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デトロイト・テクノが今のように大きく評価され、確固たるテクノの聖地として崇められるようになったきっかけは何か?デリック・メイ、ホワン・アトキンス、いや違う。ケヴィン・サンダーソンは大きな存在であるが、むしろ今はハウスの流れで語られる部分が強い。実際のところ、90年以降にメキメキと頭角を現してきたURとプラス8のヨーロッパ・レイヴでの大ヒットが現在のテクノ・シーンにおけるデトロイトの評価を決定付けることになったのである。デリックやホワンへのオリジネーターとしての高い評価はその後のデトロイト・テクノ・リヴァイヴァルでのことである。そういった意味ではプラス8の存在は最も早くからヨーロッパでテクノとして認知されたデトロイトのレーベルのひとつでは無かっただろうか?まずは簡単にその歴史を振り返ってみよう。

プラス8はリッチー・ホーティンとジョン・アクアヴィヴァによって89年にカナダのウィンザーで設立されたレーベル。カナダのウィンザーはアメリカのデトロイトとは河を挟んで目と鼻の先のロケーションである。よってプラス8作品もデトロイト・テクノの範疇で捉えられている。リッチー・ホーティンは70年にイギリスで生まれ、その後9歳の時に家族でカナダへ移住。高校生の頃からハウス・ミュージックに興味を持つようになり、デトロイトのクラブに出かけてはデリック・メイやホワン・アトキンスのDJを聴きに行ったという。やがて87年頃、17歳の時からDJをスタートし、同時にトラック作りにも興味を持つようになった。そして良きパートナーとしてジョン・アクアヴィヴァと出会い、二人で89年にプラス8を設立したのである。レーベル名の由来はターンテーブルのピッチコントロールの最速位置である+8を意味しており、当時の彼らのハードな志向が伺えるネーミングだろう。ジョンア・アクアヴィヴァは63年にイタリアで生まれた。その後カナダに移住し80年から本格的にDJをスタートする。その後アシッド・ハウスに傾倒し、自らも曲作りを始め、リッチーと共にプラス8を設立したという次第だ。ジョンは、業界では非常にしっかりしたレーベル運営の力を持っており、経済観念もバッチリ兼ね備えているという評判だ。リッチー・ホーティンとは7つも年齢がはなれているので、頼れる兄貴といった感じだろう。プラス8の第一作目であるStates of Mindというユニットはリッチーとジョンによるもの。彼らがはじめて一緒に作り上げた記念碑的作品だ。大したヒットはしなかったものの今聴いても味のあるハウス・トラックである。90年代に入るとブリープやハード・コア・テクノなど、よりエレクトリックでハードなハウス・ビートがヨーロッパを中心に大ブレイクとなる。そんな中、当時としてはハードめのサウンドを呈示していたプラス8が彼らに受けたのであった。もちろん今、当時の作品を聴いてもそんなにハードだと感じないだろうが、あの頃はプラス8はハード・テクノのレーベルという印象があった。そして、そのブレイクのきっかけとなった作品がサイバーソニック。イギリスではチャンピオン・レーベルへライセンスされ、ブリープ・ハウスの一端として評判となっていたのを記憶している。その後ファイナル・エクスポージャーなど、よりハードな作品を発表しヨーロッパのレイヴ・シーンで確実にファンを増やしていくことに。さらにサブ・レーベルのプローブをスタートし、大手のノヴァミュートへとライセンスされ、一般的にもリッチー・ホーティンの存在はクローズ・アップされることとなった。またその後、リッチーのプロジェクトであるFUSEはシェフィールドのワープへライセンスされアーティフィシャル・インテリジェンス・シリーズの一環として知られることとなる。そしてそして、さらなる大ブレイクを迎えることになるはプラスチックマンの登場によってであった。その革新的なトラックはクラブを中心大評判となり、リッチーをデトロイト・テクノのカリスマ的存在へと押し上げた。これもまたノヴァミュートが大々的にプロモーションを行うことによって、かなりポピュラーな存在となった。このようにヨーロッパでの成功が、リッチーの、そしてプラス8の成功へと繋がったのである。現在でもシーンの中心はヨーロッパであり、いかにデトロイトで制作を行い流通させても、やはり最終的には巨大ヨーロッパ・レイヴの恩恵を受けて今のステータスがあるといえるのではないだろうか。

