「エジプト旅行(後編)」第八回
DAY7(1996/10/7)   CAIRO
(前回までのあらすじ)
呑気にエジプトくんだりまで来た、李博士・カンパニー松尾・バクシーシ山下・白井嘉一郎・グレース=ユン(ソニー・ミュージック・コリア)の一行は、灼熱の砂漠で撮影をしたおかげで、へとへとに疲れました。

てな訳で昼食だ。ガイド兼運転手の二丁拳銃が似合いそうなアントニオに、念のため韓国料理店が周辺にあるか訪ねてみるが、答えはもちろんNO。仕方なしに、何でもいいから米が食える場所に連れて行けとリクエストすると、これまた観光客相手のレストランに案内される。ちなみに普通に米は食べているのね。

ピラミッドからは車で15分ほどの、オープンエアと言えば聞こえはいいが、蠅が飛び交ううらびれた屋外のレストランで、羊の肉を焼いただけのシロモノにごわごわの米がどっさり添えられた一膳料理に手を焼いていると、アントニオが「エジプトの伝統的な歌でも聞かないか」と、不気味な表情でコカインの密売を持ちかけるような口調で誘う。ま、飯も不味いし、撮影のネタにでもなるかなと思いOKすると、店の裏手のかまどがある厨房のような所へ連れて行かれた。既にそこには大量のおばはんが打楽器を抱えてにこにこしている。どうやら飯炊きの歌のようだ。

「ほんじゃそろそろいくべか」とか何とか言って、そのおばはん連中は景気のいい歌を唄い始めた。キムチもなく米も不味い上に何だか分からない裏手へ引き込まれてむすっとしていたパクサだが、ビデオが回り音楽が鳴ると、反射的に撮影だと解釈したらしく、頼んでもいないのに、一緒に踊りだした。で、もう合いの手ジョワジョワウリィヒーの世界が結局15分ほど続き、エジプトのおばはんと韓国のおっさんは随分と意気投合した塩梅で握手をして分かれたのだが、最後にアントニオが「彼女たちにチップを多めにあげるように」と、みかじめ料を取り立てるかのような声で俺の耳元で囁いた。

中途半端な昼食を終え、我々は今度はスフィンクスを撮影するために、再びピラミッド地区に戻った。と、アントニオが「駱駝に乗ってもう一度ピラミッドに行くのはどうか。撮影にもいいぞ」とフランク永井のような低音で言う。どうせまた金が掛かるんだろ、とは思ったが、これまた乗ることにした。

「ああ日本人日本人に駱駝いいよ楽しいよう景色はいいし気分は爽快爽快」などとやたらテンションの高い小太りの駱駝オヤジを紹介され、我々一行は一人一頭の駱駝をあてがわれた。手綱はどうやらそのオヤジの息子らしい少年が二頭ずつまとめて引いてくれるらしい。ところが、ここで問題が生じた、既にバンコクで象に乗ること自体決死の覚悟だったらしいパクサが、異常に駱駝を怖がって絶対に乗らないというのだ。

うむ、ディレクターたるものアーティストを説得できないでどうするか、とは言え、駱駝に乗るように説得するディレクターは世界広しと言えども俺が初めてだろうなと思いながら、あの手この手でパクサに乗るように説き伏せる。男じゃないか、女房に笑われるぞ、らくだに乗らずしてエジプトに来たと言う無かれ、絶対に安全だ、多分安全だ、走ったりしないから、落ちても下は砂漠だ怪我はしない、これが終われば夕飯だ、かわいいギャルとすれちがうかも、きゃーらくだに乗る人って素敵なんちて、しかもらくだに乗ればCDが売れるぞ。などなど、後半はほとんど自分でも何を言っているのか分からなくなってきたが、それでも最後のらくだに乗ればCDが売れるという意味不明のセリフに、どういう思考回路だかパクサは納得したらしく、しぶしぶOKしてくれた。

しかし駱駝はよかった。

景色はいいし、ゆらりゆらりと砂漠を進むスピードがまた心地よい。風が心地よい。心なしかAV監督の顔も純真な少年の表情に戻っている。10分ほど駱駝の背中に揺られ、小さな砂丘を越えて遠くにピラミッドが見えて来た時は、今日何度目かの「おおおお」という声が出た。これが仕事だと思うとなお楽しい。

一方パクサはと言えば、もはや顔面蒼白。手綱を引く少年にしきりに「すろうすろう」と声を掛けている。どうやら英語で「slow」と言っているつもりらしい。怖いのでゆっくり行けということだろう。自分だけラバに乗って道案内をしている、例のテンションの高い駱駝オヤジが「これ以上遅く歩けない」と笑っている。このオヤジ、小太り体型でぶかぶかの肌色のローブを着ているところにラバに乗っているものだから、何やらラバと人間が同化しているようであり、体裁の悪いケンタウロスのようだ。

「もう限界だ。こんなことをするために韓国から来たのではない。社長(ソニー・ミュージック・コリアのユン社長のこと。連載第三回参照)に電話してやめさせてもらう」と、とうとうパクサがギブアップした。こんな砂漠のど真ん中で電話もないだろうと思うが、どうやらもうこれ以上駱駝に乗るのはイヤらしい。本当に怖かったのだな。しかし我々はスタート地点から既に20分近く駱駝に揺られてきたのだ、どうやって帰るの?
「歩いてホテルまで帰る」

