ザ・ソーンズ
ザ・ソーンズ前夜



2002年春、マシュー・スウィート、ピート・ドロージ、ショーン・マリンズの3人はグループを組むことにした。タイミングがぴったり合ったこともあるが、それぞれ長い間個人的に活動してきて、そろそろ他のことをやりたくなっていたからでもある。マシュー・スウィートとピート・ドロージはいつものように中身の濃いソロアルバムを完成させたばかりで、ショーン・マリンズはコロンビアからの新作アルバム用に多くのデモ曲をレコーディングしたところだった。自分でいろいろな楽器が演奏でき、レコーディング機材の使い方も知っているので、3人ともほとんど人手を借りずに仕上げることに慣れていた。ちょうど内省的な作品には一区切りつけ、他のアーティストと組んでみたいと思っていた矢先に、この実験的なプロジェクトのアイデアが持ちかけられたのだった。



コラボレーションなどやりそうにない3人だが、他のアーティストと一緒に歌ってもいいとは考えていた。実際マシューは、サイド・プロジェクトとして、ママス&パパスのような男女のハーモニー・グループを結成しようと真剣に計画していたほどだ。同じ頃にピートも、デモを作ってレコーディングし様子を見てツアーという繰り返しは「ソロ・アーティストのマンネリ」だと言い、いい加減うんざりしていた。ショーンも、とにかく何か違うことをやりたくてうずうずしていた。だから3人ともアンテナを張ってはいたのだが、同等の立場で誰かと一緒にやることはまったく考えていなかったのである。





スウィート、マリンズ & ドロージ



こうして、それぞれ一人で十分やっていける才能があるひたむきな3人のソロ・アーティストが、ハリウッドのサウンド・ファクトリーの一室で顔を合わせ、一緒に1曲書き上げたのだった。マシュー、ピート、ショーンはお互いに親しい間柄ではなかったが、共通のマネジャーやプロデューサー、サイドマン、友人を通してつながりはあった。ツアー中にばったり出くわすことも多く、顔見知りだったので、今回のプロジェクトにもすぐ乗り気になった。トップクラスのソングライター/シンガーが組んで、それぞれの感性とヴォーカルをブレンドし、独特のサウンドとスタイルに仕上げたら凄くクールなんじゃないかと思ったわけだ。確かにアイデアとしては新しいとはいえない。だがクロスビー、スティルス&ナッシュが組んだのは1968年だし、イーグルスは71年、バッキンガムとニックスがフリートウッド・マックに参加したのは74年だ。同じくらい野心的で大胆なグループが、この「新世紀」にもそろそろ登場してもいい頃ではないか。





「I Can’t Remember」



最初はどういうやり方がいいのか手探りの状態で、なかなかスムーズにはいかなかった。2日間、ピート作の「I Set the World on Fire」をアップテンポのロックに仕上げようとしたが、3日目にそのデモが完成すると、マシューが「もっとアコースティックなものをやろう」と切り出し、バラードはどうかと言った。3人がバラードに取りかかった頃、アウェア・レコーズの担当者がやってきた。このプロジェクトが気に入って費用の負担を承諾していた彼は、一息入れて食べに行こうと誘ったのだ。



「僕たちは“I Can’t Remember”と後々タイトルをつけた曲に取りかかったばかりだったんで、このままこの曲を仕上げるよ、と返事したんだ」(ピート)

そうして出来上がった作品の出来は、一食抜いただけのことがあるものだった。ピートはこう続ける。「座ってその曲を一緒に歌っていたら、3人のヴォーカルがぴったり合った。まったくの偶然なんだ。“I Can’t Remember”をアコースティック・ギターだけで3人で歌っていて、これはいける!と思ったね。担当者が戻ってくる頃には曲は完成していた」



「あの曲を歌ってる時、3人とも有頂天だった」とマシュー。「何か感じるものがあったんだ、それにサウンドもね。こいつはすごいって思った。担当者に聴かせると、もう背筋がぞくぞくする感じが漂うのが分かった。レコードは殆どその時のままだよ。3人が一緒にああいう風に自然のままに歌うと、みんなジーンとくるんだ」



ショーンもこう話す。「突然何かがカチッと合ったんだ。3人のヴォーカルが一番よく合うところが分かったんだ。音楽的にぴったり息が合ってからは、さらにうまくいくようになった」



5日後、アウェア/コロンビアはこの新結成トリオにレコード契約を申し出た。





第一次黄金期、第二次黄金期



次に3人が集まったのは、サンタバーバラの北にある風光明媚なサンタイネズ・ヴァレーの牧場だった。ザ・ソーンズ(棘)というグループ名はそこで生まれた。ここでの2週間、ショーン、ピート、マシューは目的意識をもって曲作りに励んだ。マシューがこの気軽なセッションのことを、新生グループの「第一次黄金期」と茶化すほど、次から次へと新曲が転がり出た。「Think It Over」「Thorns」「Dragonfly」「Such A Shame」「Long Sweet Summer Night」「I Told You」などは、このアルバムとバンドのサウンドの土台だとピートも話している。



「あんなに早く、あれほどすごい作品を書いたのは初めてだよ」とショーン。



「真夏の暑い盛りで、僕たちは日中ずっとポーチで曲作りに熱中してた。それで夜になるとマイクをポーチに持ち出して、外でデモをレコーディングしたんだ。コオロギの鳴き声や風の音をそのまま入れてね。マイクは2本で、1本はギター、1本はヴォーカル。それをマシューのラップトップPCに入れたんだ」(ピート)



