イル・ヴォーロ

 

 

ジャンルカ・ジノーブレ(Gianluca Ginoble・イタリア・アブルッツォ出身)

1995年2月11日生まれ

イニャツィオ・ボスケット(Ignazio Boschetto・イタリア・ボローニャ出身)

1994年10月4日 生まれ

ピエロ・バローネ(Piero Barone・イタリア・シチリア出身)

1993年6月24日生まれ

※写真左から

  


 

イル・ヴォーロ(IL VOLO)は若き3人のイタリア人男性オペラ歌手によるユニット。ジャンルカ・ジノーブレ(Gianluca Ginoble・アブルッツォ出身)、ピエロ・バローネ(Piero Barone・シチリア出身)、イニャツィオ・ボスケット(Ignazio Boschetto・ボローニャ出身)で構成。
アンドレア・ボチェッリの歌声を彷彿とさせるイケメン、ジャンルカの懐深く甘い歌声、メガネ姿にまだあどけなさが残る顔立ちとは対照的な美しく力強いピエロの歌声、高いパートは俺に任せろと言わんばかりの安定感と安心感、繊細な表現力が光るイニャツィオの類稀な歌声、それぞれ全く異なる個性を持ちつつ、それがグループとして不可逆的に融合し、絶妙なテノールの世界を生み出している。

“イル・ヴォーロ”は、イタリア語で“The Flight”(飛ぶこと、飛行)の意味で、世界に羽ばたき飛んでいく彼らのイメージからきている。メンバーはこう語る。

「僕たちは(クラッシック)音楽の僕たちの愛を世界中の人々と共有したいと思っているんだ。僕たちと同じ世代の子供たちともね。」

 

2009

3人(当時14~15歳)はイタリアのテレビ局RAIの人気オーディション番組『ティ・ラシオ・ウナ・カンツォーネ』でそれぞれソロ歌手として出演、この番組のプロデューサーが3人でオペラの三大テノールのようなユニットを作ることを発案し、このユニットが結成。3人は番組内でイタリアの名曲「オー・ソレ・ミオ」を披露、このパフォーマンスを見ていた、イタリア音楽界の大御所トニー・レニスの目にとまり、グラミー賞受賞ヒットメーカー、ウンベルト・ガティカ(マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオンなどを手掛ける)との1stアルバムのレコーディングが決定する。

トニーはこう語る。「最初フェイクだと思ったよ。まさか3人の子供、14歳と15歳がまるで45歳のテノール歌手のように歌うとは!」

 

2010

ロンドンのアビーロード・スタジオにて、「オー・ソレ・ミオ」も収録したファーストアルバム『イル・ヴォーロ』をレコーディング。同年11月に本国イタリアでリリースし、大ヒットを記録しプラチナステータスを獲得。この年の大きい成功を受け、翌年の世界進出への足がかりを作った。

彼らはやがてクインシ―・ジョーンズ(マイケル・ジャクソン等をプロデュース)の目に止まり、セリーヌ・ディオン、ボノ、レディー・ガガ、カルロス・サンタナ、バーブラ・ストライサンド、エンリケ・イグレシアス、アッシャー、ナタリー・コール、ブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムなど80組の世界的なアーティストらと、前年起こったハイチ地震のチャリティ・シングル「ウィ・アー・ザ・ワールド:25フォー・ハイチ」に参加した。

 

2011

遂にこの年世界で彼らの人気が爆発となる。イタリア人アーティストとして史上初めて、世界的名声を誇るアメリカのメジャー・レーベル、ゲフィン・レコーズと契約。4月に世界各国でもアルバムがリリースされ、アメリカのビルボードチャート・トップ200の10位で初登場、その後、6位まで上り詰めた。(ラテンチャート、クラシックチャートでは1位!)3人はアルバムを引っさげて全米を行脚。「アメリカン・アイドル」のシーズン10や「エレンの部屋」や「グッド・モーニング・アメリカ」などの人気番組にゲスト出演し、その歌声を披露。連日視聴者のスタンディング・オベーションを受けることとなった。その他ベルギー、フランス、ドイツ、ニュージーランド、オランダでもトップ10入りをする。

