リライアントK
【ミニバイオ】

1997年、 マット・ティーセン(Vo/Gu/Piano)とマット・フープス(Gu/Vo)が高校時代にオハイオ州、カントンにてRELIANT Kを結成。バンド名は80年代にプリマスが作ったReliant Kからきている。ギターのマットが16歳当時それに乗っている際、それをからかわれたことがきっかけで、内輪ネタからバンド名が決定。その後、訴訟を危惧しReliant KからRelient Kに名称を変更。 美しいメロディーとトリッキーな歌詞、そして圧倒的ライブ・パフォーマンスが話題を呼び、その活動の初期-中期はポップ・パンク・バンドとして大きく注目される。2ndアルバム「The Anatomy of the Tongue in Cheek」、グラミー賞ノミネート作となった3rdアルバム「Two Lefts Don't Make a Right・・・but three do」(2003)そして4thとなる「ビー・マイ・エスケイプ/MMHMM」(2004)の3作品全て全米で50万枚を超えるセールスを記録。「MMHMM」は全世界で85万枚を記録。5枚目となった前作「Five Score And Seven Years Ago」は全米初登場6位を記録し発売第一週で6万枚のセールスを上げている。今日までにアルバム累計300万枚のセールスを誇り、ゴールド・ディスクを3枚輩出している。本国では2009年10月6日にリリースされる近作はプロデュースにマーク・リー・タウンゼント、アンディー・ウォレス(ニルヴァーナ、ジェフ・バックリー、シェリル・クロウ)をミックスにを向かえた2年ぶり、6作目のスタジオ・アルバムである。



