ポール・マッカートニーが全来日公演で、ジミ・ヘンドリックスを追悼する理由と背景
photo by Ken DavidoffAuthentic Hendrix LLC |
11年振りのジャパン・ツアーで日本中を沸かせ、いよいよ本日11月21日に東京ドームでツアー最終日を迎える、ポール・マッカートニー。そんな彼が全公演で、「ジミ・ヘンドリックスに捧ぐ」と言って演奏している、特別な演目がある。ポールは、自身の「レット・ミー・ロール・イット」という楽曲の最後に、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの「フォクシー・レディ」をつなげてメドレー演奏しているのだ。27歳で亡くなりながらも今も伝説として語り継がれるジミヘンを、同年代の生ける伝説のポールが追悼している理由と背景とは―。
ファンの間では有名な話だが、ポールとジミは、ジャズの帝王=マイルス・デイビスらと共に空前絶後のスーパーバンドを組む寸前だった。ジミが亡くなる1年前の1969年に、アラン・ダグラスをプロデューサーに、ジミとマイルス、そして当時のマイルスのバンドでドラマーを務めていたトニー・ウィリアムスの三人がレコード制作を計画していて、その企画の中で、ポールにベーシストとしてバンドに加わるよう、正式な依頼が出されていたのだ。結局ポールがスコットランドで休暇中であったため、バンド実現には至らなかったものの、その電報はプラハのハード・ロック・カフェによって落札され、展示されている。
ロックの神様によるボタンの掛け違いによっては、二人はバンド・メイトになっていたかもしれない。それ程に深いポールとジミの間柄を示す他の事象として、ジミがギターに火をつけて伝説となったモントレー・フェスティヴァルの一件が挙げられている、11月20日に発売されたジミの最新DVD『ヒア・マイ・トレインAカミン』の中で、ポールはこのように証言している。
『ママス&パパスのジョンに「モントレーに、ビートルズも参加しないか?」と誘われたんだ。そのとき僕たちは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラヴ・バンド』から『マジカル・ミステリー・ツアー』プロジェクトでずっとスタジオに缶詰だった時期だったから、出演できなかった。「でも、凄いヤツがいる」とジミを紹介したら、最初は「ジミって誰?」と戸惑っていたんだけど、「そいつは凄いの?」と聞くから「勿論さ」と答えたよ。そしたらジミの出演が決まったんだ。』 ポール・マッカートニー
ポールはジミの大ファンであり、ポールの後押しでモントレーへの出演が決まり、あの伝説的パフォーマンスが生まれた。そしてそれが、ジミが最終日大トリを務めた歴史上最も重要な音楽イベントであるウッドストック・フェスティヴァルへとつながっていく。DVD『ヒア・マイ・トレインAカミン』ではポールを始めとしてスティーヴ・ウィンウッド、エディー・クレイマー、リンダ・キースといった重要人物がジミについて語っている他、多数の未発表ライブ映像を収められた本編120分、ボーナス映像70分の映像商品である。
また、モントルーとウッドストックという二つの歴史的事象をつなぐ重要な架け橋であるマイアミ・ポップ・フェスティヴァルでのライヴCD『マイアミ・ポップ・フェスティヴァル/ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』が、11月6日に全世界同時で発売された。このCDに収録されている、ポールが日本公演で欠かさず演奏している「フォクシー・レディ」のライヴ映像がYouTubeに公開されている(DVD『ヒア・マイ・トレインAカミン』にも収録)。ポールが全来日公演で想いを馳せた姿が、これである。
27歳で亡くなってしまった天才と、71歳になった今もこうして日本中を感動させているバンド・メイトになっていたかもしれないその盟友。ロンドンで交錯した同年代の二人は、ロックの神様が定める運命の中で今も深く絡み合ったままのようだ。
【商品情報】
DVD ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス『ヒア・マイ・トレインAカミン』
2013年11月20日発売 SIBP-235 税込¥4,935