またスペイン語圏でも大ヒット!アルバムのスペイン語版をリリースし、ヒットを飛ばすという快進撃を見せる。メキシコのチャートでは最高6位を記録し、AMPROFON(メキシコ音楽映像協会)からプラチナ・アルバムとして認定されたほか、上述のようにビルボード・ラテン・ポップチャートで1位を記録、第12回ラテン・グラミー賞でベスト新人アーティスト賞とベストポップアルバム賞(ユニット部門)の二つにノミネートされるという成績を残す。

この年はヨーロッパ、北米、南米大陸でツアーを敢行。3人はアルバムやコンサートを通じて歌の才能を証明し、観客を圧倒することになった。

 

2012

アメリカのスーパースター “バーブラ・ストライザンド”とのツアーを行い、その知名度をさらに高める結果となった。11月、3人のアイデンティティとなるクラシックな音に軸を置きつつもよりポップなテイストを加えた2枚目のスタジオ・アルバム『ウィ―・アー・ラブ』が発売。全米クラシックアルバムチャート3位を記録(2013年発売のスペイン語バージョンは、全米ラテンポップアルバムチャートで1位を記録)。アルバムではチェコ・シンフォニー・オーケストラをバックに、彼らにインスピレーションを与え続けたルチアーノ・パヴァロッティへのオマージュ「Il Canto」という曲で三大テノールの一人プラシド・ドミンゴと共演を果たす。

 

2013

ツアーが多く組み込まれた1年となった。ヨーロッパは勿論の事、アメリカおよび中南米大陸の主要都市を廻るツアー行う。その年の終わりには、世界で最も美しい教会の一つと言われるイタリア・アッシジの聖フランチェスコ聖堂で讃美歌やクリスマス・キャロルを歌い、1年を括った。このコンサートの模様は収録され、12月25日、法王によるミサの後に放映された。また、ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデンで開かれたラウラ・パウジーニのデビュー20周年祝賀コンサートにグロリア・エステファン、イヴェッチ・サンガロ、ミゲル・ボセらとともにスペシャル・ゲストとして招かれた。

 

2014

ラテン・ビルボード・アワードでベスト・アーティスト賞とベスト・ポップ・アルバム賞の2つにノミネートされ、ベストアーティスト賞とラテン・ポップ・アルバム賞の2部門受賞。

(ラテン・グラミー賞は全世界およそ80カ国に放送されており、過去の受賞者には、サンタナ、リッキー・マーティン、クリスティーナ・アギレラ、ウィル・アイ・アム、シャキーラ等、日本でも広く知られているアーティストが名を連ねている。)

 

2015

2月イタリア最大の音楽の祭典、“サンレモ音楽祭”で優勝を飾る。これを受け同月にシングル「サンレモ・グランデ・アモ―レ」をリリース。iTunes EPチャート、シングル・チャート、ビデオ・ランキングを総なめにし、大ヒットとなる。グランデ・アモ―レのミュージックビデオの再生回数は4,200万回(当時)を超え、Vevo史上最も再生回数の多いイタリアの楽曲となった。

5月彼らはイタリア代表として、過去にABBA、セリーヌ・ディオンを輩出した、ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加(2014年優勝者は髭の女装シンガー、コンチータ)。結果は第3位であったが、決勝時のパフォーマンスは番組放送時の最高視聴率を記録。賞賛はファンからのみならず音楽評論家たちからも集まり、彼らは各国の媒体が投票する栄誉ある2015年度マルセル・ブザンソン賞(注:ユーロビジョンのメディア投票による賞)を受賞。ヨーロッパ中のiTunesチャートを席巻する。

