アンドレ・プレヴィン

1929年4月6日、ベルリン生まれ。6歳で当地の音楽院に学ぶが、ナチスの台頭により一家はパリに逃れパリ音楽院で引き続き研鑽を積んだ。

 

1939年、ハイフェッツの計らいにより渡米、作曲をカステルヌーヴォ=テデスコ、ピアノをラビノヴィッツに学ぶ。12歳でジャズに魅了され、20歳代でウェストコースト派の代表的ピアニストに成長する。また16歳でMGM映画に招かれ史上最年少の音楽監督になって以来、映画音楽でアカデミー賞を4度受賞している。

 

高校在学中からカリフォルニア州青年管弦楽団のピアニストとしてベートーヴェンからラフマニノフまでの協奏曲を演奏する一方、シゲティのアシスタントとして古典派から現代音楽までの幅広い室内楽のレパートリーを身に付け、西海岸の音楽シリーズ「マンデイ・イヴニング・コンサート」に定期的に出演し、数々の現代音楽を演奏する。兵役中、バーンスタインの紹介によりモントゥーに師事した後、指揮活動を開始。

 

ヒューストン交響楽団(1967~69年)、ロンドン交響楽団(1968~79年)、ピッツバーグ交響楽団(1976~84年)、ロサンゼルス・フィル(1986~89年)、ロイヤル・フィル(1985年~92年)、オスロ・フィル(2002~06年)の首席指揮者を歴任する。1945年以来400枚以上のディスクに2000曲以上の音楽を録音しており、クラシック音楽の指揮者としては、EMI、RCA、デッカ、フィリップス、EMI、テラーク、ドイツ・グラモフォンなどに多数録音。

 

シリアスな作曲家としては、歌劇「欲望という名の電車」、ウィーン・フィルの委嘱作「ディヴァージョンズ」、チェロやギター、ピアノやヴァイオリンのためのそれぞれの協奏曲を作曲。国際的な音楽家としての長年に亘る優れた功績に対し、1996年にはエリザベス女王からナイト爵に叙せられたほか、ケネディ・センターからは栄誉賞が、オーストリアとドイツからは功労十字賞が、2006年にはグレン・グールド賞が贈られた。

 

2019年2月28日、ニューヨークで89歳で逝去。