「○○思いっきり男」の歴史

1998年 Hit&Runのサイトでいくつかのオリジナルゲームを発表していたが、「もっと深いゲームが欲しい」という奥田からのリクエストを受け、赤坂のビヤガーデンに急遽本人を交えて打ち合わせを行い、ゲームの骨格が出来上がる。
RPGゲームで、田舎から上京してミュージシャンを目指し、最後は社長と接待後ゴルフというストーリーはこの時点で決まっていた。
1998年9月 出来上がったプランをもって北海道の製作会社へ奥田と共に向かい、さらに濃密なゲームに膨らむが、製作費も膨らみ、ションボリしながらラーメンを食べて北海道を後にした。
1999年 膨らむ製作費を抑えるために社内のエンジニアに相談(ほとんど押し付け)すると、そのエンジニア快く製作を引き受ける。そして、奥田が描いた主人公以外のイラストレーターも決定!製作開始!
録音スタジオにいた奥田に必要な音を発注(菜園の「サクッ!」「ジャー」など)。
この時期TVショッピングが流行りだし、室内トレーニング機器が売れまくっていた。奥田ツアーでも早速購入し、楽屋でメンバーがやっていたのをヒントに「スキャイ・ウォーキャーゲーム」が生まれた。
クリアする回数を決めていた時、「これでは難しすぎるか?」という設定を製作スタジオに来た奥田は一発クリア!「これじゃあ簡単すぎるよ!」との本人のコメントを受けて、1分間に出来る回数は本人が出来た回数を採用することに決定!。(だから40回になったのであった)
7月 構想から1年、上京編を発表
8月 第二弾となる貧乏編の製作開始!
上京編の製作の時点でほとんど決まっていたので、比較的順調に進む・・・
ミュージシャンのアルバイトといえばコンビニエンスストアと言うことで安直に考えたが、どうやってゲームにさせるのかで悩む。
缶ジュースなどの商品も、「商品名が描いてないと雰囲気が出ないなあ〜」と悩んでいると「じゃあ、ポップポーンとかは?」という奥田の案で、「ポ」な名前を命名。罰金覚悟で読んでみると笑えます。
11月 貧乏編発表
製作スケジュールの冬の時代を迎える。
2000年 モテモテ編はバンドを結成し、チケットを売るなど、Webゲームにあるまじき内容の濃さゆえに製作しなくてはいけない要素が膨大になり、スケジュールがどんどん遅れた。
遅れに遅れたスケジュール。やってもやっても終わらない作業はいつしか先の見えないトンネルの様な状態となったが、ある日、製作スタッフには誓約書が配られ、各自が担当する作業の詳細を書き、署名した紙を目の前に貼って作業をこなし、ようやく完成したのであった。
2001年1月 モテモテ編発表
20世紀中を目指すも、夢かなわず、前作から約14ヶ月振りにモテモテ編が発表された。
2002年 ゲームの企画段階から「最終編は接待ゴルフ」というキーワードはあったが、オリジナリティーのあるゴルフゲーム、ゴルフを知らなくても楽しめるゲームの開発に時間がかかる。ボールの動きなどの技術的なテストを繰り返す。
2003年1月 会社の新年会に顔を出した奥田に、あちこちから「完結編はいつ?」との 質問がありあせる。
ゴルフゲームの詳細を決定!過去の3作の要素も盛り込み、データ量も大量になるので、CD-ROMでの発売を決定する。
9月 奥田を交え、完結編のミーティングを行い、ゴルフの18コースのネタ・仕様を決める。
10月 完結編に登場する奥田民生の撮影開始、合成処理をするために青い布の前での撮影を行う。

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