THE BAND HAS NO NAME

The Band Has No Nameが出来るまで


 1989年、「Be-Modern」(当時Epic/Sonyレコード)という Band が解散しました。
その年、所属事務所(現Sony Music Artists)との契約が残っていた「Be-Modern」の元メンバー橘あつや(Gtr)、八熊慎一(Bass)、たちばな哲也(Drums)が3人でいくつかの夏のイベントに参加する事になった。多分、そのイベントも「Be-Modern」が出演する目的で事務所のマネージャーがブッキングしていたものであろう。
 当時、3人だけで人前で演奏した事が無かった(Be-Modernは4人バンド)のでゲストボーカルを招いてやろうという事になり、少ない知り合いのボーカルに声を掛け何人かに出演してもらう事となった。
その中に当時「ユニコーン」で歌っていた奥田民生に大阪、新潟のイベントに出てもらった。
 イベントでは「Moderns」なるアマチュアバンドを装い、当時Bandブーム(?)で流行っていた曲を次々とコピーし演奏していった。ZIGGY、JUN SKY WALKER(S)、BLUE HAERTS等に「Be-Modern」の曲を加えてやっていた。正直、なめている。3人は解散直後とは言え全員プロでありながらアマチュアを装い同世代のバンドの曲を人前でやってる訳だから。
あげく当時の「ユニコーン」はユニコーン史上絶好調と言って良いくらいに盛り上がっていた。
 まあ、そんな4人がノリノリになり誰も手を付けられない事を更にやっていった。
奥田民生は「ユニコーン」が若干の休暇期間兼曲書きみたいな時期でもありその期間を利用して4人で渡米、レコーディングを敢行!
今考えると何とも無茶な感じもするが・・・。
LAに行った彼らはTOPギアに入って止まらぬまま、数々のエピソードを生み出していった。


  • ホテルの掃除のおばちゃんに「Put Your On!」
  • ホテル入口で犬のう○こを踏むスタイリスト。その日からあだ名は「う○こ岩崎」
  • ローディー敬二、プールに溺れ生死の境をさまよいチーター事件
  • エンジニアの弟の友達「10万年前~」発言!
  • 焼肉屋のチップ泥棒目撃!
  • 無念!ラスベガス事件
  • メキシカンの乗用車大破!
  • 寿司喰っただけで日焼け事件 ・・・etc

等と馬鹿げたエピソードの中かなりイカしたサウンドを作り上げていった。
こんな表しきれない最高のセッションが出来た裏には松浦善博氏の存在は欠かせない。
松浦氏は当時「Be-Modern」のディレクターでありEPIC/SONYレコードにいた。ディレクターとしてはバービーボーイスや大江千里なども手がけている。しかし、僕ら世代の人達は「TWIST」でのギタリストとしての記憶がある人が多いのではないでしょうか。
その松浦氏が大阪のイベントでの4人を見て「こりゃ、ごっついな!」と言ったかどうかは定かでは無いが、何かを感じたのかその日の打ち上げの席で「ロス行こう!」という話が上がっていた。
事実1~2週間後には上記の通りLAにいた。

LAに行った彼らはバンド名が無かった。
「Moderns」はあくまでお遊びname。バンド名など実際どうでも良かったのだ。
向こうのアシスタントがレコーディングのマルチに名前を書くのに「お前ら、バンド名なんだ?」と聞く。
「そういえばバンド名無いなぁ~。」と答える。アシスタントはマルチにこう記した。
"The Band Has No Name"


LAから帰った彼らは日比谷野音のイベントに渡辺満里奈(結婚おめでとう!)をゲストに迎え、その演奏を最後にその名は消えた。

1990年1月21日 「The Band Has No Name」CD発売。
その頃には奥田民生は「ユニコーン」に戻り活動を続ける。
八熊慎一、たちばな哲也、橘あつやは「SPARKS GO GO」となり事務所と契約継続、新たな活動を再開。

そんな彼らがまた集結した。
あれから15年。当然の事ながら「SPARKS GO GO」は15年目。
奥田民生は「ユニコーン」解散後、ソロで10年を超えた。

2004年11月15日 「The Band Has No Name」としてBo Gumbosトリビュートに参加、都内にてレコーディング。

今後の彼らの行方はいかに?

などと客観的に書いてきたが、これを書いたのは「たちばな哲也」でした。


2005.04.18 札幌イベント出演前夜自宅にて記す