【海外版正式バイオグラフィー】

失恋の傷を癒すのにその実体験について良質の楽曲をたくさん書き、アンプのボリュームを最大にしてひたすらロックするのが案外一番効くのかもしれない。
名曲と呼ばれている楽曲を考えてみてほしい。そして彼らが家屋の崩れいく壁と横桁のように悪化していく人間関係からいかに音楽的カタルシスを成し得たかを考えてほしい。リズ・フェアーの「エグザイル・イン・ガイビル」からナイン・インチ・ネールズの「プリティー・ヘイト・マシーン」しかり、ベックの「シー・チェンジ」しかり。押しなべて前述が当てはまる。
Relient Kは曇りなき眼で作曲され、前向きで新鮮な四つ打ちの楽観主義で紡ぎだされた彼らの最新のアルバム『フォーゲット・アンド・ノット・スロウ・ダウン』をこの21世紀に発表する。確かに「イフ・ユー・ビリーヴ・ミー」には物悲しい甘さが漂い、「パート・オブ・イット」や「サヴァンナ」には名残惜しい郷愁の念がある。ビターに刺激的な「アイ・ドント・ニード・ア・ソウル」や「オーヴァー・イット」など、偶発的な報復について歌ったものもある。だがリード・シンガーであり、作曲家でもあるマット・ティーセンは後悔にふけるような人間ではないのだ。
それは勢いのあるタイトル・トラックで彼自身が歌っている。「変えられもしないのに後悔の念ばかりかき集めるくらいなら、きっぱり忘れて歩みをとどめたりはしない。」
こういった精神性を持つのに意思の強さを必要としないわけではないがティーセンはこう語る。「感情として嫌なことを忘れて先に進むのは簡単ではない。でも時にそれは自分にとっていい風に働くんだ。常に大きな絵を頭の中で描いていなきゃいけない。自分をかわいそうに思い、決していい方向に思案をめぐらせていない状態は生産的とは言えない。だから前に進むためには『どうすればよくなるか?』ってことに集中しなきゃいけない。それがこのアルバムの全体のコンセプトなんだ。」
ギタリストであるマット・フープスが同意する。「過ちから学び、もっといい風に出来たかもしれないってことを意識するだけにならないようにすること。みなに当てはまることだよ。過ちを犯したときに、それで人生が終わるわけじゃないっていう見識が大事なんだ。」
こういった前向きな確信の中から素材を集めるためティーセンはソロー(ヘンリー・ディヴィッド・ソロー:代表作「ウォールデン-森の生活」は二年二ヶ月に及ぶ森での一人暮らしの記録をまとめたもの。)のようにテネシー州のウィンチェスターの湖畔の家で隠遁生活を送った。「2,3ヶ月間完全に一人きりだった。最高だったよ。何か考え事をしていても誰に邪魔されることもなく6,7時間それについてずっと考えられる。一連の思考をずっと保ってられるんだ。もうこれ以外の方法でアルバムを作りたくないね。」
ティーセンにとって孤独な創造のプロセスは祈りと似通った作業だったようだ。「僕にとって作曲と祈りは同義なんだ。魂を、脳を使って考えと内なる感情をまとめ一つにする。そしてこう言う。『これは自分の人生のどこに当てはまるのだろう』って。」
その逗留の間、ティーセンはフープスやその他のメンバーと楽曲のアイディアやアルバムの方向性を共有し定期的に連絡を取り合った。そうして一つの原則が出現した。「このアルバムは間違いなくヤバイ」という原則である。
長年プロデュースを手がけてきたマーク・タウンゼント(「テレパシー的な関係性に近いものがあるよ。彼は家族の一員だね。」とフープスは語る)を再び向かえライヴの刺激的精神性と自発性をスタジオにもたらした。甘いメロディーとカフェイン含有のポップ・パンク・サウンドのブレンドである彼らのトレード・マークが突出している「セラピー」、「キャンドルライト」や「ディス・イズ・ジ・エンド」のような楽曲には切迫性と力強さが一際増している。
アルバムは著名なエンジニアであるアンディー・ウォレス(ニルヴァーナ、ジェフ・バックリー、シェリル・クロウ)によりミックスされ、前作を大きく上回る壮大なスケールと噛み砕かれた明瞭さを発揮している。
「絶対にロック・アルバムを作りたいと思っていた。アップテンポでエネルギッシュなものにしたかった。サウンド面で言えばよりモダンさを抑えてクラシック・ロックの文脈を加えたかった。Counting CrowsやFoo Fightersの90年代のアルバムのようなサウンドを目指した。ロックン・ロールの黄金時代だったね。」とティーセンは語る。
90年代はレコーディング・スタジオでパソコンが主役の座につく前の時代だった。「ほとんどのバンドが偽物の楽器であるMIDIやシンセを使っている。僕らもそうだ。でもこのアルバムでは耳にするもの全てが実際に演奏されたものなんだ。オーガニックなんだよ。同じ手法をとっているバンドを僕はたくさん知っている。でも僕らにとって本物の音でアルバムを作ったのははじめてだったんだ。」
そんな謙虚な主張はさておき、彼らはティーセンとフープスが高校生のころバンドを結成した1997年から本物のアルバムを作り続けている。結成から10年間、彼らは5枚のアルバム(そのうち3枚がゴールドに認定されている)と5枚のEP、そして1枚のクリスマス・アルバムをリリースし、世界中をツアーし、シングル・ヒットを複数積み上げ、一度のグラミー・ノミネート、二度のダヴ・アワードの受賞、The Tonight Show with Jay Leno、 Late Night with Conan O’ Brien 、そして Jimmy Kimmel Liveへの出演などを果たしてきた。Los Angeles Timesは「ポップ・パンクとパワー・ポップの知的なブレンドにBeach Boys、Blink-182やFountains of Wayne並みの多様性を織り交ぜたサウンド」と評し、Spinは「熟達したスキルでパンクに影響を受けたモダン・ロックを奏でる数少ないバンド」と評した。
世界中のファンの期待が高まり、ツアーも控えている中、『フォーゲット・アンド・ノット・スロウ・ダウン』(彼らの新レーベル、Mono vs. Stereoからリリースされる初めての作品)に対する彼らの望みは実にシンプルなものである。
「過ちを犯し、最終的にそれらを乗り越えるというテーマのものがファンの間で好まれる傾向にあった。このアルバムにはそんなテーマがふんだんに盛り込まれている。人生において遭遇する試練や悲しみがどんなものであろうとそれで人生を終わらせてしまう必然性は一切ない。それを乗り越え喜びを経験し、幸せになることが出来るんだから。」とフープスは語る。
ティーセンはさらに付け加える。「楽曲が暗にほのめかしている解決策とポジティブさを聴いてくれる人が受け止めてくれることを僕らはいつも願っている。これらの曲は全て前向きな精神状態から作られたものでそれを個々の人生の中で見つけてもらえるよう人々に奨励するものなんだ。今、苦難のときが来ているのであれば、それを乗り越える道も見つられるはずだよ。」