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田中フミヤ/Fumiya Tanaka

田中フミヤは、日本を代表するDJであると同時に、世界でもっとも評価の高いDJのひとりでもある。田中フミヤの独創的なDJを評価する声は、ジェフ・ミルズやホアン・アトキンスといったテクノ/ダンス・ミュ−ジックを愛する誰もが尊敬すべきア−ティストから発せられたのだった。田中フミヤは、1972年5月に京都に生まれている。小学生の時、セックス・ピストルズと出会ったことを契機に音楽にのめり込み、10代の大半はパンク・バンドのメンバ−として過ごしている。しかし、田中フミヤは18才の時、ハウス、テクノ、ヒップ・ホップ、ダブといったダンス・カルチャ−に音楽の未来を見出し、DJ活動をはじめる。保守的なクラブしかもたない当時の日本で、ロックからテクノ、ヒップ・ホップからダブまで幅広くミックスする田中フミヤのラディカルなDJは、しばらくの間まったく無視されてきた。が、93年夏には、日本で最初のダンス・レ−ベル「とれまレコ−ド」を自費で設立、同年秋にはファ−スト・シングルをリリ−スする、日本のダンス・シ−ンはにわかに活気づいてきた。そして同年の12月31日、東京で初めてDJを披露。そのオリジナルなスタイルと成熟したテクニックによって、あっという間に東京のクラブ・シ−ンでもその名が知れ渡る。田中フミヤのDJは、ミニマルなテクノを基調に、ダブやヒップホップの要素をうまく使って、独特な空間を作り上げていくものだ。94年は来日した海外DJのほとんどと競演(ロ−ラン・ガルニエ、ホアン・アトキンス、デリック・メイ、ジェフ・ミルズ、カ−ル・クレイグ、デイヴ・クラ−ク、リッチ−・ホウティン、etc...)。95年にはイギリス、スコットランド、ドイツ、フランスなどでもプレイし、多くのオ−ディエンスから絶賛された。その模様はイギリスの雑誌"MUZIK"などでも取り上げられている。また、94年12月には、電気GROOVEのツア−にも同行、それまでクラブ・カルチャ−に縁のなかったひとたちにも、ダンス・ミュ−ジックの醍醐味を伝える。電気GROOVEの石野卓球のソロ・アルバムにも主要メンバ−として参加。95年4月には、ソニ−からDJミックス・アルバム『I am not a DJ』をリリ−ス。これは日本で初めてのDJミックスCDで、かなりの問題作とされた。96年にはタンツムジ−クの山本アキヲとのユニットHOODRUMでソニ−よりメジャ−・デビュ−。アルバム「ビジネスカード」と「クラシック1」「クラシック2」の2枚のシングルをリリースしている。

Discography

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