ザ・デイ
☆ザ・デイの「D」=ディヴァイン(Divine):グラミー賞ノミネート
ニューヨークはサウス・ブロンクス出身のいわゆる「ニューヨリカン」MCである「ザ・デイのD」ことディヴァインは、アンダーグラウンドでは知られた存在であったが、アフロ・キューバン・ヒップホップ・バンド=ジェルバ・ブエナのグラミー賞にもノミネートされたヒット・ソング「グワヒーラ(I Love U 2 Much)」の楽曲を手がけたことから、一気にその名をラテン・ミュージック界で知られることとなった。そのディヴァインが1998年に家庭の事情によりプエルトリコに移り住んだことをきっかけに、「ザ・デイのY」イェヨとの出会うのだった。

☆ザ・デイの「Y」=イェヨ(Yeyo):プエルトリコ注目の存在
キューバ系の父とプエルトリカンの母の元、プエルトリコに生まれたイェヨは、音楽に囲まれた家庭に育ち、9歳から既に詩を書き始めていた。中学に入学する頃からはクール・G・ラップやNWAと言ったヒップホップに傾倒し、「もともとの詩作りに、ヒップホップが加わって、ラップにつながったんだ」と本人は語る。そして1999年にはイェヨ自身もメンバーであるグループ、The Shanghai Assasinz が プエルトリコ、ヴィケス島で起きた事件*に触発された曲 ”Viequez” を作り、大きく話題に。イェヨは「プエルトリコ、アンダーグラウンド・シーン注目の存在」になっていくことになった。

* 地元ヴィケス島出身の米軍従業員が、ヴィケス米軍基地の行う爆撃訓練で死傷し、地元住民の米軍基地への反感感情が高まり、米軍基地の撤退を求めることとなった出来事。

☆ザ・デイの3人、運命の出会い
その後共通の友人を通じて対面を果たしたディヴァインとイェヨは、出会ったその日に意気投合し、”El Que Se Pica” をレコーディング。この曲はすぐに地元のラジオ局でオンエアーされ、ヒット曲となった。その後2005年春には「ザ・デイのE」ことエランがグループに加入し、ザ・デイが誕生することになった。3人の出会いはダディー・ヤンキーのマネージャーであるアンソニー・ラミレスによるものではあるが、実はディヴァインとエランは、それより以前、ディヴァインがジェルバ・ブエナのとツアーを回っていたときに出会っており、その時から「いつかぜひ共演しよう」と言っていたため、ディヴァイン、エラン、イェヨの出会いとグループ結成は、「運命であり、必然でもあったと思える」と本人達は語っている。

☆ザ・デイの「E」=エラン(Elan):ブロードウェイ育ちの本格派
エランはディヴァイン同様、ニューヨーク生まれで、プエルトリカンとアフリカン・アメリカンの両親の家庭に育ち、ティーンエイジャーになると映画「フェーム」でも有名な、音楽・芸能専門のエリート校であるラ・ガーディア高校に進学し(卒業生には俳優陣でアル・パチーノ、エイドリアン・ブロディ、ジェニファー・アニストン;ミュージシャンではライザ・ミネリ、ジャニス・イアンなど錚々たる顔ぶれが並んでいる)、声楽を専攻していた。在学中の16歳で早くも「The Capeman」でマーク・アンソニーらとともにブロードウェイに出演、その後もDLGのバック・コーラスに参加したり、在日、在韓米軍基地をツアーで回るなど、ザ・デイ加入前に既にエンタテインメント界で活躍する存在になっていた。

☆デビュー前から話題の存在
ザ・デイ結成後すぐに3人はイェヨのスタジオに4日間こもり、レコーディングを開始。そこで作られたデモ音源が米エピック・レコードの元に届き、即メジャー契約となった。その後自身のアルバム制作のかたわら、ティーン・スター=ポーラ・ディアンダの全米トップ20ヒット曲「ウォーク・アウェイ」(2006)にフィーチャーされ、話題の存在に。

☆強力プロデューサー陣バックアップのデビュー・アルバム
待望のデビュー・アルバムにはアース・ウィンド・アンド・ファイアの名曲「宇宙のファンタジー」を大胆にサンプリングした先行シングルの「ギヴ・ユー・ザ・ワールド」や、ハンド・クラップがおなじみの北欧大ヒットプロデューサー・チーム、スターゲート(ビヨンセ、リアーナ、ニーヨなど)や、ティンバランド(ジャスティン・ティンバーレイク、マドンナなど)、JRロテム(ブリトニー・スピアーズ、ジェニファー・ロペス、ショーン・キングストンなど)をはじめとした、トップクラスの才能が集結した作品となる予定。