「ポンチャック特急」第三回
DAY2(1996/10/2)  HONGKONG→BANGKOK
 あー、そうですね、暑いですね、こんな日はタクシーも大変ですね。あ、年中暑いですか。いや、日本人です。英語はイギリスで勉強しました。上手?いやいやまだまだっすよ、ほら発音とか悪いでしょ。しかし、噂には聞いていたけど、本当に凄いっすねバンコクの渋滞は。女?いやいや結構です、ゲイなんで。なんちて。もっと安いホテルがあるって言われても、もう予約してるホテルなんでねえ。いや、本当に運転手さんお気遣いなく。って言うか黙ってくれねえかおい。

最後の罵倒だけは日本語で言いながら、俺の指先は後部座席のライターのソケットに伸びる。音をたてないようにゆっくりライターを抜き出し、かわりに持参のアダプターを差し込み、運転手に気づかれないようにキーボード用のバッテリの充電を始める。たぶんこれって電気泥棒なのね。出発日の前日に俺が泥酔さえしていなければ、こんな苦労はしなくてすんだのだ。恐ろしい早さで消耗されてしまうバッテリーはホテルで充電している程度では追いつかないことが判明した。なのでたとえそれがタクシーの中でも隙あらば電源がありそう所で充電しなければならないのだ。スペアの電源は今でも俺の家に所在なく転がっているはずだ。
二日目バンコク。午後に香港を出発し、夕方に到着したため、演奏の撮影はナシ。そして、バンコク市内のホテルに到着した我々を待っていたのは、なぜかソニー・ミュージック韓国のユン社長だった。

「いやあ、ソニー・ミュージックインターナショナルのミーティングがタイでありまして。せっかくだからイ・パクサにも会っていこうと。どうですか彼の具合は?」はあ、まだ二日目なんで何とも。「そうですか、そうですか、大変ですねこの日程。体だけは大事にして下さい。それじゃとりあえず食事でもしましょうか」

勿論この場合食事とは韓国料理のことである。偶然にもホテルの隣は韓国料理店なのだ。出発二日目、イ・パクサの夕食は両日ともテンジャンチゲ。

ユン社長は素晴らしく流暢な日本語を話す。元空軍士官(多分)、上智大学とハーバードに留学、トミー・モトーラとは友人で、簡単に言うとエリート中のエリート。

「いやあ、期待していますよ白井さん。是非イ・パクサを私は売りたいのです」

韓国ではレコード会社が原盤を制作することは非常に希だ。主にプロダクションが音をつくり、レコード会社はディストリビューターの役目に甘んじることが多い。当然契約条件に関してはプロダクションが優位に立つように設定される。従って、イ・パクサのようにレコード会社と直接契約を結ぶ例は本当に希少価値であり、かつ今後のソニーミュージック韓国の目指す方向性をも先取りしていたりするのだ。ちょっと専門的な話ですが、要するに韓国ではレコード会社の立場が弱いのだ。そして、さらに、ユン社長はソニーと契約すれば日本で有名になれるという神話を作りたがっている。ただ、韓国で働かないかと誘うのはやめて下さいユン社長。

イ・パクサとユン社長が何か激しく言い争っているように見える。口角に泡を飛ばし、身振り手振りも大きい、私は慣れているのだが、初めてのバクシーシ山下とカンパニー松尾は少々困惑した表情で眺めている。だが私はそれが決して喧嘩ではないことを知っている。感情の表現方法が激しい国民性なのだ。ほら、もう笑っている。そして、ユン社長とイ・パクサの話の内容は案の定こうだった。
「バンコクの女はいいらしいぞ」

てな訳で、当然のごとくAVが凄く好きなスタッフ(私のことです)とAV監督2人はパッポンのゴーゴーバー潜入取材に胸をときめかす訳なのだ。そう、かつての東京12チャンネルで放映されていた「アムステルダム売春地帯潜入!!」みたいな。だが、食事を終えたパクサはそそくさと部屋に帰ろうとしている。あれあれ、あんだけユン社長と楽しそうに女はグラマーな方がいいとか話してたのに、どうしたの?と質問すると途端に彼はぱっと顔を輝かせ、そしてそのあと少しはにかんだように笑った。

「あああ、白井さん一緒に行きますか?」

悪名高きパッポンストリートだが、実は結構欧米人はカップルで来ていたりする。ま、最近は日本でもアダルトグッズの店にカップルで来店するご時世だからな。自分だけど。そして、ゴーゴーバーの前にはずらっとチープな露店が並び、悪の巣窟を想像していた私は少々拍子抜けする。いや、歌舞伎町が悪の巣窟だとすれば、その縮小版のようなたたずまいと言うべきか。そして、イ・パクサは半裸の女よりも怪しげな露店に置かれた、明白に偽物の金ぴか時計の方がお気に入りのようだ。じっくり、ゆっくり全ての露店を見ていく。だが、買わない。

カンパニー松尾が携帯電話のミニチュアライターを見つけ喜んでいたら、キムさんがそれを私にプレゼントしてくれるという。ううむ理由はよく分からないが好かれてることは確かなようだ。そして、露店の若い売り子との値引き交渉が始まる。しばらく交渉した結果200バーツで交渉は成立した。タイの物価からすればどうかと思う値段だが、別に後味の悪い思いまでして値びく気もせず、何より、金を払うキムさんがOKしているのだからそれでいいということにした。だが、この我々の中途半端な妥協を見逃さなかったのが隣で金ぴか時計を見続けていたイ・パクサだった。

イ・パクサとキムさんは大親友なのだが、ちょっとキムさんが何かやろうとすると途端にパクサの負けず嫌いが首をもたげる。で、必ずキムさんの上を行こうとする。ここでも突然闘志をかきたてられた顔をして、その売り娘に「4個買うから400バーツにしろ」と交渉を始めた。さっきの半額である。しかも絶対に譲らない強引な交渉、いわく韓国からの飛行機代が高くてもう金がない(おい、さっき空港で両替した400ドルはどうなった)、いわくタバコも買わにゃならんし食事も必要だ(俺がやったタバコとさっきのテンジャンチゲは何なんだ)。いわく…。これを全部韓国語でまくし立てる。当然相手も何を言っているかさっぱり分からないはずだが、これだけ過剰なボディーランゲージがあれば、日本人の我々にまで完璧に何が言いたいか伝わる。芸人あなどりがたし。

結局、根負けした売り娘は430バーツまで値を下げた。

そして携帯電話風のライターでポケットをぱんぱんにした日韓混成チームはゴーゴーバーに乗り込んだ。ド派手なアロハを着た韓国人を先頭に。

(第四回へ)
TOPへ