第十章 〜十周年〜

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 三〇〇人、三五〇人、五〇〇人、七〇〇人、九〇〇人、一二〇〇人、二三〇〇人、二七〇〇、三〇〇〇、一〇〇〇〇、一二〇〇〇。
 これがなんの数字かお分かりであろうか。ん、別に勿体ぶる必要もないのでスッと言ってしまえばこれは現在のSUPER BEAVERの単独コンサートのキャパシティの段階である。
 O-Crest、eggman、WWW、クアトロ、恵比寿リキッドルーム、赤坂ブリッツ、ZeppDiverCity、ZeppTokyo、日比谷野外音楽堂、日本武道館、代々木第一体育館。

 一つずつ段階を踏んで、一つずつ売り切って、十五年。
 いやはや、まだ何も成し遂げていない身分で感傷に浸るのは分不相応であるがしかし、なかなかグッとくる。この歩みは人に言わせれば遅いのだろうし、人に言わせれば早いのだろう。ただ、不思議なことに当人に言わせても遅いし、当人に言わせても早いので、本当のところは誰にも分からない。
 ちなみに当たり前なのだが、バンドの真価は会場のキャパシティの大きさでは絶対に測れない。大きくない会場で滅茶苦茶にかっこいい音を鳴らしているバンドも存在すれば、大きい会場で、ほウ、みたいなバンドも存在する。価値観というのは千差万別なので、これに関して憤りを覚えたり、悲観的になったりは特にしない。諦めでなく、まア理解だね。
 しかしどうだろう、物事の出来る出来ないのラインがあるとして、越えてみたいと思うのは人の性分ではなかろうか。ということで、我々は単独公演を切るにあたりラインの向こう、ソールドアウト出来ない側にあるキャパシティの会場を選んだ。何事もそうだと思うのだが、安全牌とは刹那的なものであって、長期的に見ればそれは危険牌であると私は思っている。「ヤッバイんじゃないの、これ」をどうにかしようとすること、そして練った策でどうにか出来た時に、一歩だけ前に進んだことになると、そんなことを思っているのだ。
 と、偉そうに語ってみたものの、私はかなり慎重な人間だ。石橋を叩いて渡らなければ心配なのだ。出来ることなら石橋を壊れるまで叩いて叩いたその場所を補強して補強したその部分を何人かに渡らせた上で経過を見た後に命綱をつけてゆっくり渡りたい。
 つまり、毎回会場を大きくするその都度、メンバーやスタッフが私の背中を押してくれているのだ。私一人であったなら、もしかしたら単独公演自体、一度も行っていない可能性だって十分に考えられた。
 だからこの時も私は背中を押されていたのであった。


