中人小説

プロローグ

僕はあの事件のことを決して忘れないだろう。

僕はあのとき、まだ大人ではなかったし、もう子供でもなかった。

僕はなんでも知っているつもりだったし、なにひとつ知らなかったともいえる。
だから、月日が経った今だからこそ語れる方法で、あの事件のことをこれから丁寧に思い出しながら記していこうと思う。うまくいくかは分からない。

僕はその悲しくも滑稽なあの事件を「不思議の国のエビス・殺人事件」と名づけることからこのストーリーを始めたい。大人でも子供でもない君に向けて。

~第1章~

  これはフィクションである。
 僕は今まさにこれからペンを走らせようとしている(実際にはパソコンのキーボードを叩いているのだけど)この文章についての担保として、こう記しているわけではない。
 「これはフィクションだ」と、この事件現場で僕ははっきりと口にしたのだ。幾度となく。「これはフィクションだ」この言葉を発音したという事実はフィクションではない。
もっと言うと「これはフィクションである」僕はそう今でもどっかで思っているのだ。
いや、そう思いたい。そうでも思わないと、あの信じがたい事件に立ち会った僕でさえ気がおかしくなりそうなのだ。
だからおそらく、このあとも繰り返し言うことになるだろう「これはフィクションである」と。

 事件は唐突に起こった。被害者は、数々の作品を執筆してきたベテラン小説家、彼はメディアから、「子供の心を失わず、それでいて大人向けの上質な作品を生み出す」作家として高い評価を得ていた。何より彼の小説は売れた。
 そんな中、彼が新作として書き下ろしたのが「不思議の国のエビス」という作品であり、事件はその「不思議の国のエビス」の単行本のカバー撮影の日に起こったのだ。
 この小説家は、本の装丁、宣伝用のポスターなど、自分の作品が世に出る際にいちいち細部にまでひどくこだわる作家であり、売れっ子の彼が注文する一切を出版社はすべて受け入れる他なかった。
 今回のカバーは「不思議の国のエビス」という小説の世界観に合わせたポップなセットをスタジオに組み、そこで撮影されることになっていた。しかし、結果からいうとこの写真が撮影されることはなかったし、作家自身が残したダイイングメッセージとして、警察関係者の手によって、代わりに撮影された。
 話を戻す。「不思議の国のエビス」発売に伴う大々的なキャンペーンとして駆り出されたのが、まだ世間的には知名度は低いものの、それなりの人気を獲得しつつあった「私立恵比寿中学」という9人組のグループだった。正直な話、いくら作家のご機嫌を取るためとはいえ、国民的アイドルグループを一冊の本のキャンペーンに起用するほど、出版社にも予算はなかったのだろう。そしてまたしても結果からいうと、彼女たち私立恵比寿中学のメンバーがこの作品のキャンペーンキャラクターになることはなく、代わりに9人全員が容疑者となった。
 これはフィクションである。

~第2章~

 スチールにもムービーにも対応しているというそのスタジオは、都内中心にありアクセスは最高だったが、住宅街に位置していて些か狭かった。さらにその日は、せっかくの日曜にもかかわらず、朝から雨が降っていたこともあって湿度が高く、夕方になっても酷く蒸し暑かったのを今でもはっきりと憶えている。なぜなら、スタジオ内には冷房があったが、効きがあまりよくなかったから。余談だが、この『LILIUM STUDIO』というスタジオはその事件が起こった後、25日もしないうちに廃業となり、その70日後にはコインパーキングになった。

 手元にある事件があった日の香盤表を見ながら、一日のスケジュールを振り返ってみたい。撮影スタッフのスタジオ入り、搬入が9時開始。12時半から50分の昼食休憩を挟み、14時半にセッティング終了予定、撮影終了予定は19時、バラシを開始して、21時には全スタッフが完全撤収するはずだったようだ。私立恵比寿中学のメンバーは13時半より一人ずつスタジオ入りして、メイク後に順々に撮影していく。今回は9人のソロショットをポスターで使用することが決まっており、全員での撮影は予定されていなかった。ただ、全員の撮影が終わったあと、別室にて「不思議の国のエビス」の作者と私立恵比寿中学メンバー9人が「中学生と読書」というテーマで座談会をすることになっており、そちらは発売元の出版社の特設サイトにて掲載されることが決まっていた。

 残された香盤表にて当日の撮影順を確認する。順番は、「安本彩花 → 廣田あいか → 真山りか → 星名美怜 → 柏木ひなた → 松野莉奈 → 鈴木裕乃 → 瑞季 → 杏野なつ」となっている。しかし、僕の記憶では、当日になって、たしか真山りかさんと柏木ひなたさ んの順番を入れ替えてほしいとマネジメントサイドから連絡が入り、撮影の順番が変わったはずだ。小道具の用意などもあって、制作部が少しバタバタしていたので、僕はなんとなく憶えていた。これがあの事件にどういう影響を及ぼしたのかは分からない。まったく影響していないのかもしれない。いや、僕の主観などいらないのだ。僕は客観的事実を記述していけばよい。

