ニック・ラシェイ
MTVリアリティ番組『ニューリーウェッズ』:ニックの運命の分岐点
90年代にはバックストリート・ボーイズ、’N SYNC(イン・シンク)と並んで“米3大ボーイズ・グループ”と称された人気ボーイズ・グループ=98°(ナインティ・エイト・ディグリーズ)のメイン・ヴォーカリストとして活躍した経歴を持つニックだが、彼のキャリアはポップ・シンガー=ジェシカ・シンプソンとの結婚、そしてMTVのリアリティ番組『Newlyweds: Nick and Jessica』(邦題:ニューリーウェッズ/新婚アイドル:ニックとジェシカ)の成功を境に完全にリセットされたといって良いだろう。
98°のメンバーとして活動中の1998年12月にジェシカ・シンプソンと運命の出会いを果たし、約4年越しの大恋愛を経て2002年10月に結婚。その後ふたりの運命を大きく動かしたのが前述の『ニューリーウェッズ』だ。アイドル夫婦の新婚生活にMTVのカメラが密着するというリアリティ番組で、当初は各々のアルバム拡売を目的に企画されたが、ジェシカの天然かつ憎めないお茶目な言動の数々や惚れた弱みですっかり振り回されながらも彼女を愛して止まないニックの良き夫振りが反響を呼び、あれよという間に番組人気がひとり歩きし高視聴率を記録。『ニューリーウェッズ』は計3シーズン放送され、日本でもMTV JAPANが2004年2月に放送開始、人気を博した。

ジェシカ・シンプソンと共にハリウッドのAリスト・セレブへ
米TV業界で全盛のリアリティ番組ブームの波に乗った『ニューリーウェッズ』は放送1回につき平均200万人という驚異的な視聴者数を獲得。この爆発的ヒットがニックとジェシカをAリスト・セレブに一気に押し上げた。米を代表するポップ・アイコンのひとりに急成長したジェシカのメディア露出量は今ではブリトニー・スピアーズやジェニファー・ロペス、リンジー・ローハン、パリス・ヒルトンといったセレブ達に匹敵、TV・雑誌・インターネット等でジェシカの名前を目にしない日は無い。夫ニックと共にシンガー、セレブ・タレントとして多忙な日々を送りながら、04年には自身の香水&ボディケア・ブランド「Dessert」を発表し大成功。05年には初の主演映画『デュークス・オブ・ハザード』(原題:The Dukes Of Hazzard)が公開され全米興行成績1位を記録、主演女優として破格のギャラを手にしたと噂されている。一方ニックも03年に発表された初のソロ・アルバム『SoulO』以降、レコーディング・アーティストとして作品を発表するタイミングこそ逃しながらも、公私共に妻ジェシカをサポートしながらTVを中心に活躍。甘いルックスと鍛え上げたプロポーション、『ニューリーウェッズ』で描かれた包容力溢れる夫ぶりと素朴なキャラクターは米メディアで“All American Husband”(アメリカの愛すべき夫)と評され、ハリウッドで最も動向を注目される男性タレントのひとりに。昨年は米雑誌People誌が選ぶ“2005’s Sexiest Men Alive”(2005年度の最もセクシーな男性)にも選出され、トップ10入りを果たした。熱狂的なスポーツ・ファンとしても知られ、米最大のスポーツTVネットワーク=ESPNのスポーツ中継のレギュラー・コメンテイターとしても人気を博している。

『ニューリーウェッズ』放送終了、そして最愛の妻との別れ
しかし『ニューリーウェッズ』によって手にした商業的成功の代償としてふたりが失ったものも大きかった。ニックとジェシカが二人きりで過ごした新婚生活は最初の6ヶ月のみ。四六時中TVカメラと同居する生活にプライバシーは存在しない。そしていつしか“リアリティTV”と“実生活”の境界線は不明瞭になっていく―――ハートフル・コメディの如く面白おかしく描かれ、作り上げられた虚像を実生活でも演じるようになっていた、と後にニックは語っている。2005年3月に『ニューリーウェッズ』ファイナル・シーズンが放送終了した直後から不仲説が頻繁に浮上するがニック、ジェシカ共に否定。が結局11月に離婚が正式に発表され、米で最も祝福された熱愛カップルの破局は衝撃のニュースとして大々的に報じられた。仕事に追われ夫婦として過ごす時間が殆ど作れなかったこと、ジェシカの実父で当時ふたりのマネージャーでもあったジョー・シンプソンとニックの確執説、ジェシカ、ニックそれぞれの浮気疑惑・・・様々な理由がいまだに取り沙汰されるが、真相はふたりにしか知りえないだろう。

