シェイン・ワード
出し抜けにひとりの若者がシングルとアルバムでNo.1ヒットを飛ばし、世界を旅して無数のレコードを売った。そして一度姿を消し、再び戻ってきた。そこで人々が思い描くのは、セカンド・アルバムでは’成長’を披露し、新たな音楽の方向性を追い求めることを決断した彼の姿だろう。

成熟した大人のバラードを披露したデビュー作をリリースした後、このマンチェスター生まれの青年は、そろそろ年相応に振る舞ってもいいんじゃないかと考えた。

「ぼくは22歳だよ」トレーナーにパーカーをはおってジーンズを穿いた彼は、ゆったりと腰かけて口にした。「42歳じゃない」

「ぼくっていう人間のことをみんなに伝えたい」とシェインは言う。「己の芸術とか創作といったものを押し付けるよりもね。ぼくは楽しみたいから音楽を聴く。だから同じ理由で音楽をつくりたいんだ」

シェインは1年以上かけてポップ界の帝王Max Martinとともにスウェーデンでレコーディングを行っていた。ブリット・アワードにノミネートされた経験を持つ彼のニュー・アルバムは、デビュー作とは違うエネルギーに満ち溢れている。それはポップ、R&B、エレクトロニカを駆使した気取らない雰囲気のコレクションで、シェイン自身がいつも「iPodで聴いているプリンスやニーヨ、ジャスティン・ティンバーレイクといったアーティストたちの影響を受けたワールドワイドなプロダクションとなった。シェインの2007年アリーナツアーでもそれは明確に表現され、シェインはオリジナル曲の間にマイケル・ジャクソンの『Don’t Stop Til You Get Enough』やプリンスの『When Doves Cry』のカヴァーを歌っている。

今回のセカンド・アルバムに向けてのニュー・シングルとして、シェインは「イフ・ザッツ・オッケー・ウィズ・ユー」を送り出した。ファンキーでダンス・フロア向けのこのトラックの内容は、相手との関係をとりあえず次の段階に進ませてみよう、といったものだ。

「ぼくと一緒に暮らさない?とか、きみのところに歯ブラシを置いていってもいい?みたいな歌」とシェインは笑う。

「誰かと付き合ったときに一度は経験するシチュエーションだよ。びくびくする気持ちと興奮が入り混じったような感じ」

このトラックが最初に放たれるセカンド・アルバムは、デビュー作の驚異的な成功のうえに築き上げられる運命にある。彼のデビュー・シングル「ザッツ・マイ・ゴール」は発売日に記録を作り、UKチャートで1位を獲得して130万枚以上のセールスを記録した。

その後のデビュー・アルバム『シェイン・ワード』も瞬く間にNo.1の座にのぼり、2週間後にはプラチナムを達成。半年もたたない間にマダム・タッソーの蝋人形館に彼の人形が展示され、マンチェスターでの野外ギグには何万人ものファンが詰めかけ、シングル「ノー・プロミシズ」(UKチャート2位)「スタンド・バイ・ミー」(同3位)が続々とリリースされるなか、18日間のUKアリーナ・ツアーのチケットは飛ぶように売れた。

そんなシェインは、どうにかファンをキープするためだけのいい加減な作品をリリースするということはせずに、UKチャートからは1年以上姿を消していたものの、世界を旅して、香港やスウェーデン、インドネシア、韓国、南アフリカ、シンガポール、台湾、タイといった国々でNo.1を獲得していたのだ。彼のアルバムがトリプル・プラチナムに達成した国もあるし、チャートでジャスティン・ティンバーレイクやクリスティーナ・アギレラを抜いた国もあった。

「そりゃイギリスで1位になるのは嬉しい。でも、‘テレビに出なくなったあいつ’とは思われないところや、己の音楽のクオリティにすべてがかかっている国々でヒットを飛ばすことは、ものすごく異なった達成感があったんだ」

「アジアっていうのは、何かを得るためにはきつい仕事に耐えなくてはならない場所のひとつ。そしてぼくは耐えた。ぼくはそんな重労働ならいつでもするし、そのおかげで大きなサポートを得ることができたんだ。あちこちで1からスタートし直して、成功したときは最高に報われた気持ちになったよ」