 撮影当日、同時に事件当日、一番始めに安本彩花さんが女性のマネージャーに連れられてスタジオに入ってきた。チェックの長ズボンに白いシャツ、赤い蝶ネクタイという格好をした彼女は、なぜか申し訳なさそうに、おはようございます、と言った。なんだかアイドルらしくないな、と僕は思った。しかし、それは撮影が始まった途端、間違いだったと気づく。多くのスタッフが彼女の表情や動きのひとつひとつによって、すっかり笑顔になったのだ。僕の主観なんてそんなものである。彼女の撮影は淀みなく進んだが、撮影が終わったときも彼女は、ありがとうございました、となんだか申し訳なさそうに言った。もちろん、全スタッフが笑顔で彼女に拍手した。だから、彼女が人を殺すなんてありえない。ただ、これもいらぬ僕の主観だ。犯人は彼女を含めた9人の中に必ずいるのだから。

~第3章~

 廣田あいかさんがスタジオに入ってきたときのインパクトはとてつもなく大きかった。彼女の格好を細かく記述するほどの語彙を僕は持ち合わせていない。それでも無理やり説明するならば、エメラルドグリーン、スカイブルー、プリムローズ・イエロー、という単語を並べることしかできず、兎にも角にも派手だった。新進気鋭の現代アーティストがスケッチしたキャラクターがそのまま命を吹き込まれて、歩いてきたようだった。

 黄色のワンピースの衣装に着替えた廣田さんは、紫色のワンピースを着た安本さんの撮影をスタジオの隅からずっと見ていた。安本さんの撮影が終わると、二人は駆け寄り、二人にしか解らない暗号のような、なんだか摩訶不思議な言葉を奇声でも上げるかのように言い合って、笑った。

 柏木ひなたさんと星名美怜さんは二人一緒にスタジオ入りしてきた。女性のマネージャーさんに今撮ってきたばかりだというプリクラを見せていた。二人がいっぺんに話すのに対して、そのマネージャーさんはいつものことなのだろう、うまく相槌を打ってするすると受け流す。大声で喋り続ける柏木さんはサイズが合っていないような大きいベースボールキャップを斜めに被り、そのキャップには「SHUT UP ! 」と書いてあって面白かったし、 星名さんは淡い水色のワンピースの胸のところに大きな缶バッチを付けていて、そこには「everyday, Happy !! 」と書いてあって、可愛らしかった。

 その後、「おはようございます」と次々と声がした。眼鏡をかけた男性マネージャーに連れられ、5人のメンバーがいっぺんに入ってきた。おそらく、この撮影の前に他の仕事をして、別の現場からみんなで来たのだろう。そのまますぐに控え室に入ってしまったので、 記憶に残った、いくつかの断片を列挙していくと、真山りかさんは真っ赤なニット帽、松野莉奈さんは全身モノトーン、鈴木裕乃さんはGジャンを羽織っていたと思うし、たしか瑞季さんはヒールの高いサンダルを履いていて、杏野なつさんは上品なネイビーのジャケットを着こなしていた、ように思う。

 なぜ、僕がここまで私立恵比寿中学のメンバーの、入りの私服を出来る限りの記憶を辿ってまで記述したか不思議に思われるかもしれないが、殺された小説家がダイイングメッセージとして、顔と名前が一致していなかっただろう彼女たちの特徴として外見をヒントとして残したということは十分ありえることだし、事実、この小説家が最後に目にした彼女たち、つまり座談会中の彼女たちは、撮影用の衣装ではなく、私服だったのだ。悲しいことだし、信じたくないことだが、9人の中に犯人がいる。そして、もうすでに知りたくもなかった犯人その人を、探り当ててしまっている読者がいたとしても決しておかしくはない。

~第4章~

 ダイイングメッセージは嘘みたいな赤い紙粘土のような固まりで、そこに残されていた。「中人」。「中人」とは一体? たしかなことは「中」と「人」の二文字を死の間際に小説家がそこに残したという事実。この2文字を使って自分を殺した犯人を僕たちに知らせたかったのだ。

 僕は今、海の見える小さなカレー屋でこれを書いている。波打ち際で、若い母親と小さな女の子が遊んでいるのが見える。二人とも裸足だ。砂に埋もれた貝殻を拾っては太陽にかざす。若い母親はかつて「中人」だったし、その小さな娘はいずれ「中人」になるだろう。そして、すぐに「中人」ではなくなってしまう・・・。

 そんなことを考えていると、カレーが運ばれてきた。トマトをベースにしたルーと柔らかく煮込まれたチキンが売りのカレーだ。先に頼んで あったアイスチャイに、ガムシロップを入れて一口飲んだ。甘さが口いっぱいに広がる。波の音が微かに聴こえる。海鳥が飛んでいる。ときおり風がやさしく通り過ぎる。カレーが美味しい。この「中くらい」の幸せが心地よい。