9月に約3年ぶりとなる待望の3rdアルバム『グランデ・アモーレ』をリリース。アルバムは世界中のチャートにランクイン。シングル「サンレモ・グランデ・アモ―レ」とアルバム『グランデ・アモ―レ』はそれぞれダブル・プラチナ認定の快挙となった。

アルバムリリース後、イタリア・ツアーに出発。1971年ピンク・フロイド以来となる、ポンペイ遺跡での公演を行う。同公演はアメリカの公営放送PBSの撮影により全米に放映された。またイタリア・ツアーを締めくくったアレーナ・ディ・ヴェローナ公演はRAI 1により生中継された。

 

2016

1月、アメリカ、ヨーロッパ、ラテン・アメリカを皮切りとしたワールドツアーを敢行、世界中の由緒あるステージに立ち、各地SOLD OUT公演となる。

7月1日にイタリア・フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で「ノッテ・マジカ―3大テノールへのトリビュート」を開催。タイトルどおり、ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティの3大テノールが主役を務めた1990年のイベントへ敬意を表したコンサートになった。同公演のスペシャル・ゲストとしてプラシド・ドミンゴが登場、指揮者としてそしてシンガーとして、メンバーと共演。その圧倒的なパフォーマンスで、約2万人の観客の度肝を抜いた。このコンサートの模様は収録され、9月にCDとDVDがリリース。アメリカでクラシックiTunesチャート1位に輝く。

「この魅惑の夜、星空の下でピエロ、イニャツィオ、ジャンルカと共に過ごし

彼らを指揮することができるのはとても幸せだ。

フィレンツェのような美しい街で!

多くの人々がクラシック音楽を聴くようになったきっかけは、 ルチアーノ、ホセ

そして私が歌った『3大テノール』コンサートだった。

この3人の青年たちは、私たちの思いを継いでくれている。 」

—プラシド・ドミンゴ

(2016年イタリア・フィレンツェのサンタ・クローチェ広場で共演したコンサートにて)

またフィギュア・スケート界でも彼らの曲が続々使用される。

フィギュアコーチのタチアナ・タラソワ氏から「ユヅルにぜひ使ってほしい曲がある」と言われて、プレゼントされた彼らの楽曲「ノッテ・ステラータ (星降る夜)」を羽生結弦選手が2016年~17年 シーズンエキシビジョンで使用。

またエフゲニー・プルシェンコ選手も2016年NHK杯スペシャルエキシビジョンで「グランデ・アモーレ」を使用。

 

2017

前年の「ノッテ・マジカ―3大テノールへのトリビュート」ツアーを世界各国で開催。ヨーロッパ、アメリカ、ラテン・アメリカツアーでは45都市57公演を行い約25万人動員する。

11月には待望の初来日公演を開催。東京、川崎の全2公演はSOLD OUTしプラチナチケットとなった。また各メディアにも出演、ここに日本でも彼らの認知度が上がることとなった。

 

2018

東欧(ポーランド、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、クロアチア)をツアー。5月にはキューバ出身の人気レゲトン・グループ“Gente de Zona”とのコラボ・シングル「Noche Sin Dia」をリリース。

12月、NHKで放送された「4K8K放送開始記念番組」にイタリアから生出演、また

レバノンの国際連合レバノン暫定駐留軍(UNIFIL)ベースでは平和維持軍を慰問し、シャマ(Shama)基地とティルス劇場でクリスマス・コンサートを捧げた。

 

2019年(結成10周年)

1月パナマで開催された「World Youth Day(世界青年の日)」に参加。世界中からパナマに集まった青年が特別に作られたマリア像をローマ法王に捧げるセレモニーで法王そして100万人以上を前に「アヴェ・マリア」のパフォーマンスを行った。このイベントは全世界に中継された。

4月に新作のリリース、そして5月には2度目の来日公演の開催、ワールドツアーと、結成10周年を迎えた彼らの勢いはこれからも加速し続けることだろう。