井上 鑑Remembering Songbook
久しぶりにアナログ盤を取り出してNIAGARA SONG BOOKを見つめる。
印象よりも遙かにシンボリックな永井さんのイラストは、もはやイコンだ。
この美術は一見「癒し」方向に見えるけれども、実のところ時間の切り取り方といい実在感の希薄な平面性といい、只者ではない。それでいて見るものの時間軸を強制的にフリーズさせてしまう。じわりと侵入してきて人々に物語と夢を見させる力があるのだから、あなどってはいけないのだ。
しかもこのカバーグラフィックから聴き手が描く物語や夢は、実に千差万別である。単純に「あぁハワイに行きたいな」とか「海が見たいな」とかいった皮相的なレベルでは片付かない心象風景が生まれてくるのだから。

大瀧さんのことだから、きっとヴィジュアルにも過去の名刹があって写経しているのかもしれない。僕には即座に謎解きが出来ないけれども、
オールディーズの名作デザインのもたらした心象風景が、これらナイアガラ・デザインの源流になっていることは間違いがないだろう。

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さて、じわりと侵入してきて人々に物語と夢を見させる力、という一文は自分で書いたものなので引用というのも若干傲慢に思えるが、音楽そのものにもぴたりと当てはまる。大瀧さんはこのセッションの時、最初に言っていたのが「テンポを落とす」という原則だった。どの様な説明の仕方だったか記憶が曖昧だが、「ペイトンプレイス物語」とか「パパは何でも知っている」等、アメリカのTVホームドラマのタイトルが話題に上ったように思う。「これだとペイトンプレイスにならないのよ」という台詞が大瀧さんから出たら、ダメ出しだと即座に了解しなくてはいけない。確信犯に説得は最大の着火剤にしかならないのだ。「ペイトンプレイスになる」というのは、ゆったりとしたメロディーの動き、害がないように思えて聴き手を油断させる遅めのテンポ、奥行きのあるサウンド、万人に通じる日本語に訳すと概ねその様な意味なのである。

アレンジのお手本としてBeachBoysのストリングス・ヴァージョンともう一つ何だったか忘れてしまったが、とにかくふたつの音源を大瀧さんから頂いたのだが、テンポの雰囲気以外はあまり実用的な参考にならないと感じた記憶がある。そうした意味で考えれば、このサウンドにお手本や目標という存在は無かったと言うことが出来るだろう。とかく大瀧サウンドはアメリカンポップスのエッセンスを名編集で切り貼りして、という語られ方をするが、現場を知るものから見れば大分ベクトルの逸れた説明でしかない。背景にある文化的知識の量や体験に根ざす感覚、という点では当たっているのだが、大瀧さんの紡ぐメロディーの流れは他の人からは出てこない微妙なバランス感覚の上に成立しており、早い話が日本語の歌としての名作なのである。バックのリズムやコード進行が何 かに似ていようがいまいが、実は大した問題ではない。メロディーそのものが一番大きな要素であり、そのメロディーに対して和音もリズムも全く違う解釈でアレンジすることも可能である。そしてその振れ幅は名曲であればある程大きいのだ。通常、ストリングス・ヴァージョンを作る場合にはコードの付け方や和音が進行するタイミングを「よりストリングス的」な形に変化させるものである。ストリングスの動きの中にリズムやハーモニーの要素を内包させる、と言えば良いだろうか。リズムセクションの構成やニュアンスもそうした変化を想定して、という事になる場合が多い。

ところがNIAGARA SONG BOOKではその様な真似は一切許されていなかった。リズムセクションは今は無き信濃町(六本木?)ソニースタジオで録音された が、原曲のテンポを落とす、という「ペイトンプレイス化」以上の改変は厳しく見張られてすぐにイエローカードが呈示された。半ば笑い話としていまだに覚えているのだが、大瀧さんはベースの大仏こと高水健司氏が演奏しているすぐ横に立って「この人は眼を離すとすぐにジャズになっちゃうから」と言いながら、洒落たテンション入りフレーズを端から撤去していくのだった。
オリジナルヴァージョンの録音の際にもドラムのフレーズなどは口伝で指示され、よく叩けるねーというような、ちょっと聞くと懐かしめ、でも実際演奏するには非常に難しいパターンが頻出する。テンポが落ちても、ミックスバランスでリズム楽器が押さえられる前提でもそうした作り方は変わらず、細かいニュアンスを指示しながらベーシックの録音が進んでいった。その結果、リズムセクションだけでも完全に成立する音楽が生み出され、無いのはメロディーラインのみといっても良い状態が出来上がった訳である。
思い起こせば、演奏上の注文をほとんど受けずに文字通り野放しで弾いていたのは鈴木茂氏一人だけだったかもしれない。茂さんに向かってあれこれ言っても無駄!?という面があるのも確かだけれども、それ以前に全幅の信頼が厳然と感じられた。未だ新進の存在だった今剛氏が茂さんを、スタジオ内で何と呼ぼうか戸惑っていたのも懐かしい記憶である。今やお互い呼び捨てのお二人の関係だが、当時はまだまだ人脈や音楽業界に登場した年代で多少微妙な人間模様があったのである。

