バーンサイド プロジェクト


the network, the circuits, the streams, the harmoniesはburnside projectのファースト・アルバムである。80’sの影響を受けたダンス・ミュージックが今や最も新しいサウンドとなっているが、Richard Jankivich、その親友のマルチ・プレイヤーGerald Hammill、そしてキーボードのPaul Searings達がこれらのヴィンテージ・ビートを彼等独自の解釈で再生をした。ある評論家に言わせれば「カットしてペーストしてまたカットしてぐしゃぐしゃに(refucked)した」ようだ。彼等は電子楽器によるありがちなアプローチを避けた。そうして出来上がったこのアルバムはとてもシネマチックな作品になった。



Richardはウィスコンシンで生まれ、90年代初頭に中西部のインディー・ロック・バンドで活動をしていた。Burnside projectは彼が一人で始めたプロジェクトだったが、最終的には多くの人のサポートを得て完成したものだ。、



「96年にニューヨークに引越したとき電子音楽を再発見するために、意識的な努力をして過去の新しい音への探検をしたよ。ドラム&ベース、トリップ・ホップ、ターンテーブリズム、ヒップ・ホップ、そしてIDM。99年辺りにはクリエイティブなアウトレットを探してたんだけど、もうこれ以上ドラム、ベース、ギターとヴォーカルという伝統的な4人編成のインディー・ロック・バンドは作らないと決めたんだよ。たとえ衝突しようとも故意に違うスタイルの融合をとてもやりたかったのさ。」



だが、2001年初旬にRichardは意気投合できる人間を見つけた。ウェブジン(メルマガ)に記事を寄せる記者で、New Yorkでは知る人ぞ知るレコード店Other Musicの社員でもあったGerald Hammillがある日Richardのライブの記事を書こうと思っていた以上の感覚を得たのだった。Richardは非常に強い精神的なつながりを感じ、Geraldをスタジオに来るよう招いた。そこで分かったのは、Geraldはギタリストかつ、キーボードプレイヤーであり、いくつかのインディー・バンド経験があり、そして半端じゃないレコード・コレクションを有するDJと言う事だった。



Richardは「Geraldが遊びに来て二人で軽く演奏したりしたんだけど、その時にこれはburnsideを進化させるために必要な邂逅だということは明白だったよ。」と思い出す。



そしてGeraldも「最初に会ったときから本当によく波長が合ってると思ったよ。」と更に確認した。「自分が思っていた以上にサウンドに貢献できたよ。最初の頃からお互いのテイストに対する信頼を深めていって絶えずアイディアをやりとりしたよ。いつの間にか気づいたら完全な一人前のメンバーだったんだ。」