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LINER NOTES

 やっと、ようやく、遂に、5年もの時を経て、テクノ・アルバム史上十本の指には間違いなく入るであろうこの名作が日本盤でリリースされた。めでたい。

 あの頃、まだ右も左もわからなかった時代、遥か遠いドイツでこんなカッコイイことをやってる連中は、ホントに憧れの的だった。某出版社で編集の仕事をやってた僕は、片手間とは思えない労力を費やしてミニコミを作ったりして、その過程で当時はまだ“電気グルーヴのラップのひと”だと思ってた卓球や、渋谷のシスコにひとりでテクノ・コーナーを作って頑張ってた佐久間くんや、「宝島」とか「パンプ」といった商業誌で無謀なテクノ記事を展開してた野田さんや、YMOに憧れて入社したアルファー・レコードでなんとかテクノを盛り上げようとしていた弘石くんに出会っていた。仕事の畑はバラバラながら、テクノに対する熱は異常なほどだったこの辺の連中みんなが、一様にノックアウトされていたのが、このハードフロアのデビュー盤だった。
 そうこうしてるうちに毎週末が狂乱の宴だった93年のトランス・サマーも過ぎ去って、みんなが何かを本腰でやろうとし始めていた94年に突入する。その年、たぶん日本のテクノ・ファンにとって一番の驚きは、まさに絶好調を極めていたハードフロアが来日したことだったろう。当時卓球がやっていたパーティー<TAB>のスペシャル版として、日本盤もリリースしてない彼らが来日、東京、大阪、福岡のツアーをやってしまったのだから。
 僕はあのとき、ツアコン兼通訳として全行程に同行したけれど、あれほどハードな一週間もなかった。あのときはホントに死ぬんじゃないかと思ったけど、今思い返すと、手作りで手探りで楽しい珍道中だったような気もする。さて今回何を書こうかと思い、いろいろ悩んだ。でも、今さらこのアルバムの音をここでうんぬん言うのもアホらしい。まだ一度も聴いてないひとは一刻も早く聴くべきだし、もう何回も聴いてるひとは懐かしさとともに新たな発見をするためにまだ何回でも聴くべきだと思う。だから、今回は、このハードフロアの日本初上陸のときの、いろんなエピソードを思い出せる範囲で紹介したいと思う。当時フロアで騒いでいたひとたちには記憶と重ね合わせて楽しんでもらえるだろうし、新しいファンのひとには、新鮮でオモシロイ話だろうから。