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さて、前述したようにテクニカルではなく叙情に根ざしたストリングスアレンジを心がけて譜面を書く作業が次にやって来た。ベーシックがきちんと出来ているので、メロディーの流れに素直に乗っていけば良いのである。編成が大きいので簡単にすむプロセスではなかったが、逡巡したり苦しんだりという記憶は一切無い。そう、逡巡したり苦悩したりするのは、意味が解らないとか価値観がアジャストできない、という状況から生まれるトラブルであって、大瀧さんのように明解な意味と価値観を持つアーティストとの仕事には無縁な出来事である。いや、もちろん手が疲れるとか眠いとか言った普通に仕事が生むストレスはあるんですよ。その上、録音の所用時間15分、その後のお喋り3時間、とかいう奇怪なスケジュールはごく普通のこと。しかし、その雑学講座で教わったことの多さには今なお恩恵を被り、感謝をするばかり。

さも新しげな事を最新の機材でやるのは、当たり前の事とも言える。ナイアガラサウンドはむしろ古き良きと称されるイデアを具現していながら、常に技術面では最先端というギャップが粋なのである。

さて、最後にもう一つ、NIAGARA SONG BOOK編曲注意事項を書き加えておく。それはストリングスアレンジをするときに「単体で、あるいはその他如何なる用途にでも使えるように」書いておくこと。前半で書いたことと遊離するように思われるだろうが、和音やリズムのニュアンスがストリングスだけを聴いてもそれなりの成立をするようにしておかなくては危ない!のだ。例えばジャズ的なストリングスの書き方は、弦には和音構成の基盤ではなく影であったり含み笑いであったり、線的なオブリガート主軸で縦方向の力学的強度はさほど重視されていないパートが求められることになる。それ自体は素晴らしいことなのだが、ストリングス単体で聴かれるとなると、どんな和音なのかリズムはどうなっているのか、判りようもないジグソーパズルのピース、という趣になってしまう。
そうした発想のストリングスアレンジは全体から切り離されてしまったら成立しにくいことはお判り頂けるだろう。

でも実際には、要素を削ぎ落としストリングスとピアノだけで構成してみるというようなアイデアが思わぬ効果や新鮮な展開を生む場合はよくあるものだ。ビートルズを始めそうした例は沢山あるし、逆に言えば一旦録音したものは必ず使わなくてはいけないという決まりもないのだ。だから要注意、特に大瀧さんを筆頭とするリミックス・リイシュー民族に対してはたゆまぬ警戒が必須なのである。リマスターでさえも音像の見え方は驚くほど変わるのだから。

30年の年月を経て「あそこのストリングスの音程が怪しいぞ」とか言う話になりかねないのだから大変だ。だが、自分も一人のナイアガラファンとして「幸福な結末」が欲しい僕はこう考えてしまう。

30年も経ったのに未だに「録ったばかりのトラック」という扱いを受けているなんて、NIAGARA SONG BOOKは何て幸福なんだろう!と。
Profile

井上 鑑公式HP

1953年9月8日チェリスト井上頼豊の長男として東京に生まれる。
和光学園中学校、都立青山高校を経て、 桐朋学園大学音楽学部作曲科在学中(三善晃氏に師事)より、CM音楽作編曲家、キーボード奏者として活動を始め、その後、アレンジャー・プロデューサーとして多数のプロジェクトに参加。
特に大瀧詠一氏とは自称師弟関係を70年代後半から維持し「NIAGARA SONG BOOK I・II」「幸せな結末」等に参加、最近作に至る。

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