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「だからね、約、倍ってことでしょ。そもそも五十人増やすのがやっとだったわけじゃない、こないだまで。それを急激に三〇〇人増やしてヒーヒー言ってた我々が半年後に急に倍のキャパシティで出来るわけがないじゃないの」
 腕を組んだ姿勢のままソファの背もたれに身体を預け、提案された議題をろくすっぽ考えもせずあっさり否定するこの男が私だ。新しい風を社内に吹かせようと若いのが折角持ってきた革新的なアイディアを、通説のみを後ろ盾にして古びた刀でバッサリと切る、自らの成長をとっくに諦めた会社の重役よろしく、私は組んだ腕を解かなかった。
 一二〇〇人の会場、即ち赤坂ブリッツでの単独公演を直前に控えたナーバスな時期に出された提案は、二三〇〇人の会場、即ちZeppDiverCityの空き日程が急に出たので単独公演打っちゃおうよ、という突拍子もないものだった。
「不可能だね」私は腕組み更にギュッとやった。「もしやるってなったとしてだ。ほら、何か、よっぽどの理由がないとさ」
「あれ、今年俺たちって、今結成何年だっけ?」
 上杉が訊いたのに対して私は間髪入れずに答えた。「次の四月で満九年だね。いよいよ我々も十年目に突入」
 自分で言ったにも拘らず少し驚いた。高校生の時分に組んだバンドが、十年の背中を目前にしている現実を、誰が予想出来ただろうか。勢いで結成したバンドは、時期尚早にメジャーデビューを果たし敢えなく転落する。そこから自分たちで活動を再開し、 [NOiD] と言う真新しいレーベルと手を組んでからもう約二年の歳月が流れようとしているなんて。奇特な軌跡ではある。しかし、たくさんの方に力を貸してもらってたどり着けた素晴らしき今日であることに胸をいっぱいにしていると、傍らで柳沢がボソボソ何かを言っていた。
「何?」私は語気を強めて訊いた。
「あのさ、次で満十年じゃないかな、次の四月で十一年目じゃない? そしたらアニバーサリー的な、ほら」
「まアた馬鹿なこと言ってるね、お釣りの計算も出来ないお前さんが何を言い出すのかと思えば。まったく」
「いやだって、ほら」
 かわいそうに、柳沢は私の目の前で両の掌を目一杯広げ、指を一本ずつ懸命に折りながら数を数え始めた。なんだかとても不憫でウルッときた。
「いイち、にイい、さアん」
「やめて」
「しイい、あれ、次は、あ、そうだ、ごオお、ろオく」
「やめて、まじ、見ててつらい」
 そのまま続けさせてあげることも考えたが、彼がこの先に二桁になる計算をしなくてはならなくなった時のことを考えたら悲しさが余ってしまい、私は数え切るすんでのところで彼を正面から優しく抱きしめた。
「じゅう」
 私の胸の中で柳沢は十と数えた。本当は九だというのに。私は優しく言った。
「ううん、十はね、間違いなの。本当はね、九なの。九が正しいの」
 柳沢は広げた全ての指を折り曲げてグーになった両手を、ゆっくりと私に見せて言った。「じゅう」
「うん、わかった。でもね、九なんだよ。十じゃないの。我々は二〇〇五年結成でしょ? そこからもう一度数え直してごらん。ほら、いイち」
 私は柳沢の両の手をパーの状態に戻し、もう一度、一本ずつ指を折って数えるように促した。言われるがままに数え直す柳沢の姿を見て私は、不憫だ、と思った。
「じゅう」
 あア、また十まで数えたねこの人。まじ可哀想だ。三度目をやらせるのはしっかりと手本を見せてからの方が良いと判断した私は、柳沢の目の前でパーを二つ作り、丁寧に数えてみせた。
「いくよ。いち、に、さん、し」
 二〇〇五年からしっかりと数え見せる。柳沢は私の指がテンポ良く折れていくのを不思議そうに眺めていた。
「はい、じゅう」
 私はあっという間に十を数え終えてみせた。十を、数え終えて見せた。おや、ん? 十、数え終えたな。柳沢は両手がグーになった私の顔を感情の読めない目で見つめていた。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう」あれ。「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう」
 我々は次の四月で満十年、十一年目に突入しようとしていた。


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 十年目にすでに突入していたことが明らかになり慌てた我々であったが、慌てたところで何が出来るわけでもなし。でも折角ここまで活動出来たわけで、それはたくさんの方々の力添えがあってこそのものだという実感がある我々は、なあなあで過ごす一年にしてしまうのは如何なものか、という話に必然的になった。
 しかしその話と、ZeppDiverCityでの単独公演を直接結びつけるのはどうなのだろうと、私は最後まで抵抗したのだが、「ここでやらなきゃあなた一体いつやるつもりなんですか。結果的に何もやらない人の典型ですね」、「これやらなきゃなあなあの一年になりますけど、あなたはそれで良いと思っているという解釈で間違いないですね」、「やらないから出来ないんでしょ。あなたみたいにまごまごしてるやつが大抵映画の序盤で死ぬんですよね」等々、メンバー、スタッフの強い後押しによって、私は腕組みを解いて首を縦に振ったのであった。
 斯くして、結成十周年を記念したZeppDiverCityでの単独公演が決定したのであった。
 ちなみにこの時目論んだのはソールドアウトではなく、ソールドアウトへの布石となる大切な一日を作ること。私がつっぱねた最初の理由は自分で言うのもなんなのだが至極真っ当なものであり、やはり千を超えるキャパシティを半年で倍にするというのはなかなかに荒唐無稽な話なのである。どうにかしようと考えてどうにかなる類のものであるならば、我々に限らず皆、武道館だって東京ドームだって出来てしまうことになる。ロジックや正解のない世界だから、ここまで這うように進んできた我々のようなバンドが存在するわけだ。なので、近い将来、絶対に満員御礼にするべく大切にこの日を作り上げようとそういう話に落ち着いた。
 出来なかったことを結果としてだけ捉えるのではなく、出来なかったことを自分なりに布石にしていかなければならない、というスタンスは我々が十年かけて作り上げてきたものだったので、そういうことならばと俄然やる気になったのを覚えている。

