日記
豚足のような腕のアイツ 2005.06.30[13:48]
26日。ダンスクラブ松下にてツアーファイナル。
沖縄の人たちは音楽を音楽として楽しむ。音楽に対して構えたところがないから、僕らがジャキーンと出したものにダイレクトな反応が返ってくる。みんなこうやって音楽を楽しんだら良いのになと本当に思える良い夜になった。
ツアーはこれで終了。

27日〜28日。沖縄観光いろいろ。

29日。マザーミュージック。リップスライムのRYO-ZさんとSUさんがゲスト。RYO-Zさんのマシンガントークの隙間でSUさんはたまにボソっともの凄いキラーボケをかますのだが、それがもの凄く面白かった。


沖縄の休日、ひとりで南部戦跡をまわってきた。当たり前だけど、戦争のことをいろいろ考えずにはいられない。何十万、何百万人の日本人が亡くなって、それと同じくらいの外国人を殺して(人数がどうこうという問題ではないが)、それで残ったものを考えたら戦争がいかに虚しいかがわかる。でも、戦争から60年も経って、その「残ったもの」とかに鈍感になっていくのが恐いなと思う。ひめゆりの塔で薄ら笑いを浮かべてヘラヘラと観光しているヤツらの気が知れん。こういうヤツに限って「9.11の事件以来、僕の(私の)世界は変わりました」とか神妙な顔で言って、裏で人をぶん殴ったりしている。俺は当時から「9.11」を象徴的に語る日本人が嫌い。少年犯罪をゲームや映画や漫画や音楽のせいにしているのと近いものを感じる。短絡的。
人類はDNAに記された闘争本能による暴力から逃れる術はないのかね。僕らの生活の便利さ、つまり科学も「暴力」とともに進化してきた側面もある。アメリカ経済なんて「軍事費」で回っているようなものだしね。そういうことを考えると増々虚しい。
俺は人が人を殺す理由なんて、どんなものであっても「正当性」などそこにあってたまるかと思う。でも、例えば家族を誰かに奪われてしまったときに、そういう憎しみを相手に対して抱かない自信は全くない。「平和」を強く望んでいるけれど、いざ自分にそれが降りかかったとき、冷静でいられる自信がない。悲しみや憎しみを人にぶつければ、それは必ずループする。というか、そもそも人に向けられた感情は良いものでも悪いものでもループすると俺は思う。だから、その憎しみや悲しみの原点に俺はなりたくない。人から受けた少しの悲しみや憎しみだったら、飲み込んで消し去ってしまえるような人間になりたい。そして、俺の身近な人々が憎しみや悲しみの原点になったり、憎しみや悲しみのループに巻き込まれないことを祈っている。
世界情勢は複雑で、俺の想像や知識では追いつかないけれど、すべての紛争や戦争がなくなったら良いのにと、そんな夢みたいなことをちっぽけな日々の中で俺は考える。そして家族や友人のことを想う。

リーゼント meets リーゼント 2005.06.26[01:32]
23日。ゼップ福岡。
ミミミミーンと蝉ファイナルのライブを行う。この夜、俺はこのツアー最長のギターソロを弾いた。気持ちの乗った良い演奏だったように思う。ロックバンドはハートが命だ。勿論、バンドとしての演奏も上手くなりたいし、個人的にもスキルアップしたいと思う。でも、舞台の上では自分の持っているものも「気持ち」によって発揮のされかたが随分と違ってくる。というか、いくら上手く演奏しても「気持ち」が乗っかってないものは届かない。どれだけ大きな音にしても届かない。そういう当たり前のことをこのツアーで強く思った。
ゼップ福岡の夜は非常に熱いものだった。

24日。沖縄に移動。
「当機は前線の非常にシビアなところを飛行中です」という機長からのアナウンスが入り、飛行機はかなり揺れた。しかし、「非常にシビアな」という表現がいまいちピンとこない。どういう意味なんだろうか。きっと「そんなところシビア過ぎて飛べない」というところを飛んでいたんだろうと思う。
「吉永機長(架空の人物)あんなシビアなとこ飛んだんだって」
「マジで?やっぱスゲェよ、吉永機長。ハンパねぇ」
みたいな会話が後輩の操縦士連中のあいだでされているに違いない。そして、フライトアテンダントの間でも大人気のダンディーな機長であろうことが予想される。多分、バーボン好き。居酒屋には行かないタイプ。「あちらのお客様から…」その先には吉永機長(架空の人物)。