ニックの新たなる1章、ニュー・アルバム『ワッツ・レフト・オブ・ミー』

離婚後もニック、ジェシカにまつわる米メディアの取材合戦は白熱する一方だ。離婚にまつわる金銭問題やふたりが復縁する可能性が議論され、独身に戻ったハリウッド・セレブ=ニック、ジェシカの私生活、デートの相手や内容が細かく報じられる。4月上旬にとあるラジオ・インタビューでニックが「まだジェシカを愛している」と発言した途端、翌週発売の芸能雑誌の表紙の殆どをニックが飾り、発言の内容をトップ・ニュース扱いで報道。さらに5/3付の米音楽誌ローリング・ストーンもトータル約5ページを割いてニックの独占インタビューを掲載している。
 いまだとどまる気配の無い騒動の最中にあるニックが激動の3年間を振り返る自伝的ソロ・アルバム、それが『ワッツ・レフト・オブ・ミー』だ。話題性に富んだ作品であることは間違いないが、同時にひとりの女性と出会い、愛し合い、別れ、今新たな人生を踏み出そうとしているニック・ラシェイの再出発、そして実力派シンガー=ニック・ラシェイとしての本格復帰を飾る作品でもあり、それにふさわしい力作に仕上がっている。
 アルバム・プロデュースにはダン・マッカラ(バックストリート・ボーイズのシングル“インコンプリート”を手掛けたヒット・メイカー)、アンダース・バッジ(スウェーデン音楽界を代表する大物プロデューサー)、アンドレアス・カールソン(セリーヌ・ディオン他)を迎え、ニック自身も殆どのアルバム収録曲の共作クレジットに名を連ねている。さらに人気ヴォーカリスト/ピアニスト=ジェイミー・カラムがスペシャル・ゲストとして登場、彼が作曲・ピアノで参加した“ゴースト”は間違いなくこのアルバムのハイライトのひとつだ。
 ファースト・シングル“ワッツ・レフト・オブ・ミー”は特にデジタル・ダウンロードでの爆発的なセールスを反映して5/13付全米シングル・チャートで見事TOP10入り(6位)。5月9日の米アルバム発売にむけて、全米ラジオ、MTV、VH-1他音楽チャンネルが“ワッツ~”を強力バックアップ。さらに5月末に向けて「グッド・モーニング・アメリカ」「レジス&ケリー」「トゥナイト・ショー・ウィズ・ジェイ・レノ」「ザ・エレン・デジュネレス・ショウ」等、全米ネットの看板トーク番組をほぼ総なめする大規模なTVプロモーションも予定されている。

【ニック・ラシェイの軌跡】
1995年:98°結成
1997年:『98°』でデビュー
1998年:ニック&ジェシカ、ハリウッドで開催されたクリスマス・イベントにて運命の出会いを果す
2000年:98°活動休止を発表
2002年:婚約&10月に結婚
2003年:8月にMTVリアリティ番組「Newlyweds: Nick and Jessica」放送スタート、全米で高視聴率を記録
2004年1月:『Newlyweds: Nick and Jessica』第2シーズン放送スタート
2005年1月:『Newlyweds: Nick and Jessica』第3シーズン放送スタート
3月:『Newlyweds: Nick and Jessica』放送終了
8月:ジェシカの主演映画『The Dukes of Hazzard』が全米興行収益1位を記録
5月~10月:芸能雑誌等で不仲説が頻繁に浮上するが、ニック、ジェシカ共に否定
11月:ニック&ジェシカが正式に別居を発表、離婚手続きへ


[98°(ナインティ・エイト・ディグリーズ)]
オハイオ州のマイアミ大学でスポーツ医学を学んでいたニックは友人の紹介でグループに加入、メイン・ヴォーカルとして活躍。その後モータウンとの契約に成功、デビューに至った。その後日本盤のみのリリースとなった『Heat It Up』(99年)を含め計5枚のアルバムを発表。実力派ボーイズ・グループとして人気を博し、バックストリート・ボーイズ、'N SYNCと並んで、米3大ボーイズ・グループと言われた時期も。2000年リリースの5枚目『Revelation』は全世界トータル600万枚を越えるヒットとなったが、このアルバムを最後に活動休止。