「翼よあれがポンチャックの灯だ」第九回
DAY7(1996/10/7)   CAIRO→ROME
エコノミークラスの狭い座席でうつらうつらしていた俺は、陽気な歓声と拍手に起こされた。どうやらこのイタリア人たちは飛行機が無事に着陸したことを喜んでいるらしい。気がつけばもう地中海を渡っていたのだ。ジーザス・アンド・メリーチェーンとニューオーダーが好きなカンパニー松尾は、信じられないという顔で「何ですかこの国民は」とぼやいている。ニューオーダーとバウハウスが好きで彼よりさらに偏向した音楽趣味の私は、「この人たちずっとこの調子ですからね」と、とりなす。私も大人になったものだ。

エジプトを早朝に発ち我々は今ローマに到着した。ああアリタリア航空。

韓国料理
何度も言うが、日程がタイトだ。ローマも一泊しか出来ない。しかも秋のヨーロッパは太陽が早く沈む。雨でも降ったらそれこそお終いだが、案の定そういうことを考えた瞬間に小雨がぱらついてきた。タクシーの中で実はディープパープルが好きなパクサの少し日焼けした横顔を見る。エジプトでは韓国料理を食べれなかったがローマでは喰ってやる喰ってやる喰ってやると、決意がにじみ出ているような表情だ。飯を探すだけで、時間はかかる。こりゃ一カ所で全て撮影しなきゃならないな。

のどかな田園風景を抜け、我々を乗せたタクシーはローマ市街へと入っていく。道は突然細くなり、うねうねと曲がるうちにまた太くなり、路地のような石畳を通った次の瞬間には、目前に法隆寺ほどの大きさの教会がそびえ立ち、赤プリの別館のように荘厳な美術館があり、嵐山のタレントショップのような賑わいを見せる市場がある。永遠の都である。

そして永遠の都には韓国料理店がある。

ホテルにチェックインしたはいいが、まだベッドメイクが終了していないという。食事をして帰ってくるころには完了しているというので、近くに韓国料理または中華料理(白米!)がないかとフロントに聞く。1万円あればアジアでは豪遊出来るクラスのホテルなのだが、ローマは物価が高い。同じ金額でヨーロッパでは安宿になってしまう。安宿ということは、すごく親切なおじさんやおばさんがアットホームな出迎えをしてくれるか、無愛想な酒臭いハゲオヤジが面倒臭そうに扱ってくれるか、どちらかだ。後者だった。ディオンヌ・ワーウィックをカラオケで熱唱してそうなそのフロントは、10メートルも行けば日本料理屋があると言った。こりゃらっきい、いくべいくべ。

…潰れとるやんけ。しかも日本料理じゃなくて中華料理店。

という訳で今日一回目の彷徨が始まった。ホテルは市内の中心地近くなので、飲食店を探すのは困らないが、生憎韓国料理だけ見つからない。本屋があれば現地のガイドブックで何とか探すが、それも見あたらない。

途方にくれてしばらく歩いているうちに、最初に看板を見つけたのは結局パクサだった。「アリラン」とハングル文字が見える。その看板のいい加減な地図を頼りに我々はようやく昼食にありついた。パクサは、「ローマに美味しい店があるって聞いてわざわざソウルから駆けつけたんだよママさん」とシンガポールと全く同じセリフを言っている。

パクサの時計が壊れた。バンコクで値切りたおして露天で買った金メッキの腕時計なので、ま、当然である。飛行機の気圧の変化に耐えられるようなシロモノではない。ビデオには壊れたというシーンまでしか収録していないが、続きがある。突然パクサはその時計を持って店の外に出ていった、何事かと監督二人は追いかける。SMAPが好きな通訳のグレースに聞くと、どうやら癪なので路上にその時計を置いて誰か持っていくのを見てやろうという、子供レベルのいたずらである。店の前に置いてパクサはしばらく待ってみたが誰も通らないので、わざわざ大通りまで行き物陰で誰が拾うか見ていた。結局黒人のおばさんが拾って、かつその一部始終をビデオは追跡していたのだが、どうも道義的に悪いような気がした上に、待っている最中にとどめとしてパクサが犬の糞を踏んでしまい、そちらの方がはるかに面白かったので、そのシーンはカットされた。

ホテルに戻ってはみたものの、まだベッドメイクが終了していない。おいおい話が違うやんけと凄むが相手はイタリア人だ。そいつは俺の管轄じゃないよおんと涼しい顔をしている。ま、そのうち終わるだろうとロビーで待ってみたのだが、一向に我々を部屋に案内する気配がない。わしら撮影で急いどるんや、早くしてくれなモノ壊すど。と再度凄むがのれんに腕押し。どうも腹が立つと大阪弁になる。大阪出身だから当たり前だが、脳で大阪弁を英語に翻訳して喋っている。あはは。

笑っている場合ではない。

とは言え「あと少しで終わるから」というフロントの言葉を信じさらに三十分待つが、そのおっさんがその間したことは鼻くそをほじったぐらいだ。埒があかない。仕方ないのでロビーで腕立て伏せを始め腹筋を始め、それでもすることが無くなってパクサにカンフーを習った。ステージアクションはロッドスチュウアートを参考にしているイ・パクサ、一応カンフーの基礎があるらしい。日本の中学生が授業で柔道をする程度らしいのだが、それでも俺よりはサマになっている。昔担当していたアーティストが空手が得意だったので、オフィスで必死に腕の突き出しかたを練習したことを思い出す。

蹴りと突きを「ハイィ」などと適当なかけ声と共にやっていると、フロントのオヤジが消化器を持ってロビーに駆け込んできた。
「イヤイヤ、戦争が始まったのかと思って駆けつけたよおん」
どうやらこいつはギャグのつもりでやってきたらしい。おっさん、道頓堀に沈んだカーネルサンダースと同じ思いさせたろか。
(つづく)

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