25日。現地でオフ。
キヨシとケンは船でどこかに出掛けていった。俺は完全にまかれた。恐らく「アイツはインドアだからどうせ来ないべ」という理由で誘われもしなかった。ということで昨日の晩から履いて寝た海パンをそっと脱ぎ、丁寧にたたんで「さよなら、沖縄」とつぶやきながらカバンにしまった。「あれ、おかしいな。海に入ってもないのになんだかしょっぱい…」それは涙だった。その後、海辺にてスタッフとビーチバーベキュー、通称「BBBQ」を行い、ジャック・ジョンソンとのようにギターを弾いたり、スーパーバタードッグの「明日へゆけ」をなんかそれっぽいコード進行で弾き語ってみたりした。海でアコギは良いね。写真はその模様。
夜はみんなで少しパティンコをした。平台の仮面ライダーで2回くらいVに入ったけど、3000円負けた。ヤマーンがえらい出していたので「オジちゃ〜ん、ラジコンが欲しいよう」とケンとふたりでおねだりをしてみたが、もの凄い勢いで却下された。F1のラジコンが2台で2500発、そのくらい良いじゃないかとダダをこねてみたが、ヤマーンは吉永機長よりシビアな男だった。シビ山。

さて、ファイナル。興奮してきた。

ウィダーインゼリー 2005.06.23[00:44]
「ウィダーインゼリーありますか?」
「ないです(即答)」
コンビニ店員とこういう会話をして振り返ったところ、そこにドーンとウィダーの棚があったことがある。名古屋で。そして、それをレジに出しても「ありましたね」的なリアクションがなかった。こういうとき、すごいカチンと来てるんだけど文句を言えない。俺は小心者。

20日、21日。ゼップ東京2DAYS。セッション名作劇場。
いつも東京でライブをやるときには、精神的に構えてしまうという反省点があったけど、今回は観客にも音楽に対しても開いたメンタリティーで接することができたような気がする。「俺は音楽でもっともっと観客と繋がりたい」そう強く思ったし、それがライブをやる上での自分の喜びになる。自分が叫びたい感情や吐き出したいことを音楽に乗せて、それを気に入った人が集まってくれて、その前で演奏することの喜び。そしてそれが生でダイレクトに繋がった時の喜び。そういうライブを毎回やりたい。今まさにここで「生きている」と思える生身の感情のやりとりをメンバー間でも観客との間でもやりたい。そういうライブをやるバンドになりたい。
あと2本。全然、やり足りない。「早く終わらせたい」なんて誰が思うかっていうの。なんなら「延々やっていたいくらい」だよ、本当に。ただ、10何泊も家に帰れないのは辛いね。ホテルではなかなか寝付けない。
このツアーに参加してくれた人、一度でも来たいと思ってくれた人、ありがとう。別に媚びてるととられても構わないので素直に書きます。本当にありがとう。ツアーから帰ったらまた良いアルバムを作ります。そしていろいろな場所で演奏したいです。そのときはまたよろしく。

22日。マザーミュージック。
藤原君はなんか特別なオーラがある。繊細であたたかい。放送以外でもいろんな話が出来て良かった。

福岡と沖縄。燃えます。

インゲン・オブ・キュウシュウ 2005.06.19[22:14]
17日。静岡市民文化会館。
今回のツアーでと言うか、今までバンドをやってきた中でも初体験となるホールライブ。しかも親戚なども観に来ているということで異様な緊張状態で本番を迎えた。正直言って、ほかのどんなライブよりもある意味緊張した。なんか変な感じだった。
静岡の人たちは同郷である俺とヤマーダを4:6くらいの割合で暖かく迎えてくれた。俺への声援4割、ヤマーダへの声援6割。ヤマーダは根強い。選挙区みたいな地盤でも持ってるんじゃないかというほど「ヤマチャーン!」コールが多かった。おかげでヤマーダは良い顔していたような気がする。家族にも久々に会えたし、良い夜だった。
でもあれだな、静岡でも今度はスタンディングでやりたい。良い場所があったらいいなと思う。

