スコーピオンズ


65年にドイツのハノーファーでルドルフ・シェンカー(G)が中心となり結成。71年にクラウス・マイネ(Vo)とマイケル・シェンカー(G)らが加わり、72年にアルバム『恐怖の蠍団~ロンサム・クロウ』でデビュー。73年にマイケル・シェンカーが脱退(UFOへ)、ウリ・ジョン・ロート(G)が加入する。78年に初来日、東名阪での5回公演はすべてソールド・アウトと世界に先駆けて日本で高い人気を獲得する。その東京公演を収録したバンド初のライヴ・アルバム『蠍団爆発!!スコーピオンズ・ライヴ~トーキョー・テープス』がライヴ名盤として話題となる。このツアーを最後に脱退したウリの後任としてマティアス・ヤプス(G)が加入。マティアスの初参加作品でゲストにマイケル・シェンカーを迎えた『ラヴドライヴ』(79年)で本格的な世界進出を果たす。定評のあったライヴ・パフォーマンス力でツアー動員が飛躍的に伸びる中、『蠍魔宮~ブラックアウト 』(82年)『禁断の刺青~ラヴ・アット・ファースト・スティング』(84年)が世界中で大ブレイク、念願の全米制覇を果たすと共にハード・ロック/ヘヴィ・メタル・シーンのトップに躍り出る。88年には当時では画期的な旧ソビエト連邦(現ロシア連邦)のレニングラードでの単独10日間ライヴを成功させ、翌89年にモスクワで開催された史上初の西側アーティストによる10万人動員の世紀の一大ロック・イヴェント「モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティヴァル」にボン・ジョヴィ、オジー・オズボーン、モトリー・クルーなどと共に出演する。旧ソ連のペレストロイカを肌で感じたことから生まれた91年のシングル「ウィンド・オブ・チェンジ」が7カ国で1位、全米4位、全英2位と世界中で大ヒット、ロックの枠を超えた平和と希望を象徴するアンセムとしてバンド史上最大のヒット曲となる。10年の『蠍団とどめの一撃~スティング・イン・ザ・テイル 』とそのワールド・ツアーをもって解散と一度は発表されたが、後に撤回する。15年3月、結成50周年を記念して5年振りとなるオリジナル・アルバム『祝杯の蠍団~リターン・トゥ・フォエヴァー』を発表、母国ドイツでの2位を筆頭に世界各地で好セールスを記録。全アルバムの累計セールスは1億枚を突破。これは、史上最も商業的に成功したロック・バンドのTOP30に入る。

 

 

Klaus Meine(クラウス・マイネ): Lead Vocal

Rudolf Schenker(ルドルフ・シェンカー): Rhythm Guitar, Lead Guitar

Matthias Jabs(マティアス・ヤプス): Lead Guitar, Rhythm Guitar

Pawel Maciwoda(パウエル・マチヴォダ): Bass Guitar

James Kottak(ジェイムズ・コタック): Drums