシャッターを切ってもらっていると、傍から声がした。
「駄目だよ、撮影したら」
 声の方に視線をやると、散歩の途中です、といった風態の、取り立てて大きな特徴のないおじさんが立っていた。「駄目だよ」おじさんはもう一度我々に言った。
 しかし、我々はもちろん無断で撮影に挑んでいるわけではない。然るべきところに許可をとって、然るべき日時に出向いたのである。私は言った。
「あ、ご迷惑おかけしております。しかし我々は許可を頂いて撮影をしているのですよ」
「敷地内で撮影してもらわないと」
「はい、だから、敷地内で撮影させてもらっているんです」
 するとおじさんは我々の足元を指差して、もう一度同じことを言った。「敷地内で撮影してもらわないと」
 念のため自らの足元を確認してみたが、やはり何を言っているのかわからなかった。
「どういうことですか?」
「どういうことって、ほら、足が出てる」
 おじさんは、路肩から僅かにはみ出した我々の足を迷惑そうに指しながらそう言った。
「え、あ、これ?」
「そうだよ、敷地からはみ出してもらったら困るんだよ」
 なかなかどうして細かいじじいだと正直思ったが、まア決まり事であるなら仕方のないことだ。大目に見てよ、言いたいところをグッと堪えた。ルールというものは線引きを曖昧にしてしまうと破綻しやすいものだ。定められた線から出てしまったのが例え一歩でも、駄目なものは駄目なのだ。
「すみませんでした」
「気を付けてね」
 おじさんは言い放った。ただ、おじさんが全く散歩の風態が少しもブレないので、少しだけ、立場というか、お仕事というかが気になった。
「あの」
「はい」
 私はおじさんに質問してみることにした。「管理されてる方ですか?」
「私?」
「はい」
「私は近所に住んでいるものです」
 ほう。
 こう、なんていうんだろう。ルールの厳守が大前提ではあるが、こう、なんていうんだろう。
 あくまで表現であるが。正義という大きな後ろ盾があると、即ち、村人や町人であったとしても勇者に変貌してしまうというか。草むらを歩いていて不意に出てきた野ウサギでさえも、敵として出てきたという形に則ることが出来れば、多くを考えることなく切ってかかることが出来てしまうというか。正しさは、悪の大小に拘らず相手を半殺しにしてしまえる免罪符とは違う気がするのだが、いかがだろう。
 我々は半殺しにされたわけでもないし、実際ルールを厳守出来なかった我々が確実に悪いのだが、正義に潜む危険因子は、思考を放棄した途端に暴走することもきっとあるんだろうなアと、そんなことを思った。
 おじさんは散歩に戻り、我々はルールに則って撮影を終えた。
 私はこの章で何が言いたかったのだろう。誰か教えてください。


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 何が嬉しかったって、ZeppTokyoでの本編終了後、大々的にスクリーンに映し出された告知映像に寄せられた歓喜の声である。「だって一緒にここまで歩いてきたもんねエ」と言ってくれているかのような、あの飛び切りのリアクションを思い出すと、大袈裟でなく今でもウルウルくる。
 汗だくのまま舞台袖で、一緒に観たあの映像は気丈でいなければ涙腺崩壊ものだった。許されるならフロア、ステージ、バックヤードの全員に大絶叫しながらハグして回りたかったが、私はフロントマンなので、平然とした雰囲気と表情を一生懸命に作り続けた。
 日本武道館での単独公演が出来るという事実など、日本武道館での単独公演を一緒に歓喜してくれるその気持ちの前では、胡麻一粒と同等である。そう思えるくらい嬉しかった。オンステージするのは四人であっても、四人だけのオンステージでは然程大きな意味を持たないのだ。
 