18日。ゼップ名古屋。
片足を半分万博に突っ込んだような場所にゼップ名古屋はあったが、我々が万博に参加する機会はまたしても与えられなかった。この恨み晴らさでおくべきか!と熱いテンションでライブにエネルギーを注入し、マンモス楽しいライブになった。
打ち上げは甘辛い手羽先を頂いた。俺はスパイシーなほうがタイプ。人間的に言うとアジカンではヤマーダが1番スパイシーでスペイシーだとか、ポップだとかポップじゃないとか、空気が読めてるとか読めてないとか、そういういろいろな話をした。

19日。戻り。

ツアーが終わってしまう。

感動的な再会 2005.06.16[20:59]
13日、札幌前乗り。寒い。寒いぞ北海道。
到着後はラジオにてプロモーション活動を行い、それを頑張ったご褒美としての業界でいうところの「シースー」をたっぷりと食い、ミスドに寄ってドーナツを食った。シースー時の「米と米麹由来のアルコール」によってアニキに変身したケンは名曲「順子」を歌いあげたり、舎弟の哀川キヨシを可愛がったりと大変なテンションだった。ところが、ミスドを出たあたりで急に電池が切れ、キヨシに支えられて寝ながら歩くという恐ろしい芸当を繰り出し、皆を仰天させた。凄い。凄いぞ、ケン。

14日。ゼップ・サッポロ。
「このツアーで一番良かった」とスタッフが言っていた。これは演奏もスタッフ・ワークも含めという意味だ。俺らはいつもどおり、ウゲウゲウゲロッペロリンと集中力を高めて感情を爆発させるように心がけてやっただけだが、こういうスタッフのセリフは嬉しい。俺は喉がいい加減酷使しすぎてヘタってきているが、それでも搾り出せるのは一重に我々の音楽を楽しみにしている人がいるから。これは綺麗ごとを言いたくて書いているわけではない。今日、しかもこの場でしか会えない人、鳴らない音楽。そう考えたら、おのずとどうするのが良いか見えるわな。俺は「届けー!!」ってやるだけ。
今回のツアーは全会場、そういう気持ちでやっている。
打ち上げは「Great sheep's meat」、つまり「凄いラム肉」を焼き焼きして食う店に行った。今日の写真は終盤で観光名所と化したキタケンギスカン氏。

15日。北海道から飛行機で東京に戻る。タイヤが外れたり高度計が壊れたりと、最近は飛行機に乗るのが怖い。
東京に到着後はキューンで今年から来年にかけてのスケジュールの打ち合わせを行った。
ユースの試合はまたもや「惜しい」内容だった。アフリカの選手は早いし、玉ぎわで足がグワっと伸びる。だからキチンと蹴ってキチンと止めないとヤラれる。日本の選手のパスの速度が遅いように俺は感じた。ただ、あんなに爆発的な加速力をもったベナン相手に90分走り続けるというのはキツいものがある。Jリーグにはそんなヤツがゴロゴロいないもんなぁ。オーストラリア戦、頑張って欲しい。

16日。海沿いでランチを食って、文房具を購入して帰宅。夏フェス用のアジカンTシャツのデザインを進める。締め切りが近いわりにやらないといけない作業が多くて困っている。イラストレーターやフォトショップは使えるが、作業の速度がそんなに早いほうではないので大変だ。そしてアナログの作業、つまり手描きでやる部分もあるので尚更大変。2パターン。間に合うか不安。

余談。
色々な地方をまわって感じたことがある。四国は和式便所が多い。

イカ以下 2005.06.12[23:23]
10日。ゼップ大阪。
南港のシャイ・ボーイズとドナイヤネン・ガールズを前にウギャーとライブをやれた。ウバババーとラップをイテこましたった。偽ラップを。テクニックは皆無だし、もの凄くダサかったと思うけど、歌詞が良かったので満足している。ラップというか、あれはただ単に歌詞の多い歌で、いうならフォークソングみたいなものだね、正確には。
終演後、4時間もかけて松山に移動。しんどい。
到着後はユース代表の試合を見る。オランダの7番はバケモノだった。あんなんが出て来たらそれは面食らう。前半は完全にヤツに翻弄されたけど、後半はやられる回数が減った。結果的に負けてしまったけれど、光るところが随所にあって、見応えのある試合だった。
しかし、日本人は体格とか筋力とか、特にヨーロッパに比べて成熟するピークの年齢が遅いのかなと感じた。日本が遅いというか、オランダが早熟なのか。オランダの選手はやたらガタイが良くて、みんな大人のような体つきだ。日本の選手はまだあどけない感じが残っている。
野球の場合はイチローとか清原とかを見てもそうだけど、30手前あたりから圧倒的にゴツくなるというか、そのあたりが体格的な成長のピークになる選手が日本には多い気がする。サッカー選手の場合もそんなに変わらないだろうと思う。
若いときからゴツイやね、ヨーロッパのサッカー選手は。

