ジミ・ヘンドリックス、死の2か月前の壮絶なパフォーマンスの全貌が明らかに!
1970年7月4日、アメリカ国内における自身最大のオーディエンスを前に行なった
歴史的パフォーマンスの記録。
© Sam Feinsilver _ Authentic Hendrix, LLC(S)
1942年11月27日に生まれ、1970年9月18日に非業の死をとげたジミ・ヘンドリックス。短いその活動期間に残した膨大な音源は、ヘンドリックス財団が設立されて以降、整理された形でリリースされるようになったが、それでもまだ未発表の音源がかなり眠っていると言われている。
今回登場するザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス名義のライヴ・アルバム『フリーダム~アトランタ・ポップ・フェスティヴァル』も、これまで正式には発表されてこなかったもの。1970年7月4日に行われた「アトランタ・ポップ・フェスティヴァル」における公演の模様を、2枚のCDにフル尺で収録した決定盤である。これまで一部がVHSやCDで出たことはあるが、完全版は今回が初めての登場となる。
1970年7月3日から5日にかけてジョージア州アトランタの広大な畑で開催されたアトランタ・ポップ・フェスティヴァル(第1回目は1968年、1970年は第2回目となるもの)はオールマン・ブラザーズ・バンド、カクタス、マウンテン、プロコル・ハルム、ジェスロ・タルなどが出演して40万人の観客を魅了した。
ジミ・ヘンドリックスは中日の7月4日に出演。バンド・オブ・ジプシーズでも一緒だったビリー・コックス(b)と、盟友ミッチ・ミッチェル(ds)を従えて深夜に登場。前のアクトが押しに押して登場が早朝と言う最悪の事態になった前年の「ウッドストック・フェスティヴァル」の時とは打って変わって、最高のシチュエーションでの登場となった。
この日はアメリカ独立記念日。アンコールで演奏されたアメリカ国歌「Star Spangled Banner/星条旗」は、アメリカ合衆国政府に何かを訴えかけるような壮絶な演奏になったという。
全部で17曲が演奏されたが、アンコール最後の「Hey Baby」を除く全16曲が2枚のCDに収録されている。死の2か月前の壮絶なパフォーマンスの全貌がついに明らかになる!
また、このあとにはこの「アトランタ・ポップ・フェスティヴァル」のパフォーマンスを中心にした新しいドキュメンタリー映画『ジミ・ヘンドリックス:エレクトリック・チャーチ』のDVD/Blu-rayリリースも控えているほか、これまで限定リリースのみであったオリジナル・アルバムのレギュラー盤化(日本盤のみBlu-specCD2仕様)も「アトランタ」発売に合わせてリリースされるなど、
今秋ジミ・ヘンドリックス周辺がふたたび騒がしくなることは間違いないだろう。
<海外のプレス・リリース翻訳> 2015年8月3日、ニューヨーク発:
アトランタから南へ約160km、バイロンという町の郊外にある野原の隣に、ジョージア歴史協会(Georgia Historical Society)が建てた1つの記念碑があり、第2回アトランタ・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァルの会場だったことを示している。
「1970年7月3日~5日、30以上もの音楽アーティストがパフォーマンスを行った。中でもロック界のアイコン、ジミ・ヘンドリックスは、アメリカにおける自身のキャリア史上最大のオーディエンスを前に演奏した」とある。
オーディエンスの数は圧倒的なほどに膨大だった(推定30万人~40万人)にも関わらず、このフェスティヴァルと、特にジミ・ヘンドリックスのパフォーマンスは、今までしかるべき歴史的な重要性や衝撃性を与えられていなかった。
音楽界のレジェンドの彼がアトランタ・ポップで行ったパフォーマンスや、それにまつわる状況を捉えた新しいドキュメンタリー映画『ジミ・ヘンドリックス:エレクトリック・チャーチ』は、エクスペリエンス・ヘンドリックスL.L.C.とソニー・ミュージックのカタログ部門であるレガシー・レコーディングズより10月30日にDVDとBlu-rayにて発売される(国内盤は11月上旬予定)。同作には放送バージョンには含まれなかったボーナス・コンテンツが収録される。この映画は、当時「南部のウッドストック」ともてはやされ、今ではアメリカ最後の偉大なロック・フェスティヴァルと認識されているこの大規模なフェスティヴァルの記録である。ロック・ミュージックにおいて急成長しつつあったフェスティヴァルという文化が、ジョージア州バイロンという小さな農村に大挙して襲撃し、ジミ・ヘンドリックスの忘れることのできないパフォーマンスが生まれたいきさつを描いている。
