アネット・ルイザン
 アネット・ルイザンの成功は、その美貌に依るところがあった。しかし時の経過にともない実力が評価され、長めのアルバムや、まとまったコレクションのことが、しだいに評論家たちの口にのぼるようになってきた。ヒットねらいナンバーの量産に代わり、必然によってつなぎあわされた歌のシリーズを、というアイディアは、アネット・ルイザンを金になるレトロ調の旗振り役にムリに仕立て上げようというものではない。レトロ性について評価してもかまわないが、その前に、32歳になった彼女の4枚目のアルバムをよく見るべきだろう。
 過去3枚のアルバムを含み現在までのアルバム累計は100万枚を超えるヒットを記録。この新しいアルバムは、ポップ・シャンソンというだけでは収まりきれなくなっている。新たに見られるようになった“無頓着さ(飾らなさ)”が、アルバム『快楽主義=パートタイムヒッピー=』の前提条件に違いない。アルバム内容と同様に無頓着なルイザンの外見を表現する写真があるし、そこに、以下の個人的な発言も加わる。「今までと同じようにやっていたら、トリックに従うだけ。自分特有のトリックに気がついたら、そんなの捨てちゃうのがベストよ。人生って変化なんだから」
この発言は、洗練された彼女の視線を表すとともに、新たなキャリア・ステップを刻みつけるものともいえる。フォーム完結型のポップソングが理性というより感情を鼓舞したものだったかどうか、好まれたり愛されたりしたか、など、もはやどうでもいいのだ。つまり、新たな意味で、あるいはよりベターな意味で言うならば、再発見された軽妙さが、ルイザンの日常目線を通じて、そして、ドイツ語ポップソングのテキストのなかに詩的な言葉と日常の言葉を結合させて表現されている。
 
デビューから4年を経たルイザンの思考と感情は、以前のようにこまっしゃくれず、感覚やセックスに重きをおくよりは言葉が豊かになって形造られてきているといえる。デビューした2004年当時、ルイザンはまだ学生で、自由奔放なボヘミアン(※市民的規律を無視した生き方をする、芸術家や学生などを指す呼称)だった。2008年の現在、多層性と新たに獲得した視点により、ルイザンは再びボヘミアンとして本来の自分を超えるかのようにして、自由な空気を吸っている。彼女は、よりデビュー当時のアネット・ルイザンになった。『快楽主義=パートタイムヒッピー=』の中で、我々は彼女の根源に立ち返ることができる。ルイザンはいまだに人格のなかに女と少女を混在させており、その兆候は新アルバム冒頭の曲によく現れている。「1.良心の呵責」は、ルイザンのシングルのうち、ベストヒットである「遊び」(“Das Spiel“ 未発売)を彷彿とさせるが、ひとりの男とひとりの女が悪夢の一夜を忘れ去ろうとする“健忘症”の素晴らしい世界のドアを、この曲とともに開けるならばこの曲が「遊び」の時点から明らかに成長を遂げていることがよくわかる。「良心の呵責」とグンナー・グレーヴェルトが曲を担当した「3.あなたに告げにきたの」とのテーマの噛み合わせは、偶然の代物ではない。居を定めて暮らすことが、なにも最終的な幸福ではない、ごく短期の幸せを意味するにすぎないということがルイザンの認識のうちにある。
 
さて、アルバム。『快楽主義=パートタイムヒッピー=』は大人向けの作品として仕上がっただろうか?どうも、そのチャンスをみすみす逃がした感がある。では、快楽主義を印象づけたか?まさしく、そのとおりだ。とりわけ快楽主義の表層の背後に、感情移入しやすい人間が隠されているようだ。それがスウィングにのった甘ったるいカントリー調の「2.セクシー・ラヴァーボーイ」に、ちょっとしたアドバイスを贈っているし、長いことルイザンの曲を作ってきたハーディ・カイザーの「4.敬体の関係」では、恥ずかしさや引っ込み思案が醸し出す遊びを強調している。だれかに慇懃無礼なことを言われれば、かえって頬を赤らめてしまう。それが美しいしハートを熱くするのにこれ以上のやり方はないというわけだ。
アネット・ルイザンの声は今までの彼女の歌にあったエレメントはそのままにしながら、厚かましさを強調せずに、幅広いメロディーやリズムに対してオープンになった感じを受ける。これは、ヨーロッパ的な演奏方法の枠をかなり越えた、さらに別の世界を視野に入れているものだ。ルイザンの声質がそこに影響しているのはもちろんだが、それよりも、彼女の溢れるような自己意識がそのまま加速的に作用していることのほうが大きいだろう。ドイツ語の歌詞の内容は、知性的に解釈した時にだけまともに受け取り得るものだ、といまだに思いこんでいる人は大きな勘違いをしている。知性による解釈よりも重要なことは、表現様式、口形、感覚的なもの、官能的なもの、セックスなのだ。

 このアルバムで、アネット・ルイザンと作詞・作曲を担当するフランク・ラモントは、ふたりの集合的な個性をさらにいかんなく、実に気持ちよく発揮している。今までにないようなくつろぎへの扉が開かれ、消費を強要する世界に対してパロディーを主張した。管楽器のアレンジで演奏される「5.あなたのドラッグが欲しい」では行数の多いリフレインで皮肉な感じを付け加え、「6.あたしの人生、次の恋」では、ほとんど囁くような歌い方でさりげなさを表出している。「11.それに反対!」には、攻める音楽で、かつ、60年代に取り上げられたビート・レボリューションのような形式からの自由が強調されている。電子手帳でスケジュールを管理するこの時代に、お利口さんでもなくイエスマンでもなくちょっと抵抗しようと思った場合、いったいどのくらいのレボリューションが可能なのだろう?これが、タイトルナンバー「パートタイムヒッピー」に見てとれる内容だ。この曲は、ルイザンの前回ツアーにゲストとして出演したマルティン・ギャロップが作曲した。愛とセックス、ふたりの距離と親密さといったテーマに関わってすべてを試し、その認識を歌って終わる「13.あなたを待ってた」はルイザンの一番美しい恋歌としてリスナーの心に根付くだろう。
 
人差し指をピンと立てて語られる正論から、アネット・ルイザンが得るものはいまだに無い。それよりも矛盾のうちに潜む魅力の方向に、ルイザンはそぞろ歩きを楽しんでいる。自由の抑圧とマイホーム、旅行準備の整ったカバンと人生の愛。ちぐはぐさに潜む魅力を、電話交換手がつないでしまった「8.電話交換の女」。これはアルバムからの最初のシングルとして発売されている。作曲を手がけたのはアレクサンダー・ツコフスキーだ。シングルにはいわば“汚れとグラマー女”、“羞恥と醜態”といった二極性を追求する、ルイザンのキャッチフレーズをはっきりさせる力もあるといえるだろう。

すべての要素がそろった曲のおかげで、アルバム「快楽主義=パートタイムヒッピー=」は理路整然としたものに仕上がった。