 遺作となった小説家の「不思議の国のエビス」のページを捲る。文庫版のものだ。僕の人生でもう、何度読み返したことだろう。ハッピーエンドのはずなのに、やはり切ない空気が充満しているこの小説を僕は嫌いになれない。「中間」の小説。宙に浮いたままのような小説。この文庫版のあとがきには「彼が頑なに成熟を拒み、常に未開の地を目指し続けたからこそ、この小説の登場人物は人間と神の間を飛び回る、汚れのない〈天使〉という存在に成り得たのであろう、むろん作者自身も。」というある写真家の言葉が掲載されている。

 この文章を書いた写真家が撮った9人の容疑者の写真はあるCDのブックレットに収められている。この9枚の写真が、小説家を殺した犯人を指し示すものとなったという結果だけお知らせしておく。残されたダイイングメッセージとこの写真によって、犯人を割り出す作業はこれを読んだあなたに託したい。

~第5章~

 どうしても僕には彼女が犯人だとは思えなかった。あんなに小さく、か弱そうな女の子が・・・

 その子は、自分が犯人だということが自分でも信じられないような、不思議そうな、眠そうな、ぽけーっとした顔をして僕の顔を見ていた。僕は、殺された小説家が残したダイイングメッセージと一人ひとりが真ん中に写った9枚の写真によって犯人を割り出した。あまりにもあっさりとした事実。その事実は、僕に虚無感しか齎さなかった。

 そう、もしかすると読者の方の中には「僕」という人称でこの事件を語るお前は一体、誰なんだ、と気になっている方もおられるかもしれない。隠す必要もないから明かしておくと、僕は当時、川崎の小学校2年4組に通うただの小学生だった。お菓子とお昼寝が好きで、かえるが嫌いだった。

 お父さんは自由な人でほとんど家におらず、お母さんは感情豊かなハキハキした人で、僕は二人が大好きだった。当時の僕はたしかに小学2年生のどこにでもいる子供だったけど、周囲が思うほど子供ではなかったし、大人同士の話をよく聞き、理解もしていた。僕が解決した事件はそれまでにもたくさんあったし、地元では名探偵小判とあだ名で呼ばれていた。そういえば、あのアニメの主人公こそ中人ではなかったか。

 次回最終章、シリーズ解決編に続く。

~最終章~

 犯人を知らせてくれたのは、やはり小説家が死に際に残したダイイングメッセージを切り取った一枚の写真だった。「中人」とスタジオの床に血で書かれた文字。僕が最初に感じた違和感、そこに答えがありありと存在していた。その違和感とは、文字を残して力が尽きたのであろう手の形であり、しかしこの手の形が力尽きたというよりは、強い意志を持ってはっきりと、ある意味を持たされてそこに厳然と存在していたこと。その手の形とは、普通「GOOD」を表す際に使うような親指を立てた状態で硬直している点であった。

 そこで一人ひとりの容疑者の写真に目を移す。正面に写った9人は、さすがにキャンペーンに選ばれた、知名度はまだそこそこだとしても、それなりに人気のあるグループのメンバーといった表情と振る舞いで、可愛く写っている。しかし、結果、この9枚の写真のうち一枚が犯人を断定してしまっている点というのは、この正面に大きく写っている彼女たちの方ではなく、その後ろに小さく写っている、撮られていることも意識せずに休憩中各々遊戯している彼女たちの様子にあった。その写真によって、僕は瑞季さんが犯人であることがすぐ判った。

 「中人」と言う文字に、「GOOD」のサイン、それは小説家が「チューニン・グー」という意味で、ギターを持ってこれから弾こうとしている瑞季さんを指し示したのだ。今、このフィクションの虚しい結末を知った読者のみなさんと同じ虚無感を、僕は死ぬほど共有している。瑞季さんは、「犯人はあなたですね?」と訊いたときも、あくびをひとつして、スタジオの隅に置かれた冷蔵庫の方に向かって歩いていってしまった。

 喉が渇いたのだろう。てくてく歩いていく後ろ姿を僕は今でもはっきりと憶えている。その反応は、中人というより宇宙人だった。謎を解いた僕でさえ、それは信じがたいほど、薄っぺらいフィクションそのもので、自分が空っぽのような気がした。「名探偵小判」という僕のかつてのあだ名もそもそもフィクションを基にしたアレから取って付けられたものであるのだから、空っぽなのは当然で、もう笑うしかない。言うまでもなく苦笑いだ。

 ここまで書いてパソコンを閉じる。もう時間が差し迫ってきたからだ。僕はこの海の見える小さなカレー屋を後にして、これから、作ったばかりの新グループ「ワイキキ・シュノーガールズ」の初めてのフリーライブに向かうとする。そう、僕は偉大な父の後を継ぎ、理事長になった。事件からすでに30年以上経っているが、フィクションはまだこうしてつづいている。

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