この映画は、アトランタのプロモーター、アレックス・クーリーが、ミュージック・フェスティヴァルの決定版を作ろうと奮闘する様子を細かく伝えている。クーリーはボブ・シーガー、B.B.キング、オールマン・ブラザーズといった才能あふれるアーティストたちの出演を確保したものの、3日間にわたったフェスティヴァルをメジャーで文化的なイベントに押し上げるには、ジミ・ヘンドリックスの存在が不可欠だった。『エレクトリック・チャーチ』はジミ・ヘンドリックスのバンド「エクスペリエンス」の仲間だったビリー・コックスや故ミッチ・ミッチェルの他、ポール・マッカートニー、スティーヴ・ウィンウッド、リッチ・ロビンソン(ブラック・クロウズ)、カーク・ハメット(メタリカ)、デレク・トラックス&スーザン・テデスキ(テデスキ・トラックス・バンド)、フェスティヴァルの主催者アレックス・クーリーらのインタビューが収録されている。映像にはカラーの16mmフィルムに捉えたてた、ジミ・ヘンドリックスの独立記念日の、息を呑むような演奏の様子も含まれている。彼が不慮の死を遂げるほんの10週間前の映像である。
傑出したパフォーマンスの数々には、「ヘイ・ジョー」、「ヴードゥ・チャイルド(スライト・リターン)」、「紫のけむり (Purple Haze)」の他、「ルーム・フル・オブ・ミラーズ」、「フリーダム」、「ストレート・アヘッド」といった、ジミ・ヘンドリックスがその年の夏制作中だったアルバムに収録されるはずだったものの、未だにどのエクスペリエンス名義のアルバムにも収録されていない楽曲の自信に満ちた説得力のあるバージョンなどがある。打ち上げられる花火をバックに演奏した『星条旗 (The Star Spangled Banner)』はまた別のハイライトであり、クーリーによると「人々を陶酔させた」という。
海外で8月28日に発売される2CD『フリーダム:ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス・アトランタ・ポップ・フェスティヴァル』(国内盤は9月16日発売予定)には、ドキュメンタリーでは見られない6曲のパフォーマンスが収録されている。
1970年代初めには、ジミ・ヘンドリックスは紛れもなく、この世代有数のエキサイティングなロック・ミュージシャンのひとりとして、その高度に様式化されたブルース・ギターへのアプローチで世界を魅了していた。『エレクトリック・チャーチ』の中では、ポール・マッカートニーが彼への崇拝の念を率直に認め、こう付け加えている。
「僕たちはみんなギターを弾いていた。僕たちはみんな少しは(ギターを)分かっていた。でも彼は僕たちより多くのことを知っているように見えたんだ」。
ジミ・ヘンドリックスは1967年にカリフォルニアで行われたモントレー・ポップ・フェスティヴァルでの猛烈なパフォーマンスや、1968年の第1回マイアミ・ポップ・フェスティヴァルのヘッドライナーを務めたこと、また1969年のウッドストックでの魅力的なライヴで反体制文化のサウンドトラックを提供したことにより、ロック・フェスティヴァルというコンセプトを有名にした。
第2回アトランタ・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァルでの彼のパフォーマンスは音楽的な意味だけでなく、社会政治的なダイナミクスにおいても大きな影響を与えた。主催者たちはディープ・サウス(訳注:米国南部の保守的な地域)において非常に顕著だった文化的分裂と戦うことに乗り気になっていた。田舎のオーディエンスが“長髪の”バンドを受け付けず、黒人と白人のアーティストが同じ出演者リストに違和感なく載ることなどあり得ないと想定されていた中、アトランタ・ポップはそのような思い込みへの挑戦を試みたのだ。音楽とメッセージで普遍的な愛を語るジミ・ヘンドリックスは、その抵抗を象徴するのに理想的なアーティストとなった。そしてそのような立場にふさわしく、同フェスティヴァルで最初にブッキングされたアーティストとなったのだ。
ジョージア州のうだるような暑さの中、セキュリティとして雇われた威嚇的なバイク乗りたちの間を縫って、若者が大半を占める何十万人もの音楽ファンがフェスティヴァルの会場を襲撃し、最終的にはフェンスをなぎ倒してしまったため、主催者たちはこのイベントの無料化宣言を余儀なくされた。これほどの観衆を想定していなかった警察権力は、観衆のコントロール、ドラッグの使用、ヌードになることに関して無干渉のスタンスをとった。驚くほど厳しい確率にも関わらず、このイベントは概ね平和に終わった。7月4日の夜、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスがステージに上がった時点では、オーディエンスは30万人以上に膨れ上がっていた。
