レディー・ソヴァリン
本名ルイーズ・アマンダ・ハーマン(ニックネーム:SOV)。ロンドン北部出身、24歳のエレクトロ・ヒップホップMC。そのボーイッシュでキュートなヴィジュアルと超個性的なキャラクター、そして時代を先取りしたエレクトロなラップ・スタイルが全英クラブ・シーンを席巻し、当時のDef Jam総帥であったJAY-Z自らが初の北米以外のアーティストとして契約を交わし、2007年にアルバム『パブリック・ウォーニング』でセンセーショナルなデビューを果たす。リード・シングル「ラヴ・ミー・オア・ヘイト・ミー」は全世界で100万枚以上を売り上げ、見事全米ダンス・チャートの1位を獲得。新人ながらファレルやビースティ・ボーイズとのセッション、そしてグウェン・ステファニーの長期北米ツアーのサポートを務めるなど、その比類のない才能に対するシーンの評価は非常に高く、レディー・ソヴァリンは瞬く間に世界が注目するトップ・フィメールMCの地位を確固たるものとした。Springroove07では来日も果たし、新人離れした圧倒的なライヴ・パフォーマンスで日本のファンをも魅了。
そんなソヴァリンの元には世界から取材オファーが殺到、それは喜ぶべきことであった半面、ロボットのように仕事をこなさなければならない毎日に次第に疑問を抱き始める。
“とにかくすごい量のインタビューなの。1週間に100以上もの取材をすることもあった。TV取材は毎日あって、その合間に世界各国からかかってくる電話取材にも応対してた。とにかくクレイジーよ。私は同じことを繰り返すことが嫌いなの”
ラップや音楽がすべてだったソヴァリンにとって、インタビューや電話取材に追われ、肝心のパフォーマンスや音楽制作に割ける時間がなくなってしまった日々は苦痛でしかなく、その不満はいつしか自身の心のバランスを崩す要因となっていった。
“毎日すべてから逃げたくて、ホテルの部屋に閉じこもって一日中泣いてた。どこにも行きたくないし、誰にも会いたくない。でも取材は毎日のように押し寄せてくる。あの時は本当にひどかった。気が変になりそうで、自暴自棄になってた・・・”
精神科医のセラピーなど何の役にもたたないことを悟ったソヴァリンはDef JamそしてJay-Zの元から離れることを決意する。これは決して“諦め”や“降参”ではなく、新しい挑戦なのだと自らを奮い立たせて。
メジャー・レーベルという巨大な組織から離れることは、自らをより厳しい状況に置くことになる。それでも不本意な仕事ばかりを押し付けられる日々から解放されスタジオに戻り、レコーディングに専念することが結局一番のリハビリとなり、ソヴァリンは次第に自信を取り戻していく。長年パートナーシップを組むプロデューサー、Medasynと共に新たな音楽制作を進めながら、自身が主宰するレーベル=Midget Recordsを立ち上げる。
“今はすごく気分がいいの。やっと暗闇を抜けたって感じ。誰にも指図されることもない、だって私がボスだもん!とにかく自分のやりたいようにやれるって素晴らしいね”
そして2009年、前作から2年の時を経て、待望の新作『ジグソー』をリリースした。これはレディー・ソヴァリンがここに至るまでの激動の2年間をテーマに、ジャンルをクロスオーバーした革新的なビートに自身の心情を赤裸々に告白したリリックを乗せたファンの期待を裏切らない復帰作となった。ひとつ違うとすれば、それはソヴァリンが歌に挑戦していることだろう。
“私は決して世界一のシンガーじゃないけど、でもファンのみんなはきっと感じてくれるはず。ラップは私にとって[セカンド・ネイチャー(=第2の天性)]だけど、歌はもっと軽く楽しめるものなんだよね”
ファースト・シングル「ソー・ヒューマン」は、キュア「クロース・トゥ・ミー」をエレクトロ調に大胆カヴァーし、ソングライティングにはアヴリル・ラヴィーンやブリトニー・スペアーズなどの大ヒット曲を多数手掛けているDr.Lukeも参加した超ポップなキャッチー・トラック!まさに現代を再現した“今”の音だ。
世界中のファンからのラヴコールに応え、今度は自らプロジェクトの舵をとるパイロットとして操縦席に戻ってきたレディー・ソヴァリン。その旅の次章はまだ始まったばかり・・・