イル・プレジデンテ
★Dante Gizzi(ダンテ・ギッツィー)-ヴォーカル

★Laura Marks(ローラ・マークス)-キーボード・ヴォーカル

★Thomas McNeice(トーマス・マックニース)-ベース

★Dawn Zhu(ドーン・ツー)-ドラム

★Johnny McGlynn(ジョニー・マックグリン)-ギター



 オフの日だって、ダンテ・ギッツィーはロックスターらしく見える。たしかに、なんだか違う時代からやってきた男のようでもあるし、ひょっとしたら地球外惑星の生物、みたいな雰囲気を持ってはいるけども。明るい色の特注スーツに幅広ネクタイ、ぴかぴかに磨かれた靴が、威厳たっぷりの口ひげと組み合わさったその姿は、まるでキッド・クレオールとキャプテン・ビーフハートを足して二で割ったみたいだ。もしくは、すでに言われているように、キューバのカストロ議長とコロンビアの麻薬密売人を混ぜ合わせた感じ、といえばわかりやすいだろうか。



 「ぼくのスタイルは、実はプリンスがお手本」と、エル・プレジデンテの発起人でフロントマンの彼は、ニヤリと笑いながらグラスゴー訛りで話す。「ぼくはめかしこむのが好きだし、みんなもっと外見にもっとこだわったほうがいいと思ってる。だって最近は、ジーンズにTシャツで、ステージをうろついてるバンドばかりなんだもんな。ぼくらはファンタスティックなライヴをやりたいし、だから、サウンドと同じくらい刺激的なスタイルが必要なんだ」



 エル・プレジデンテの魅力は、たしかに楽曲と良くマッチしている。音楽的には、グラスゴーをベースに活躍するこの5人組は、ビーチ・ボーイズとビージーズ、レッド・チェッペリンとT-レックス、プリンス、パーラメント、ドクター・ドレー、ファンカデリックといった、いろんなアーティストたちの良い所を取り入れている。バーバラ・ストライサンドのファンだってことすら、ダンテは認めているのだ。エル・プレジデンテに何か方針があるとしたら、それは、サウンドが良けりゃ組み込もう、ってことだろう。

「このアルバムを製作していたとき、」と、ダンテはデビュー・アルバムについて語る。「たったひとつ決めていたことは、ルールなんかナシにしよう、ってことだった。ぼくは音楽的なスタイルなんて、ちっとも考えていなかったし、欲しくもなかったよ。それぞれの楽曲が、全然違う感じに聴こえたら、それでいい。フレッシュで楽しくてファンキーな楽曲が、ずっと残ってゆくんだ」



 そして誕生したのが、ポップのメロディを陽気なファンクやグラム・ロック、エレクトロ・グルーヴ、ミラーボール系ディスコに混ぜ合わせた、さわやかで心地よいデビュー・アルバムだ。そこにはハーモニーがあり、ハイ・ピッチなヴォーカルがあり、跳ね回るビートやキャッチーなコーラス、そして、スコットランドのシザー・シスターズなどと評されもした、セクシーでいい感じにチープなパーティ系ヴァイブがある。



 ダンテ自身は、そんな比較にはちょっとひるんでいる。「それは褒め言葉だよね。でもシザー・シスターズとは違うと思うよ。たぶん、バンドに女のコがいるから、同じように思われているんじゃないかな」どちらにしても、グラスゴーのバンド、GUNで、8年もベースを弾いてきた男に期待するような、アルバムでないことだけは確実だ。



 「GUNのメンバーだったって言うと、みんな驚くよ。でも素晴らしいバンドだったし、楽しんでやっていた。ヴィデオの映像を思い出すよ。結局ひどく馬鹿げたことになっちゃったけどね。ぼくは16歳でバンドに参加したけど、学校を辞めるもっとマトモな理由なんて、思いつかなかった」



 エル・プレジデンテのために楽曲製作を始めたころ、ダンテはバンドを離れた。だがフロントマンの味を覚えだしたときも、まだベースから離れはしなかったという。「ぼくが作った曲は、Gunには合わなかった。ファンクに夢中だったし―初期のパーラメントやファンカデリックなんかの―ラップやヒップホップが大好きだったからね。ぼくはもっとラディカルなものにしたかったんだ。それをまとめるのには時間がかかったけど」



