ステレオフォニックス
[L→R]
リチャード・ジョーンズ (B)
ジェイミー・モリソン (Dr)
ケリー・ジョーンズ (Vo/G)
アダム・ジンダーニ (G)

 

1992年、ウェールズのかつて炭鉱の村として知られるカマーマンで、幼馴染みの3人、ケリー・ジョーンズ(Vo/G)、リチャード・ジョーンズ(B)、スチュアト・ケーブル(Dr)で結成。Virginグループ総帥のリチャード・ブランソンが立ち上げた
「V2レコーズ」(当時SMEとの合弁)契約第1弾アーティストとして1996年にシングル「ルックス・ライク・チャプリン」でデビュー。
1997年、1stアルバム『ワード・ゲッツ・アラウンド』が全英6位のビッグ・ヒットを記録(後にミリオンに)。ブリット・アワード「最優秀新人賞」、ケラング!誌「最優秀ブリティッシュ・バンド」、NME誌「ブラット・アワード」受賞。
1998年、ウェールズのカーディフ城公演を成功させる。直後に日本デビューとなる『ワード・ゲッツ・アラウンド』国内盤発売。第2回フジロックで初来日。秋に初単独ツアーで来日。シングル「ザ・バーテンダー・アンド・ザ・スィーフ」が全英3位を記録。
1999年、2ndアルバム 『パフォーマンス&カクテルズ』で初の全英1位かつ即ミリオンに到達(累計200万枚)。カットしたシングルも軒並みヒット。単独ツアーで来日。ウェールズのモーファ・スタジアムで開催された6万人ライヴを成功させ
るなど、デビューわずか2年でUKの頂点に立つ。(以降2007年の6thアルバム 『プル・ザ・ピン』まで、5作連続で全英初登場1位という破格の成功を収める)
2000年、レディング・フェスでヘッドライナーを務める。
2001年、3rdアルバム『ジャスト・イナフ・エデュケーション・トゥ・パフォーム』発売。シングル「ミスター・ライター」「ハヴ・ア・ナイス・デイ」(日本でホンダのCFに起用)が共に全英5位を記録。ドニントン・パークで開催した自主企画フェスで
14万人動員、その年の最高動員記録を樹立(サポートにアッシュやブラック・クロウズなど)。フジロックで来日。(デビュー以来トリオで演奏していたが、この頃からサポート・ギタリストとキーボーディストをツアー・メンバーに加える)
2002年、グラストンベリー・フェス、Vフェス、アイルランドのスレーン城コンサートでヘッドライナーを務める。
2003年、4thアルバム『ユー・ガッタ・ゴー・ゼア・トゥ・カム・バック』からの1stシングル「マダム・ヘルガ」が全英4位、2ndシングル「メイビー・トゥモロー」(05年公開の米映画「クラッシュ」〈監督:ポール・ハギス/アカデミー賞受賞〉の主題歌に起用)が全英3位を記録。サマーソニックで来日。9月のUSツアー中にオリジナル・ドラマーのスチュアート・ケーブルが脱退(10年死去)。
2005年、5thアルバム『ランゲージ・セックス・ヴァイオレンス・アザー?』からの1stシングル「ダコタ」がバンド初の全英シングル・チャート1位に輝く。このアルバムからハヴィエ・ウェイラーが2代目ドラマーとなる。
2007年、セカンド・ギタリストとしてアダム・ジンダーニが6thアルバム『プル・ザ・ピン』のツアーに参加。
2008年、単独ツアーとNANO-MUGEN FESで2度の来日。
2009年、ワイト島フェスのヘッドライナーを務める。初のベスト・アルバム『ディケイド・イン・ザ・サン』(3作目のミリオン)と7thアルバム『キープ・カーム・アンド・キャリー・オン』を発表。この2作品からアダム・ジンダーニが正式メンバーとして加入。
2011年、東日本大震災を支援するチャリティ・イヴェント「ジャパン・ディザスター・ベネフィット」にケリー・ジョーンズが参加。
2012年、自身のレーベル「スタイラス・レコーズ」(STYLUS RECORDS)を設立し、オアシス/ノエル・ギャラガーのマネジメントでレーベル機能を持つ「イグニション」(IGNITION)と業務提携を結ぶ。ハヴィエ・ウェイラーが脱退しジェイミー・モリソ  ン(元ノイゼッツ)が3代目ドラマーとして加入。
2013年:日本はソニーミュージックより、8thアルバム『グラフィティ・オン・ザ・トレイン』を発売。全英3位かつ34週に亘ってチャート・インという大ロングセラー作品となる。同年サマーソニック(マウンテン・ステージのヘッドライナー)で来日(+東京のみ単独公演開催)。
2015年:9thアルバム『キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ』発表。3作ぶりに全英1位を獲得。
2016年:フジロック(グリーン・ステージ)で来日(+東京のみ単独公演開催)。
2017年:パーロフォン/ワーナーに移籍し10th『スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ』発表(全英2位)。
2019年:11thアルバム『カインド』発表(全英1位)。
2021年:スタイラス/イグニション/ソニーミュージック(日本)のパートナーシップ復活。
2022年:12thアルバム『ウーチャ!』発表、8作目の全英1位を獲得。

【Early Days】
今や“国民的バンド”となった彼らだが、デビュー当時に他の同世代バンドと違ったのは、KERRANG! 誌のようなクラシック・ロック、オルタナティヴ/モダン・ロックを扱うメディアからも歓迎されたことだ。AC/DC、BLACK CROWES、GREEN DAY、PEARL JAM、FOO FIGHTERSなどのファンが好む要素があったのだ。「リチャード・ブランソンの新レーベル“ヴァージン2”(=V2)が最初に契約したバンド」という話題性に加えて、とにかくライヴの説得力が桁違いだったことが大きかった。ケリーのギブソンSGをガシガシ掻き鳴らす様、アーシーでパワフルな歌いっぷり、即座にオーディエンスを飛び跳ねさせるド直球の3ミニッツ・ロックンロールに労働者階級の琴線に触れるシンガロング系アンセムの多さは、それまでのブリット・ポップ勢にはない骨太さがあった。なによりヴォーカルが圧倒的に上手い、メロディーはキャッチーで演奏は豪快というシンプルな魅力にイギリスの若者が飛びついたのだ。また、“みんなと同じ場所にいる”感が滲み出た彼らの地に足の着いた言動、飾らないキャラクターも信頼感につながった。クラシック・ロックの錚々たる大御所たちからも早い段階から支持されてきたことは、彼らが一過性のバンドではないことを裏付けてもいた。ジミー・ペイジは彼らのエナジェティックなライヴに感心し、ロジャー・ダルトリーは息子同然に可愛がり、ポール・ウェラーはケリーの歌詞に共感を覚え、ロン・ウッドはケリーの“ウィスキー”ヴォイスに酔った。実際彼らはAC/DC、ザ・フー、エアロスミスのオープニングを務めるなどして、幅広いロック・ファンにアピールすることに成功した。同時にオアシスのギャラガー兄弟も(珍しく?)揃って認めており、特にケリーとノエルがとても親しい間柄となったのは面白い。