同じコーンウォールの学校に通っていたリチャード・D・ジェイムスとグラント・W・クラリッジ。ある日リチャードが自作のヒップホップ・トラックをグラントに聴かせたところ、グラントは「これはスゴい!この曲レコードにしようゼ!」。しかしグラントはレコードをクサる程持ってはいても、それをどうやって作るかってことには全く知識を持ち合わせていなかった...。こんなリチャードとグラントの二人が1991年につくったのがリフレックスである。

設立時に配布されたリリース・シートによれば、リフレックスのポリシーは、「大いに愛され、誤解されているアシッドハウスを紹介すること。徐々に広がりつつあるエレクトリック・リスニング・ミュージックを発表してゆくこと。あまりに平凡なブレークビーツに対抗し、また一般化しているTR-909を用いずに優れたビートが作れることを示すこと」と記されている。また、ここには「音楽においてよりフレンドリーな姿勢を持ち、他レーベルの優れたアーチスト/作品も(決して独占するというような意味ではなく)リフレックスから発表する」とも書かれている。グラントが記したこのポリシーは現在でも貫かれているものと言えるだろう。

アシッドハウスに関してはマイク・ドレッドらをフィーチャーした「ユニヴァーサル・インディケーター」シリーズで92年から開始されている。エレクトリック・リスニング・ミュージックは現在のリフレックスのボディを成す部分。イギリスのみならず、世界中からアーチストを募り、日本からも97年にサム・アンド・ヴァリーやキヨシ・イズミがリリースを行っている。また現在リフレックスがその個性的なサウンドで知られる由縁は、言われてみれば確かに典型的なTR-909の音やサンプリングをほとんど使っていないという点にあるようだ。

他レーベルとの交流についても、これまでにACVのレオ・アニバルディの作品をリリース、1988年から1993年までのデトロイト・ハウスのクラシックを集めたコンピレーションを発表するなど、着実に行われている。

こういったポリシーを貫きつつ、このロンドンの小さなオフィスがこれまでに世界へ送り出したアーチスト達は、錚々たる面々だ。リチャード・ジェイムスは勿論、ミュージックことマイク・パサディナスはリチャード・ジェイムスとのコラボレーション、マイク・アンド・リッチ名義でも作品を発表し、プラグ、ワゴン・クライストとしても知られるルーク・ヴァイバートがヴァイバート/シモンズ名義で最初に作品を発表したのもリフレックス。スクエアプッシャーはリフレックスからデビュー・アルバム「フィード・ミー・ウィアード・シングス」を発表し、サイロブのキネスターシャ名義でリリースされたリミックスEPでは本人の他にリチャード・ジェイムス、ミュージック、オウテカという豪華メンツがリミックスを担当している。

1997年2月にはリチャードとサイロブがグラントとともに来日。東京、新宿リキッドルームのライブでは異様な程の熱気が会場の内外を埋め尽くした。 また、その夏にはリフレックス期待のDMXクルーがセカンド・アルバム「フレッシュ」をリリース。9月にはサイロブらとヨーロッパ・ツアーを行う。