 まア、だからと言って端から諦めていたのでは何も面白くないので、やることやっての結果にしようと一致団結。短いスパンで出来ることはそんなに多くはないので、月並みではあるがリリースをしようという話になった。
 リリースをするとメディアに構ってもらえる。構ってもらえるというか、そこには金銭が発生するので『買う』という言葉が最適なのかもしれない。現在進行形の自分たちをあなたに届けるにあたり、メディアの力を借りることは大切なことなのだ。そしてここも例外なく、対人、であるからして意志を伝えたり伝えてもらったりをしなければそもそも成り立たない。なので構ってくれただの、金で買っただの、そういう単純な話ではなかったりする。先に気持ちが、その後にも気持ちが、大事。
 毎月どこかでSUPER BEAVERというバンド名を目にしてもらえるような環境作りをしようと考え、アルバムの様なまとまめた形でリリースすることを避けた。小分けにして三ヶ月連続、それぞれをシングルとしてリリースすることにした。そしてお値段は、お値打ち価格の五百円。経費原価諸々を計算すると、売れば売るほど赤字になるという魔法のようなCDになってしまった。不思議だった。
 メンバー、マネージメント、頭を絞ってやれることは拙いなりにやった。
 まアこれで駄目なら、駄目なのだ。当たり前のことなのだが、そういうものだ。夢や目標は絶対に叶う類のものではない。頑張ればなんとかなるとか、努力すればどうにかなるなんてまやかしだと私は思っている。世の中には出来る奴と、出来ない奴の二種類しかいない。無情であるがこの当たり前は覆ることがない。ただ、出来る奴になりたいと思うのであれば、頑張らなきゃいけないし、努力もしなくちゃいけない。自分がどちらの人間なのか、判断も決定も自分にしか出来ないから人生は楽しい。

 会場を埋めたい、とそう考えるのは、自分たちが用意した日時とその場所に入れるだけの人が入って、入った分だけ存在する人生が、SUPER BEAVERの音楽という一点でクロスオーバーするロマンを体感したいと思うからだ。一つになる必要はないし、そもそも一つになんてなれやしないんだから、混ざり合うのではなくて、重なり合う感覚。それを最大人数で一緒に体験出来たら最高だと思っているんだよ。
 だからZeppDiverCityという会場を人でいっぱいにしたいと思うのだけど、一番やりたいのはZeppDiverCityで過去最高の夜だとあなたに思ってもらうことだ。ソールドアウトは結果であって、やりたいことは楽しいと思ってもらうこと。そして我々が楽しいと思うことだ。
 で、その上で、欲を掻けるなら、わがまま言えそうな雰囲気なら、贅沢が許されるなら、ZeppDiverCityをソールドアウトさせたい。
 今でなくても、いつかは絶対、と。そう思ったのであった。


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「売り切れました」
 マネージャーの永井はそう言った。
「なんの話?」
 私は尋ねた。
「チケット売り切れたっぽい」
「だからなんの」
「ZeppDiverCityの」
「あらそう」
 驚きすぎると人は大したリアクションが出来ないということをこの時学んだ。正直一体何が功を奏したのか分からない。リリースすることや、メディアの力を借りることは、何もこの時に始めたことではないし、年間一〇〇本やっていたライブを五〇〇本にしたわけでもない。何かに則って動いたわけでも、自分の中の何かが露骨に変化したわけでもない。となると今朝電車の中でカラカラ音を立てながら転がっていた空き缶をゴミ箱に捨てたこととか、路地から出てきた野良猫に可愛いねと声を掛けたことが神様に評価されたとか、そういうことか。
「あ、でも、あれか、一番は先週海辺で虐められていた亀を」
「なんですか」
「いや、なんでもない」
 一度目は売り切れなかったZeppDiverCityを次の機会で華々しくソールドアウトさせるという思い描いていた絵とは変わってしまったが、うまくいくに越したことはない。
 積み上げてきた様々なものが徐々に多くの人に届き始め、自分たちと共に歩める仲間が増えてきているという実感を、この時少しだけ持てたのを覚えている。これは数字で表せる事実でなく、感覚に近いものなのでなんとも形容し難いのだが、それでも背負って立つというそんな大層なことの片鱗まで見えた気がした。

 斯くして我々は、満員のZeppDiverCityで無事に単独公演を果たし、なんだか感動して泣いちゃったり、「美しい日」という曲が出来るきっかけになったりしたのだ。

 一つずつ段階を踏んで、一つずつ売り切って、現在。
 とある誰かは五大ドームツアーをやっていて、とある誰かはアリーナツアーを常に回っている。比較することではない、ただ、我々はまだ何も成し遂げていないと思う。
 それでも、人に言わせれば遅く、人に言わせれば早い自分たちの歩みの中で出会えたあなたは、我々にとって大き過ぎる宝物だ。
 あなたが見たい景色を、あなたと見たいし、俺たちが見たい景色を、あなたに見せたい。
 そんなこと、思い始めた、五年と少し前の話でございました。





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