11日。松山コミセン。
コミセンをオールスタンディングにして、ボカボカボカーっとライブをやれたように思う。「アウト、セーフ、ヨヨイノヨイ」は愛媛が発祥の地ということに驚き、ベースボールを野球と言い出したのも愛媛が最初とのこと。ウンチク。

12日。霧で飛行機が欠航。かなり遅れて東京到着後はラジオの仕事をした。
麺固めアブラ少なめの横浜家系ラーメンを食って帰宅。

食いしん坊漫才 2005.06.09[23:48]
7日。映画「イン・ザ・プール」を観に行った。テンポが良くて、病んでいるけれど救いもあって、面白い映画だった。松尾スズキ氏が演ずる精神科医の「ふざけてんだか狂ってんだか」のさじ加減が個人的にツボで笑えた。だけどテーマが現代的なので、笑いの中にもムムムと考えてしまうところもあった。良い意味で。

8日。仕事。
ラジオとかラジオとか、サッカー観て移動してラジオとか、とにかくラジオの仕事をした。
日本代表は前半と後半で別のチームを観ているようだった。前半はキューンにて、スタッフオススメの中華弁当を食いながら観戦。スタッフが「相当にイケてる」と太鼓判を押す弁当だったのだが、到着したソイツは「イケて」もしくは「イケ」くらいのレベルの弁当であった。餃子など入っていないのに餃子のタレが付いているという有様だった。その弁当に対するフラストレーションと試合内容に対するフラストレーションが渾然一体となり、前半は非常に危険な精神状態でのテレビ観戦となった。
後半はトーキョーFMに移動中の車の中、そして打ち合わせ中のロビーで観戦。移動中の電波の悪さに「よく見えねぇー」とかなっている間に、日本代表は別のチームになったかのように動きが良くなっていて、ロビーに着いてからは、今までの鬱積を晴らすかのごとく2本のゴールをぶち込んだ。
今回のアジア予選は出場枠も多いし、実力的に見ても出れて当然と個人的に思っていたが、ワールドカップ出場決定は嬉しい。嬉しいついでに、やっぱり本大会で勝てるチーム造りを期待している。最終的に「ひとりで出来た!」とジーコがドイツの会場でニンマリと…そういう場面を願う。もうジーコで行くんだから、ジーコを信じるしかない。とか思っていたら、サッカーに興味のないタカ山田さんに「川淵さんはいつからキャプテン!?」という質問をくらった。そしてその後も、「じゃあチェアマンは誰?」「そもそもチェアマンって何?」「夜の守護神ってどういう意味?」と質問攻めにあい、それでいて興味はあまりない様子なのでテキトーな答えを返しておいた。

9日。腐る。久々に腐った。ドヨーンと。何もする気が起こらず、ひたすら己のダークサイドにたたき落されたような1日だった。昼寝をしたら変な夢をいっぱい見た。幽体離脱を試みる俺は「恐怖を捨て去らなければ己の身体からは出られない」と誰かから忠告を受けた。トラックに乗ったオヤジが「4トンの雷がくるぜー」と町内を回っていた。トマトケチャップを使って気の利いたトンチを言ってみたりしたところで目が覚めた。断片的なことしか憶えていないが、そうとうイタイ夢だな、こりゃ。
気分が悪いけど、せめて日記でも書こうと思った。書いてみると意外に書けるし、気分も戻ってくる。不思議だな。