高額なチケット代や大企業のスポンサーといったしがらみのない、大規模でアナーキー的な音楽フェスティヴァルは、アメリカではほどなく絶滅しようとしていた。アトランタ・ポップ・フェスティヴァルはこの廃れる運命にあるものの最後の生き残りだったのだ。グレン・フィリップス(ハンプトン・グリース・バンド)はこう語っている。
「思い返せば、これは明らかにひとつの時代の終わりのようなものだったね。ひとつの時代の素晴らしい終わり。とても強烈なひとときだったよ」。
『エレクトリック・チャーチ』に収録されているアトランタのフェスティヴァルでの映像を撮影したのは、のちに『ザ・バディ・ホリー・ストーリー』や『キャント・バイ・ミー・ラヴ』といったハリウッド映画を監督したことで知られることになるスティーヴ・ラッシュ。ラッシュは自身が撮影チームとともに録画していた映像を『ウッドストック』の流れを汲むドキュメンタリーに使用するつもりでいた。その契約が取り付けられなかったため、フィルムは事実上そのすべてが現像されないままラッシュの自宅の納屋に放置されたままだった。フルカラーのフィルムのストックは保存状態が驚くほどよく、並外れた試聴作品を生み出すことになる。
このフェスティヴァルの構成やステージ・クルーを担当したビル・マンキンは、『フリーダム』にライナーノーツを寄せ、自身の目撃談を語っている。彼はこう説明する。
「旋風の中心にいたのは、ギターを弾く達人のミュージシャンだった。それは境界線も限界もなく、光の速さで星を目指しながら、全力で激しく生きた命の化身だったのだ」。
【作品情報】:
タイトル:フリーダム~アトランタ・ポップ・フェスティヴァル/ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
発売日:2015年9月16日発売予定
品番:SICP4530~1(CD2枚組)
価格:3.600円+税
※同時発売でジミ・ヘンドリックスのオリジナル・アルバム6タイトルを発売いたします。すべてBlu-specCD2永久仕様/ジュエルケース/定価2,200円+税
1)「Are You Experienced/アー・ユー・エクスペリエンスト」(SICP-30821)
2)「Axis:Bold As Love/アクシス ボールド・アズ・ラヴ」(SICP-30822)
3)「Electric Ladyland/エレクトリック・レディランド」(SICP-30823)
4)「Band Of Gypsys/バンド・オブ・ジプシーズ」(SICP-30824)
5)「First Rays Of The New Rising Sun/ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」(SICP-30825)
6)「Valleys Of Neptune/ヴァリーズ・オブ・ネプチューン」(SICP-30826)
【ショートバイオグラフィー】
ジミ・ヘンドリックス……1942年11月27日にアメリカで生まれ、1970年9月18日に不慮の死を遂げた不世出のギタリスト/コンポーザー。1966年にロンドンでノエル・レディング(b)、ミッチ・ミッチェル(ds)とともにザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成、アルバム『アー・ユー・エクスペリエスト』で衝撃的なデビューを飾る。伝統的なブルースをベースにしながらも、革新的なサウンドメイクでロックを超えた独特の音楽を創出して現在でもその影響力は全く衰えていない。
ライヴ・アルバムも数多いが、オリジナル・アルバムは以下の通り。
1)「Are You Experienced/アー・ユー・エクスペリエンスト」(1967年)
2)「Axis:Bold As Love/アクシス ボールド・アズ・ラヴ」(1967年)
3)「Electric Ladyland/エレクトリック・レディランド」(1968年)
4)「Band Of Gypsys/バンド・オブ・ジプシーズ」(1970年)
※以下はジミ・ヘンドリックスの死後にヘンドリックス財団によってオフィシャル・リリースされたもの
5)「First Rays Of The New Rising Sun/ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン」(1997年)
6)「Valleys Of Neptune/ヴァリーズ・オブ・ネプチューン」(2010年)