 告知映像もフライヤーも喜んでもらえてよかった。散歩のおじさんにも渡しに行こうかと思ったが、二秒考えてやめた。
 四人で日本武道館ということを心のどこかで思ってはいたが、それを目標において音楽をやってきたわけではない。活動の過程で、とそういった具合だ。昨今、日本武道館での単独公演は珍しいものではないし、偉業であることに変わりはないのだが一昔前までの大偉業と同等であるかと問われれば、素直に首を縦には振れない。軽視しているわけではなく、事実としての認識である。
 が、しかし。そんなことまで考えて冷静になろうと努めても、いざ決まるとなかなかにシビれる。
 バンドをやっている上で、年下、そして多くはご年配の方に言われるのが、「いつかは紅白だね」と、「いつかは武道館だね」だ。バンドに、延いては音楽に造詣が深くない人であっても説明なしで頷けるアイコンであり、バンドのヒストリーを語る場面にもかなり象徴的に使われる。その場所自体に大きな力を内包している、聖地と言える数少ない場所だ。取って食われそうな印象すらある。
 三ヶ月分の候補を出してなんとか取れた奇跡のような一日。当日を迎えるまで、私は随所で、こまめに、隙を見つけては、バレないように、小さく震えて過ごした。

 当日まで小さく震えて過ごした延長線上で、私は公演の一ヶ月前に入院することになる。我がバンドは、以前に柳沢が、私とは比にならないくらいの長期入院を経験しているので、流石に入院バンドの烙印はご勘弁を、と猛スピードで治したのだが。
 私、渋谷龍太、及び柳沢亮太が、その節は大変にご迷惑をおかけしました。かけたご迷惑、頂いた御恩は決して忘れません。

 一生懸命になって、とても頑張ってその日を迎えた。
 メジャーに在籍していた二十歳そこいらの頃、メジャーのオトナに言われたのだ。
「一生懸命とかバンドとしてダサいから二度と言うな」
「頑張るとか、何言ってんだよ、かっこ悪い」
 覚えてるよ、心に刻んでるよ、今でも。
 この時だって、そして今だって。改めて言うが、SUPER BEAVERは一生懸命、頑張って活動している。


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 日本武道館当日の模様はDVDとBlu-rayが出ているので、そちらでご確認ください。当日の心境、この日に至る心持ちなど全て観て取れると思いますので。まだお持ちでない方はお買い求めくださいね。昨年の今頃オンステージしました代々木第一体育館のDVDとBlu-rayも絶賛発売中でございますので、合わせてのご購入もご検討くださいね。今ならお値段据え置き、定価での販売となっております。買うなら今しかない!

 簡潔に、楽しかったです。至らないところはたくさんあったし、ああしとけば、こうしとけば、はあるが、楽しかった、の一言がまず出てくる一日になって良かった。
 日本武道館の構造が成す妙なのだが、上から拍手が降ってくるという感覚は初めてだった。
 自分は基本的にリハーサルで、どの席にも行くことにしている。全席は流石に無理なのだが、アリーナ最前ブロック、二番目のブロック、そして最後のブロックの左右真ん中。一階最前、真ん中、最後方の左右真ん中。二階も同様に。きちんと届けられるようにその席から見える景色を頭に叩き込んでおくのだ。だからこそこの日も届いている実感、そして降り注ぐ拍手を満額受け取ることが出来た。
 観に来てくれたあなた、そして全国各地からライブハウスの店長、イベンター、バンドマン、古くからの仲間、友達が大集結って状況は、冠婚葬祭を彷彿させた。幾度も経験出来る類のことではないんだと、そんな風に思った。

 ここにきてようやく見えたスタートラインがあった。しかしそれはいつ何時でも、バンドを組んだ時から目の前にある気がする。ここまで走ろうと決めて、辿りついたそこに待っているのがゴールテープではなくてスタートラインである限り、まだ走る余地があるということだ。大変に歓ばしいことである。
 日本武道館を通過点と軽んじるつもりはない、しかし日本武道館が終着点だとも思わない。我々は今までとこれからを噛み締める立派な到達点として、あの舞台に立ったのだ。

 次は「記念すべき」という冠を脱ぎ捨てて、再び堂々と日本武道館にオンステージしてみたい、です。





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