そんなふうに世界を旅しながらも、多くの時間を故郷のイギリスに近いスウェーデンで過ごし、数々のヒット・ソングライター/プロデューサー達やMax Martinともにレコーディングも行っていた。Maxはブリトニーやインシンク、バックストリート・ボーイズを手掛けたポップ界の生きた伝説で、進化したギターポップ・サウンドでケリー・クラークソンの『シンス・ユー・ビーン・ゴーン』に魔法をかけた人物でもある。

「彼が部屋にいると特別な雰囲気を感じるんだ。何かが起こるだろうって感覚がある。彼はひょいとスタジオにやってきて、なんだかおかしな提案をする。すると帰る時間がくるころには楽曲が信じられないくらいいい感じの方向に進んでいるんだよ」

アルバムを構成している楽曲は決して‘ブリトニーが拒否したトラックを集めた’ようなものじゃなく、今活躍している大勢の作曲家たちに支持される様々なものが詰まった引き出しなのだと彼は付け加える。シェインと一緒に、またはシェインのために書かれた楽曲「ユー・ハング・アップ」や「ユー・メイク・ミー・ウィッシュ」などは、彼のパーソナリティとぴったり合ったオーガニックでな雰囲気を持っている。

「全部ぼくのための楽曲だ」そう言って彼は目を輝かせる。「誇りに思うべきだよ。だってぼくがこれらの歌を歌うんだから!」

Max Martinからスタートしたスーパースター・チームのラインナップは、ビデオではSyco Musicがこれまでに革新的な撮影でマイケル・ジャクソン、リッキー・マーティン、ボン・ジョヴィなどを手掛けた高名なディレクターWayne Ishamを起用。また写真撮影は『Rolling Stone』や『Vogue』誌の表紙で数限りないスターたちを撮影し、アルマーニのキャンペーンも手掛けてきたファッション・フォトグラファーのMax Vadukulが担当した。

驚くほどアップテンポな曲の多いこのアルバムで、バラードといえば最新シングルの「ブレスレス」に代表される。

「ぼくが歌ってきたバラードのなかではベストだと思う。それでもみんなが思っているような曲とは違うだろうけどね。ダウンテンポだからってオーディエンスを驚かせることができないってわけじゃない」

リアーナの「アンブレラ」やジャスティンの「クライ・ミー・ア・リヴァー」などを思い浮かべると、シェインの追い求めている最先端のバラードというものが理解できるかもしれない。それは大幅なキーの変更やドラマティックな瞬間を必要としないバラードだ。

「アルバムに収録された他のトラック同様、これまでぼくが歌ってきた歌よりもさらに深く、大胆なものを、オーディエンスは『ブレスレス』で感じてくれると思う。トラックそれぞれのサウンドを自分のものにすることがとても大事だった。チューンだけじゃなくてね」

このアルバムを耳にすると、2年前は誰もシェイン・ワードの存在さえ知らなったことなどすっかり忘れてしまう。6人の兄弟姉妹に囲まれて育ったシェインは、10代の頃はパブやクラブ、バー、結婚式といった場所で他の2人のシンガーたちとパフォーマンスをしていた。彼はその仕事でそれなりに稼いではいたが、自尊心は満足していなかった。もっと大きなことがしたいと考えたシェインはついにテレビでブレイクし、この世界でとことんまでやってみる準備を整えた。だが『X-Factor』で勝利を収めてからというもの、彼は着実に成長してきてはいたが、そのなかだけにとどまっていたことも事実だろう。シェインのように地に足のついた人物を見つけるのが難しいくらいなのだ。とはいえ今回は誰もが注目するに違いない変化がある。彼は身につけていたスーツを、これまでのイメージを、きっぱり脱ぎ捨てているのだ。

成功しようという決意と最高のポップ・ミュージックを作りたいという望みの後ろで、シェインはリラックスしたアプローチで進んでいる。

「己の葛藤を描いた涙の出るような自叙伝的リリック…? そのうちね。今のところは楽しんでいるだけ」

「アーティスト’であろうと頑張るポップスター…? 4枚目のアルバムくらいでなら。できればそういうのはナシがいい」

「これはラヴ・アルバムじゃない。ぼくっていう人間を表現しているアルバムなんだ。愉快な気分や、感情的な部分をさらけ出し、セクシーな部分や野性的な面を見せている。アルバムを制作するたびに、これがベストだと思えるものをリリースするつもりだし、それぞれいろんなタイプの作品にしたいし、前作より優れたものにしていこうと思っているよ。英国ポップ・アクトのプレミアリーグの一員になりたいね。その目標を達成するための重労働をぼくは今エンジョイしているんだ」