1978年グループ結成。

もともとデビッド・ペイチの父マーティとポーカロ兄弟の父ジョーは、ハリウッドのミュージック・シーンで評価を得ていた人であり、グレン・キャンベルのTVショーでの仕事以来親友であったことからデビッドとジェフは13才以来親交を持っていた。 

デビッド・とジェフはL.A.サン・フェルナンド・ヴァリーの高校で「スティル・ライフ」を結成したが、1972年ジェフがソニー&シェールのツアーに参加するため脱退。このツアーにデビッド・ハンゲイトも加わっていた。

その後サン・フェルナンド・ヴァリーのグラント・ハイスクールの同級生であったスティーヴ・ルカサーとスティーヴ・ポーカロの2人は「スティル・ライフ」を再結成し演奏活動をしていた。そして数ヶ月後にはホール&オーツを始めとするグループからセッションの誘いがあったという。

以後ジェフはスティーリー・ダンなどのレコーディングに参加、ペイチはドゥービー・ブラザースのアレンジャーとして参加していた彼らにビッグ・チャンスが訪れる。それがボズ・スキャッグスのあの名盤「シルク・ディグリーズ」への参加、活躍である。このLPで彼らは陰の立役者として大きく貢献し一躍スポット・ライトを浴びることになった。その後ボスのマネージャーであったドン・エリスの口ききによってグループ結成が実現することになる。

ペイチとジェフは、ハイスクールを卒業したてのスティーヴィー・ポーカロ、そしてジェフとの親友、ボズのアルバムでサポートを務めたデビッド・ハンゲイトをナッシュビルから呼び、SSフールズのメンバーであったボビー・キンボールを加えてTOTOを結成した。

1978年CBSと契約この10月にデビュー・アルバム「TOTO」を発表、見事全米プラチナ・ディスクとなり、デビュー・シングル「ホールド・ザ・ライン」は全米TOP100でBEST5に入る大ヒットとなった。

そして第21回グラミー賞「ニュー・アーティスト・オブ・ジ・イヤー」にエントリーされる。日本においても新人グループとして例のない成功を収め一躍ビッグ・グループとして注目を集める事になった。(現在までの日本でのセールスは150,943枚)

1979年に入り、2ndアルバム「ハイドラ」をレコーディング同年11月リリース、全作以上の成功を収める。(日本でのセールス188,567枚)

そして、1980年3月待望の初来日。なんと追加公演2回を含む全10公演全てSold Outとなり、日本でのスーパー・グループとしての地位を築き上げた。

1981年1月3rdアルバム「ターン・バック」リリース、大ヒットを記録。(日本でのセールス200,796枚)

1982年4月に「TOTO Ⅳ~聖なる剣」をリリース。1stシングル「ロザーナ」が全世界で大ヒット!全米HOT100第2位を記録。3rdシングルとなった「アフリカ」はグループ初の全米NO.1に輝く!

同時にアルバムも大ベスト・セラーを記録。全米でのトリプル・プラチナを始め各国でプラチナ・ディスクを獲得。(日本でのセールスは465,427枚)

そして、第25回グラミー賞において驚異的7部門受賞に輝き、名実共にスーパー・グループとしての地位を築き上げたのである。

そして、アルバム「TOTO Ⅳ」を完成直後、オリジナル・メンバーであったデビット・ハンゲイトが家族のためにグループを脱退、変わってポーカロ兄弟の次男、マイクが加入、’84年に入ってリード・ヴォーカリスト、ボビー・キンボールが音楽性の相異のため脱退。NEWヴォーカリストとしてファーギー・フレデリクセンが加入。

また’83年5月には2度目の来日を果たし、全国7都市9公演を行い大成功を収めている。

そして1984年11月に5枚のアルバム「アイソレーション」をリリース。ハード・ロック指向のアルバムは、ギター・フリーク達にうけベストセラーを記録。3度目の来日もあり、TOTOは常に新たなジャンルを開拓することになる。

そして1986年8月「ファーレンハイト」のリリースと同時に秋、来日という情報もあり、まさにグッド・タイミングの状況と言えよう。