PRESENTS

電気グルーヴの飛び入りライブやパーティのインターネット中継等、数々の話題を呼び、昨年の伝説のパーティのひとつともなった、あの“テヒノ・フェスト”から約1年。日独のトップDJ達が出演するパーティ、“テヒノ・フェスト”が2月20日、新宿リキッドルームにおいて開催された。

今年は“LOOPA”プレゼンツということで、日本からは石野卓球とDJ TASAKA、そしてドイツからは、トーマス・シューマッハとマイク・ヴァン・ダイクが参加した。前回の評判も手伝ってか、前売り券をまったく出さなかったこのパーティだというのに朝の4:00まで入場制限が必要だった程の大盛況ぶりで、最終的に1500人ものクラウドが集まったそうだ。


 DJの一番手は、テクノDJでも有数のスクラッチの名手で、そのオリジナリティー溢れるプレイが評判のDJ TASAKA。この日も、ヒップホップやエレクトロとテクノの巧みなミックスで、フロアを熱狂的に湧かせていた。24:00を回らないうちから、フロアでこれ程の熱狂ぶりを見せるパーティも近年稀に見るものだ。DJテクニック、人気の上でも、若手テクノDJの中で突出した才能を感じさせてくれる素晴らしいプレイだった。

 DJ TASAKAに引き続いて、今や、テクノDJとしてもアーティストとしても日本の頂点に立つ男、石野卓球へ。ピッチを落とした「polynesia」の上から、何とGrandmaster Melle Mel and The Furious FiveのThe Messageのラップを乗せるという荒ワザでフロアは狂喜乱舞!さらに80年代のポップスターであるハワード・ジョーンズの曲を45回転でかけてエレクトロっぽく聞かせたり等、クラウドがまったく予想できない展開を作っていく。クラウドのノリもただブースに向かって歓声を上げるだけでなく、すし詰めのフロアの中でも何かハッピーでくつろいだ感じで思い思いに楽しんでいる様子が伺えた。

 フロアの熱狂をそのまま引き継ぎ、トーマス・シューマッハが登場!クラウドの期待が集まるのが、また一気にブースへと感じられる。トーマスは、アッパーなハード・テクノ中心の選曲で満場のフロアを盛り上げる。後半にさしかかったところで、フロア待望の「When I Rock」をプレイ!ブブブブブ...という、あの特徴的なうねるベース音が聞こえてくるだけで、フロアの歓声が割れんばかりに上がることからも、この「When I Rock」の人気の高さが伝わってくる。ブレイクから一気に盛り上がるタイミングで、大柄なトーマスが拳を振り上げ、客を煽る姿は本当に圧巻だった。トーマスは、ヨハネス・ハイルのオリジナルにリミックスを二枚がけしてクラウドを思う存分、楽しませてくれた。

 3:30を過ぎた頃、マイク・ヴァン・ダイクのDJへとバトンタッチ。会心のプレイで興奮気味のトーマスも、ブースの横で自分のかけた最後のレコードを振り回してマイクのプレイを盛り立てる。この日のマイクは、親しみやすいメロディラインが入ったトランスっぽい選曲というよりも、どちらかというと、テクノやハードテクノ目のヒットトラックを展開していた。後半は、高音が特徴的でアッパーなトランスやテクノに序々にシフトしていき、クラウドを上げていく様子はさすが。日本ではライブ・プレイの多いマイク、この日初めてマイクのDJを体験したというクラウドも多かったのではないかと思われるが、そういったクラウドの期待に存分に応えてくれるプレイ内容だった。

マイクの終盤のプレイから、トーマス・シューマッハ、卓球、DJ TASAKA、マイク...と入れ代わり立ち代わりでDJをしていき、そのままアンコールへと勢いよく突入。DJ TASAKAがPUBLIC ENEMY「BRING UP THE NOISE」を45回転でかけ、卓球がアイソレーターを操作する、その二人の絶妙のコンビネーションは本当に素晴らしいものだった。そして、フィナーレ間近でかかった「虹」!両手を差し上げ、歓声を上げるクラウド、至福の笑顔。フロアの感動はこの時、頂点に達した。その後、ダウンビートもののトラックを余韻を残しながらスピンして、パーティが終了。この時、時計は7:30を回っていたのだった!


 このパーティは、昨年のパーティと同様に、「テクノ」というエレクトロニック・ミュージックが持つ幅広く限り無い可能性と楽しみを教えてくれたものだった。特に卓球やTASAKAが見せてくれた、選曲やトラック展開の意外性、バックスピンやスクラッチを多用したミックス、33回転レコードの45回転でのプレイ等、今までまったく見たことのない、DJテクニックや音楽体験に開眼させられたクラウドも多かったのではないだろうか。日本とドイツのテクノシーンの現在進行中のエキサイティングな現場を同時に体験できる、このようなコンセプトのパーティをもっともっと多く開いて欲しいと思わせてもらったパーティだった。

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