クロワッサン定食 2005.06.06[19:34]
4日。高松オリーブホール。
本番前、もの凄い量の鶏肉が乗った丼めしを「残したら殺す!」というほどに殺気立ったババァの前でたらふく食わされ、内蔵にかなりのダメージを受けた。身体のことを考えたら残せば良いという話だが、ババァのプレッシャーに負けて完食してしまった。
本番中は心配していたリヴァースの危機はなく、非常に楽しく熱い演奏が出来たが、終演後もまったくもって腹が減らないという不思議な現象に見舞われた。ババァの丼めしが原因だ。
その後、高知に夜走り。
高知に到着後は屋台へ飯を食いに出掛けた。通りには結構な数の屋台がずらりと並び、土曜ということもあって多くの人で賑わっている。こういう場所はテンション高く、つられて我々のテンションも上がる。しかし、締めで食ったラーメンが「これは醤油にお湯入れただけじゃねーか!」という程の驚きのマズさで、一気にテンションは地獄の底へと叩き落とされた。四国の人はラーメンに対する執着心がないように思われる。それはおそらく、ウドーンのせいだ。ほかにうまい炭水化物食品(うどん、お好み焼きなど)の文化のある街では、このようにラーメンに力が注がれないという傾向があるように思う。

5日、高知ベイ5スクウェア。
朝から美味しいカツオをニンニクとともに、昨日の飯場の不運を洗い落とすかのように食ってから会場に入った。
海沿いにあるベイ5スクウェアは非常に立派な会場だった。広すぎてあまり使われていないみいたいだが、こういう素敵な会場が大都市だけでなく全国各地にあって、多くの人が音楽を生で聴きに行くようになったら良いなと俺は思う。そういう会場で、汗まみれになりながら演奏できて幸せだった。終演後、チャリでワサワサと帰っていくキッズ達が印象的だった。

6日。横浜に帰る。


そういえば高知のホテルで、丸刈りに浴衣姿でホテル内を放浪する中学生風の男の子を皆で目撃し(23時から24時くらい)、「アレは何なんだ?」と話題になった。そのマルガリー太(丸刈り君)は知り合いでもない我々とすれ違う際、「チュース」と小さい声で部活の先輩にするような挨拶をしてくるのだ。そして、ウーロン茶を手にもっていることも謎のひとつだ。座敷童ではないかという説や、ホテルの御曹司でホテル住まい説、親父と旅行に来てウーロン茶の買い出しに行かされて部屋番号を忘れた説、俺たちのことを先輩と間違えている説、ああ見えて実は酔ったオッサン説など、いろいろなことが考えられたが未だに真相はわかっていない。高知ミステリー。

梅ガム中毒 2005.06.04[00:53]
30日、横浜戻り。久しぶりの我が家で爆睡した。やはり、自分の枕は良く眠ることができる。

31日。休み。ヌボーっとする。

1日、取材DAY。これでもかこれどもかとラジオコメントなどを収録。ラジオゲスト出演なども行った。この数々のラジオコメントの中でキタケンスイの新ギャグ「リンリリリンリンリリリンリーン、朝ですよー。」が発明された。メンバーすら「え?何?」と驚くテンションとタイミングで発せられたそのギャグは、キューンレコードの1室を爆笑の坩堝と化すには十分すぎる必殺技だった。不意打ちにも程がある。
その後、マザーミュージック。

2日、休み。ノボーっとする。

3日、高松に移動。
到着後、ゴーイング・アンダーグラウンドのライブ観に行った。非常に暖かい雰囲気のライブ、そして何より素晴らしい楽曲に胸がキュンとなった。ゴーイングの曲はどの曲もイントロが素晴らしい。イントロから鳥肌が立ちまくる。非常に幸せな時間だった。「グラフティー」は名曲。アルバムは「かよわきエナジー」必聴。実家の家族を含め、後藤家はゴーイングの熱烈なファンだ。うちの母ちゃんも静岡サナッシュに参戦し、素生君とツーショット写真を撮影してもらう程の熱狂ぶり。

高松のうどんをさっそく食った。うますぎです。ウドーン!!
2年前のモンスターバッシュの際に、中野うどん学校というところに行き、うどんの打ち方を教わったのだけど、そこで打ったうどんのおいしさが忘れられない。非常に楽しく、良い経験だった。先生曰く、讃岐の人はお茶代わりにうどんを食うということ。また、おやつ感覚でもあるということ。いくらなんでも、それは好きすぎるのかもしれないが、事実、今日食ったうどんもコシが凄くて、ザル(容器)からなかなかとれない程で、非常に旨かった。どこに行ってもうどんが旨いのは、日頃からうどんのことばかり考えている讃岐の人たちの執着心の賜物です。ありがとう。ラーメンも良いですが、うどんも好きです。というか麺類が好きです。ウドーン!!
日本代表の応援のため、今日は夜更かしです。

ウドーン!!

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