 あらかたの大物アーティスト/DJが来日しつくした感のある今では信じられないかもしれないが、当時のテクノには情報もパーティーも、何もかもが不足してるような状況で、もちろん海外のDJのプレイが聴けることなんてめったになかった。卓球のたっての希望もあって、夏にフランクフルトまで足を伸ばして直接交渉し、ハードフロアの来日の確約をとりつけてきた。この黄色アルバムの後も、ミニ・アルバム「ファナログ」、シングル「フィッシュ&チップス」をヒットさせ、波に乗りまくっているという時期に重なっての来日。それは1994年9月のことだった。 9月14日水曜、朝から車でオリヴァーとラモンを成田に迎えに行く。噂通りの凸凹コンビぶりで、人混みの中でも即みつかる。オリヴァーはライヴだけでなくDJもやる予定が組まれていたが、出てきた荷物の中で彼のレコード・ボックスの取っ手の部分が破損。いきなりクレームを付けて弁償してもらえるかどうかの交渉に入る。前途多難。車で東京へ向かうあいだ、ずっとはしゃぐオリヴァー。対照的に静かなラモン。ショッピングの予定などをいろいろ考えるオリヴァーに向かって、「ボクは寝る」と言うラモン。オリヴァーは「こいつはこういうつまらん性格なんだ」と一言。
 その夜、時差ボケと買い物疲れでバテバテのふたりに、取材が数本。いきなり不機嫌なふたり(でも取材ではハードフロアの名前の由来や、初めて303を使いはじめたころの話などが聞けて面白かった)。前途多難。でも大好物のマクドナルドに連れて行くと、なぜかハッピー。マクドナルドに救われた夜。でも、その後毎日マクドナルドを食べることになろうとは…。
 9月15日木曜(祭日)、午後からリキッド・ルームでセッティング。ふたりはともかくセッティングなんて5分で終わると力説。なるほど、ライヴの機材はアナログ・シンセ1台、303が2台、サンプラー1台といった超シンプルなものだった。この日は、通常の夕方からのライヴ時間で、深夜にはイヴェント終了だった。しかし、初ライヴお披露目ということで、ステージ袖にはたくさんのギャラリーがいた。1曲目がはじまると「オー!」というどよめき。ふたり横に並んで、頭を振りながらつまみを動かすあの独特のステージ。そしてお馴染みの曲の連発(もちろんほとんどがこのアルバムからのセレクション)! ホンモノだった。背筋がゾクゾクする感じ。呼んで良かったと誰もが思ってた。イヴェント終了後は焼鳥屋で会食。当時憧れの的だったラモンに、機材のことや古いドイツのエレクトロニック・ミュージックのことなど、質問をぶつけまくる卓球。このとき、実はラモンはアシッド・ハウスどころか、他人のレコードを全然聴かないことが発覚。彼は生粋の職人だった(だからベリーニとか平気で作れちゃうんだよね)。 9月16日金曜、リキッド・ルーム2日目。この日は深夜から朝までのクラブ・イヴェント。よって昼間はオフ。オリヴァーがスニーカーを買いたいというので、渋谷、原宿をさんざん歩くがサイズが合わず断念。かなり不機嫌になるオリヴァー。前途多難。パスタが食べたいというふたりを、まともなイタリアンの店に連れて行こうとすると、そういう店じゃないと言われ、なぜかイタトマで夕食。その後会場入り。前日を上回る超満員の客入りに、関係者全員驚き。この日は、卓球→ハードフロア→僕→オリヴァーという順番でプレイしたと思う。とにかくめちゃくちゃな盛り上がりで、特にライヴの時は轟音のような歓声が飛び交ってた。さすがの卓球もこのときばかりは満面の笑み。楽屋では卓球を交えて、3人が303を手に雑誌用の撮影。これはなかなか壮観だった。
 9月17日土曜、ほとんど寝ずに新幹線で大阪へ移動。スタッフは機材車が出ないとかで、全員で手分けして機材を持って乗り込んだ。大阪と福岡はちょうどいい会場がないので、夜はコンサート・ホール、深夜からクラブでという変則的なイヴェントだった。大阪のコンサート・タイムではライヴ前にDJした卓球がラストに“サーカス・ベルズ(ハードフロア・リミックス)”をかけたのに全然盛り上がらず、不安なままライヴ・スタート。不安が的中してライヴもいまひとつの盛り上がり。でも、フミヤが仕切ったロケッツでのアフターアワーは、バリバリに盛り上がって一安心。オリヴァーのDJは、みんなが一目置く、渋いシカゴ・アシッド中心のプレイだった。そういえば、行く先々でファンに追いかけられ、サインをねだられたふたりは、「アイドルになったみたい!」とほざいてた。同日に大阪でライヴしていた某人気ロック・グループの追っかけが新大阪駅で待ちかまえていたのを見て、自分たちのファンだと思ったほど(笑)。
 9月18日日曜。休む間もなくこの日は大阪観光。ロレックスのバッタもんが欲しいというオリヴァーのために、フミヤと探し回る。その後、ファンの子ふたりと合流して、セガのジョイポリスへ。エア・ホッケーのフミヤVSオリヴァーはどっちが勝ったか忘れたが、勝ち気なオリヴァーはどんなゲームもかなりマジに勝負を挑んでた。対してラモンはまったくゲーム系ダメなのが面白かった。遅い夕飯の後、ラモンは寝たらしいがオリヴァーはさらにスタッフと夜の街へ繰り出して飲み続けた…。
 9月19日月曜、新幹線で福岡へ移動。スタッフ全員の疲労が色濃い。イヴェントは月曜だというのに大入りで、かなり盛り上がってた。ハードフロアのふたりは、この日が一番機嫌が良かったように思う。心配されたクラブ・イヴェントもそこそこの入りで、フミヤやオリヴァーのプレイで盛り上がった…はずだが、僕は途中で疲労のため爆睡。気付くと横でラモンとオリヴァーが心配してくれてた(笑)。 9月20日火曜、飛行機で東京へ。原宿でキディー・ランドへ行った後、ビンテージ・シンセの店へ。ここでそれまでまったく買い物に興味を示さなかったラモンの目が輝きまくる。あれこれ質問するわ、あらゆる機材をいじり倒すわ、大変な騒ぎだった。記念撮影に応じたり、ラックマウント用に中身を抜き取ったTB-303のケースだけを「インテリア用に」と3つも購入。その後、別の店でラモンはローランドのシステム100Mを買っていた。その夜は当然のように深夜までどんちゃん騒ぎ。翌朝早く、成田からデュッセルドルフへ彼らは帰っていった。そのときの「サイコーだったぜ。また絶対来るよ」って彼らの言葉は嘘ではなく、その後も何度も日本へやって来て、ファンを喜ばせてくれた。
 しかし、その後の彼らのステージを観たが、やっぱりこの最初のときのインパクトに勝るものではなかった。もちろん、何度も同じアーティストのライヴを観たら慣れてしまうし、新鮮味が薄れるという意味でも最初が一番良く感じるのかもしれない。でも、それだけではない、何かスペシャルなものが、あのときのステージにはあったような気がする。1+1が3になったような、すべてのパズルのピースがいっぺんにはまったような、どこからともなくパワーがみなぎってくる感じ。同じようなスペシャルなものは、このアルバムからも感じられる。何度聴いても飽きないし、初めて聴いたときの感動が蘇ってくるのだ。 長いことリリースが噂されながら、なかなか発表されなかったニュー・アルバムでは、ぜひこの最初の会心の一撃を吹き飛ばすくらいのものを投げかけて欲しい。同じように自分の最初の作品を超えられなかった師匠スヴェンが、今年『フュージョン』という起死回生の大ヒットを放ったのだし。

(1998.8.23 KEN=GO→)

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