しかし我々も人が悪い。どうせ歩くなら駱駝を引きながら帰るシーンを撮影しようということで、パクサに駱駝の手綱を渡した。だが、案の定というか何というか、手綱を引くのもびくびくして、どうにもサマにならない。5分ほどアングルを変えたりして色々工夫をしたが、どうしても駱駝と一緒に砂漠を横切るなんて出来ないということで、ロングのシーンは撮影できなかった。

「どうだ楽しかったか」と、ラスベガスでVIPの接待をした後のマフィアのような声でアントニオが聞く。

そしてようやくスフィンクスだ。スフィンクスだ。と思ったら、あんまり大きくないんだな、これが。その上しっかり見れる場所が限られている上にそのポイントはビデオ撮影禁止で、こりゃどうにもならん。監督二人と相談したが、さっきのシーンまでで十分だなという話になり、どうせならピラミッドの中を観光して今日の撮影は終了しようということにした。

「そうかそうか、じゃあもう一度ピラミッドの中に入るにはさらに入場券がいるから金を渡せ」とアントニオ。どうも観光ガイドに書いてある値段と違うような気がしたので、そう言うと。「おい、おれを信じないのかレシートも貰ってきたほら見てみろ」と、ただでさえ低い声をさらに凄ませる。確かにレシートは渡した金額の通りだった。こちらの勘違いだった。エジプトは信用できないとはなっから決めつけていた俺が悪かった。素直に謝ると、初めてアントニオの笑顔が見れた。

案の定パクサはピラミッドの中に入ることも怖がった。狭いところも高いところも早いところも、全て人間の生理に逆らうようなところはダメなのだなこの人は。我々が汗だくで古代のロマンを探索している間、かれはピラミッドの下で何やらカイロ郊外からきた家族連れの観光客と仲良くなってコーラをごちそうになっていた。

ホテルの前でアントニオと分かれる。今日一日のギャラを交渉しなければならない、あげく「お前は今日の俺の働き具合を幾らで見積もる?」と逆に不敵な質問のされかたをした。こういう言い方をされると小心者の俺はびびる。当初予定した金額に少しだけ上乗せした額を提示してみる。ああ、これで「話にならないぜ兄弟」とか言われたらどうしよう、と思っていたが、返事はあっさりOK。しまった、もう少し低い額でも良かったのだ。

長い一日が終わった。パクサはレストランに行く元気も無く、仕方ないので部屋で韓国から持ってきた真っ赤なスープのカップ麺を啜りすぐ寝てしまった。我々はホテルでありきたりの夕食を済ませた。日本を出てから初めて韓国料理以外の夕食だ。

部屋に戻り風呂に入って砂漠の埃を洗い流していると、ひどいイタリア訛の男から電話が掛かってきた。
「モシモシ」
「はい」
「オ前ハ日本人カ?」
「そうだが何か」
「ドウシテ今日ろびーニ来ナカッタ」
「行ったぞ」
「イヤ、来ナカッタ。俺ハろびーデ3時間モ待ッテタ」
「ちょっとまて、ちゃんとロビーでアントニオと会ってタクシーで観光をした」
「馬鹿野郎、私ガあんとにおダ、ソレハ別人ダ」
「えええええええええええええええええええええ」
「オイ、チョット聞ケ。俺ハコノ仕事初メテ10年タツ。えじぷとノコトハ何デモ知ッテイル、車ハチャントえあこん付キダ。オオオオ俺ハナ、チチチチチャントシタがいどダゾ」
「しかし、あのアントニオは俺たちの名前を書いた紙とか持っていたぞ」
「ダダダダカラ、あんとにをハ俺ダ!」
「じゃ、じゃああれは」
「オマエハ騙サレタノダ、俺ノ今日ノ稼ギモぱーダ!」
「そそそそれは…」
「オマエハ、明日ハ観光シナイノカ?」
「いや、早朝の飛行機で出発する」
「クククク、クソッ」

電話の男は、興奮してきてさらにイタリア訛がひどくなっていく。なるほど、一度もあのガイドに名前を確認はしなかった。彼はアントニオではなかったのだ。俺の名前が書いてある紙切れを持っていたがために、てっきり信じてしまったのだ。本物のアントニオはまだ電話口で愚痴をまくし立てている。しかし、ここで下手に謝って何か要求されても困るので「それは残念だ」とか、「信じられない」などと、相槌を打っているうちに、ひとしきり喋り尽くした本物のアントニオは、「マ、仕方ナイカ」と言って電話を切った。どうやら気がおさまったらしい。

風呂に浸かりながら、日本人の金をあてにしながらロビーで待ち続ける男のことを考えてみた。アントニオと名乗る謎の男は今日の朝、堂々ととその時ロビーにいた。きっと本物のアントニオの顔も見ていたに違いない。一応高級ホテルなので、出入りする観光客相手のガイドたちは全員顔見知りの可能性すらある。だが、逆に今の電話が本当にアントニオである確証もない。あるいは両方とも本物のアントニオですらないかもしれない。何にせよ、誰にせよ俺が払った金は1万円にも満たない。ガイドとしての役ははたしてもらったので、俺が損をした訳ではない。彼らは明日どんな客のガイドをするのだろう。いずれにせよ、彼らと二度と会うこともあるまい。そろそろ日本を出て一週間も経つな、などと考えながら眠りについた。

それにしても、アントニオって誰だったのだろう。「俺を信じられないのか」と言っていた不適なあの男。

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