常田真太郎(スキマスイッチ)
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2002年くらいに新宿LOFTへ友達のライブを見に行った時、その日の対バンの中にいつか会ってみたかったバンドの名前を見つけた。同郷であり、地元の学生の時からの音楽仲間から勧められて聴いていたそのバンドは、以前に渋谷WESTに見に行ったステージと変わらず、その日もとてもパワフルなステージで、思わず終演後に楽屋まで行って圭介さんに話しかけてしまったくらいだった。
しかもそこから予想だにしない展開となり、その一週間後には圭介さんと二人で居酒屋に行き、そこで現在の音楽業界(特にバンド業界)に対してのくったくのない意見や疑問を投げかけあったりしたのだった。
そして時は流れて2011年の年末。幕張で再会した圭介さんの口から出た言葉はまた僕を予想だにしない展開へと導いていく。「なんかちょっと一緒にやらん?」
最初は「もちろん!よろしくお願いします!!」ととっさに返してみたのだが、なんといっても2012年で23年目の大先輩バンドである。同郷、隣の中学校とはいえほぼ直属の先輩だ。
その中に僕が入って何が出来る?何が言える?とっさに答えてみたものの、のしかかるプレッシャーは矢場トンのワラジ味噌カツよりも重かった。しかし、思ってもみないオファーではあるものの、逆に言えばフラワーカンパニーズと一緒に仕事が出来る、実際に一緒に音が出せるのだ。
そう思ったとたんにそのセッションはとても魅力的なものになった。事実、一緒に音を出している時間は本当に幸せで楽しくて、自分が観てきた、聴いてきた歴史に直接触れているような感覚でとても不思議な、それでいて至福ともいうべき時間になった。
何より感じたのは、バンドという唯一無二な関係の中での信頼感という、言葉でいうととても薄っぺらくなってしまいそうなそのとてつもないチカラの凄さだった。4人が4人であるために存在し、さらに4人が1つのために存在する。フラワーカンパニーズとは間違いなくそんなバンドだった。
「エンドロール」…間違いなく、僕のターニングポイントとも呼べるような、そんなセッションから生まれた楽曲。実はこの楽曲が完成した日の帰り道、歌詞にあるように"鉄クズ"と同じにならないように、僕も兄さんたちのようにもっと頑張らねば、もっと追求せねばと涙をちょっと流しながら強く誓ったりもした。
フラワーカンパニーズ、いやフラカン兄さんたち、ありがとうございました!
また、よろしくお願いします。名古屋南西部会も引き続きよろしくです(笑)。

常田真太郎