 エル・プレジデンテの印象的なサウンドに、さらに磨きをかけながら、ダンテは兄弟姉妹のジュリアーノとカルメンと共に、グラスゴーにビストロをオープンした。そして休みの日は、サンプラーを使って自宅で録音作業をし、店に出る日は、歌詞を書くときのインスピレーションを求めて、客たちの様子を観察していたという。



 「その当時は、コンピューターを持っていなかった。だからアルバムの殆どは、メモリーの少ない古いサンプラーで録音していた。3コードの楽曲がいくつかあるのは、そのせいだ。あれはもう使えないけど、おかげで、楽曲はひどく刺激的になったな。ヴォーカルについても、同じことがいえる。たった一度の録音で済ませたトラックが、結構あったからね。ぼくは、手をかけすぎたり、作りこみすぎたサウンドには、したくなかったんだ。フレッシュさを求めていた」



 デビュー・アルバムでは、奇妙な人間関係や、失敗した恋愛などをテーマに選んだ。「ビストロでは、いろんな人生が垣間見られるよ。ぼくは出入りしていたカップルたちを良く観察して、二人の間に何が起こっているのかいつも想像していた。すごい口喧嘩もタブーな恋愛も、いろいろ見たよ。カップルの様子がおかしくなるときは、すぐにわかった。どちらかが立ち上がって、店から出てゆき、残った方に金を払わせることになる前にね」。



 アルバムにはシングルになった楽曲「ロケット」のように、ストレートなパーティ・ソングもあるが、ストーカーの事件から着想した、もっとダークで不吉な「カム・オン・ナウ」というトラックもある。「”ロケット”は、ドラッグのお祭り騒ぎって感じ。誰でもドラッグはやっているだろうから、みんな理解できると思う。”カム・オン・ナウ”は、ジル・ダンドー殺害事件の後に書いたトラック。彼女が、フレディ・マーキュリー似の男に、路上で撃たれてしまったことを読んだよ。まったく狂っている。自分の存在さえ知らない人に、すっかり夢中になりながら生きているなんて、それがどんなことなのか、ほんとに考えさせられた」



 エル・プレジデンテの代表曲となったのは「ロケット」だ。今年初めにヴィニルのみリリースされたこのトラックで、彼らはイギリスで最も刺激的な新人として歓迎された。そしてそのころまでには、ダンテは、サウンドも外見もいけてるミュージシャンたちを集めていた。



 パンク・バンドで活動していたアメリカ生まれのドラマー、ドーン・ツーは、アート・スクールに通う合間を縫って(NYのパーソンズで勉強していたこともある)、一番に参加したメンバーだ。ベーシストのジョニー・マックグリンは、ザ・マーブルズという自分のバンドが解散した後、アイルランドからグラスゴーへやって来た。トーマス・マックニースは、Kings Tuts Wah Wah Hutで、ヘヴィ・メタル・バンドとプレイしていたダンテの兄弟によって見出され、たった9歳でScottish National Opera Companyに加入した10代のローラ・マークスは、バック・ヴォーカルとキーボードで参加。これでバンドは、完璧な姿となったのだ。



 そしてたった8回目のギグの後、エル・プレジデンテは、今年のグラストンベリーに誘われた最初のバンドのひとつとなった。しかも、カサビアンやソウルワックスのサポートもある。セカンド・シングル「100 MPH」をリリースした5月より前に、オアシスからスコットランドでのサポート・アクトを頼まれていたし、デュラン・デュランはツアーに彼らを招待している。「あまりに展開が速くてびっくりしたよ」ダンテは再びニヤリとする。「数ヶ月前、ぼくは家で楽曲を作りながら、これを聴きたいと思ってくれる人がいるかな、なんて考えていた。そして今は、何千もの人々の前でプレイしているし、リアム・ギャラガーに肩を叩かれて、褒め言葉をもらったりしている。もう素晴らしいスタートをきっているんだ。最高なのは、あらゆるものをまさに手に入れるところなんだって、ぼくら自身がわかっていることだね」。