それでは一曲づつの簡単な解説をしていこう。

1. Cybersonik /Technarchy(Plus 8003)
ジョン、リッチー、そしてDBXことダニエル・ベルによるユニット。ブリープ的なシンセの発振音が話題となりヨーロッパのレイヴで大ヒットした。チャンピオンからのUK盤は初回イエロー・ヴァイナルだった。
2.Psyance/Motion(Plus 8006)
サイエンスはロン・アレンによるユニット。初期はハイデン・ブラウンも参加している。ロンはプラス8と同じくインテリネット系のレーベルであるスティックマンやニック・ホルダーなどで知られるDNHなどからも良質のハウス・トラックをリリース。昔、トロントのバンドでマーサ&ザ・マフィンズに同名の人がいたが・・?
3. Kenny Larkin/Colonize(Plus 8008)
トランスマットからのダーク・コメディと共に初期のケニー・ラーキンによる傑作のひとつ。グルーヴィなハウス・ビートにデトロイトならではの哀愁漂うコード展開が聴ける。その後はデトロイトの第三世代としてR&S,ワープ、バズなどから秀作を発表しコンスタントな活動を続けている。
4.Final Exposure/Vortex (Plus 8010)
リッチー・ホーティンとNYテクノの神様ジョーイ・ベルトラムそしてR&Sやサインウェイヴでもおなじみのモンド・ムジークによる黄金ユニット。この曲もハード・コア・テクノが盛んだったヨーロッパで大ヒットを記録。ベルトラムはこの頃は既に有名な存在だった。
5.Speedy J/Evolution(Plus 8011)
初期プラス8の顔、オランダのヨシェム・パアプ。重いビートとブリープっぽい音が強烈なハード・テクノ。ヨーロッパのレイヴでもヒットとなり彼の存在を世界的にアピールすることとなった。ちなみにスピーディJという名前はスクラッチがめちゃくちゃ早かったから名付けられたという。
6.F.U.S.E./F.U.2 (Plus 8013)
元々はサブ・レーベルのプローブの第一作目としてリリースされた曲。プラス8からはリ・エディットされて発表された。後のサーキット・ブレーカー系のリズムがグイグイ走るハード・アシッド・テクノ。ノヴァ・ミュートへもライセンスされた。このスタイルの曲は人気が高い。
7.Speedy J/Pullover(Plus 8014R-09R)
コンピレーション・アルバム「From Our Minds To Yours Vol1」(Plus 8009)に収録されていた曲で、後になって好評だったこの曲をリミックス盤としてリリースしたもの。彼は現在はかなり実験的なブレイクビーツっぽいノイジーなエレクトロニカ・サウンドを制作。
8.V-room/G-Hertz(Plus 8017)
このユニットはガイジス・ヴルームによるユニット。オランダのESPなどからも作品をリリースしている。美しいシンセの展開の力強いビートはデトロイト・テクノの本道ともいえるスタイル。ハデな存在ではなかったが印象に残る作品だった。
9.UTU/Between The Mirrors(Plus 8026)
ケン・イシイによる変名。プラス8という信頼できるレーベルから作品をリリースできた日本人アーティストは彼しかいない。R&S,ESPと立て続けにリリースしていた彼の初期作品のひとつ。個人的にもケン・イシイの作品の中でかなり好きなものである。
10.Plastikman /Krakpot(Plus 8033)
ディープなキックから始まりジワジワとアシッド音が入ってくる初期プラスチックマンの傑作。リッチー・ホーティンのその後のアイデアが凝縮された記念碑的なトラックではないだろうか。FUSEからの移行も感じられ、次なるステップへ向かおうとしているのが分かる。

リッチー・ホーティンは現在プラス8もプローブも活動を停止している。近年のプラスチックマンの作品では非常にディープな作風となり、以前からのファンを驚かせた。彼が新たにスタートしたマイナスというプロジェクトは、徐々に積極的な動きを見せ始め、ついこの前リリースされた「オレンジ」というシングル作品では久しぶりに元気なリッチーらしいハード・ダンス・トラックをリリースし、目下クラブで大ヒット中である。このCDに収録されている作品の数々はあくまでもリッチー・ホーティン、そしてプラス8の過去の単なる通過点に過ぎない。彼らは現在もって進行形でありこれから先も、21世紀に向けて輝かしい活動が待ち構えているのだから。(佐久間英夫)