「ああいうバックの音とか細かい情景を全部入れたかったから、その場ですぐデモをレコーディングしたんだ。すべてライヴでね。本当にマジカルな経験だった」とマシュー。



お互いによく分かり合うにつれ、多少のぶつかり合いもあったが、「第二次黄金期」はロサンゼルスのモントローズ・ホテルのスイートルーム滞在中だった。3人はアルバムのオープニングの「Runaway Feeling」と、クロージングの「Among the Living」を書き上げたのだ。





プロデューサー:ブレンダン・オブライエン



プロデューサーはブレンダン・オブライエンしかない、とザ・ソーンズは考えた。オブライエンはすでにピート・ドロージのレコード3枚とマシュー・スウィートの2枚をプロデュースしており、そのうちマシューの『100% Fun』とピートの『Necktie Second』は、それぞれにとって最高の売上げを記録するヒット作となっている。しかし超人気プロデューサーのブレンダンは当時、ブルース・スプリングスティーンの『ザ・ラインジング』を完成させたばかりで、パール・ジャムの最新作『ライオット・アクト』のミキシングにかかっており、その後には『ドロップス・オブ・ジュピター』が大ヒットしたトレインの新作が控えていた。こういう状況では見込みはほとんどなかった。だがストーン・ゴッサードとマイク・マクレディと一緒に仕事をしたことがあるピートは、パールジャムのミックス・セッションに顔を出してみた。案の定、ザ・ソーンズのデモについて尋ねたブレンダンに、今ちょうど持ってるんだよとポケットから取り出したのだった。「ブレンダンは気に入ってくれると思ってたんだ」とピート。そしてその予感は当たった。



ザ・ソーンズはロサンゼルスで肩慣らしのセッションを行い、また2曲仕上げた。その頃ブレンダンは、2002年秋に8週間かけてアトランタで彼らのデビュー・アルバムをプロデュースしようと申し出たのだった。「ブレンダンが話に乗ってくれるまで、これが商業受けするラジオ向けのレコードになるなんて誰も思いもよらなかった。僕たちはただ、好きなように作ろうとしただけだから」(ショーン)。





レコーディング、豪華ゲスト・ミュージシャン陣



スタジオではライヴでレコーディングした。3人とブレンダンはかなりの数の楽器をプレイしたが、そこにディラン、ジョン・レノン、コステロ、ピンク・フロイド、クラプトン、ライ・クーダー…数多くのアーティストの名盤にその名を残す伝説的ドラマー:ジム・ケルトナーが加わり、同じく数々の名演でグラミー受賞しているE・ストリート・バンドのロイ・ビタンがピアノ、やはり数多くの作品で客演しマシューとは長年の盟友でもある天才ギタリスト:グレッグ・リーズが様々な弦楽器を弾いてアクセントをつけている。また「No Blue Sky」のストリングス編曲/指揮に、古くはデヴィッド・ボウイ「スペース・オディティ」等のオーケストラ・アレンジを手掛け、トレインの大ヒット曲「ドロップス・オブ・ジュピター(テル・ミー)」(ブレンダンがプロデュース)の編曲で2001年度グラミー賞最優秀編曲賞を受賞したポール・バックマスターも迎えられた。





ハーモニー



『ザ・ソーンズ』を聴くと、ハーモニーの的確な使い方に驚くはずだ。曲の構成と何重ものコーラスが完全に調和し、まるで体が浮き上がるような高揚感をかもしだす。

ザ・ソーンズのサウンドがこれほどユニークで息を呑むほど素晴らしい理由を、ピートはこう説明する。「ハーモニーが上手いバンドは多いけれど、メンバーがそれぞれ曲を持ち寄ってからハーモニーを考えている、CSNやフリートウッド・マックのようにね。そうじゃなくて、ハーモニーを曲のコンセプトとして重視したバンドは、これまでいなかったんじゃないかな。僕たちの場合、デモの段階ですでに、最終的なレコードとほぼ同じヴォーカルになっていた。曲作りの時から3パートのハーモニーを念頭に入れてメロディを書いていたんだ。このプロセスこそ、僕たちのサウンドの鍵なんだよ。それと、本当は自分が歌っていないのに自分の声がはっきり聞こえると思える部分がある。これがXファクターなんだ。高価なイコライザーや上等なコンプレッサーを駆使したって、このXファクターだけは入れられない。あるならある、ないならない、それだけさ。マシューには感謝してるよ。これで行こうという気にさせたのは彼なんだ。ハーモニーは全体を通して入れるべきだといって譲らなかった。努力してその通りにやってよかったよ」





ザ・ソーンズという奇跡



「もちろんお互い何度もぶつかったよ」と、ショーンはザ・ソーンズ結成時のいきさつについて話す。「なにしろ3人とも全然違う背景を持つソングライターなんだ。お互いのことを知って付き合えるようになるまで、プロジェクトが上手くいくかどうかも分からないんだから」



「自分が自分が、という考えを捨て去る必要性が大いにあったね」とマシュー。

ショーンも同意する。「自分のエゴを抑えることができるようになったら、あとはもう超スムーズ。今回のプロセスを通して僕らは本当にいい友達になれたよ」



「最初はどうなることかと思ってた。うまくいくんだろうかとか、内部分裂してしまうんじゃないかとかね」と、ピートはザ・ソーンズという実験的プロジェクトについて話す。「だって常識で考えたら、破滅するに決まってるだろ。自分がボスであることに慣れきった、レコード・カヴァーにデカデカと名前が載るような3人がバンドを組むっていうんだから。僕たちはまさに奇跡を起こしたんだよ」



マシューも「誰も具体案は持ってなかったし、目指すべきモデルもなかった。僕たちが創り上げたんだ。僕たちの連帯があってこそなんだよ」と言う。



「これほど何かに夢中になったのは久しぶりさ」とショーンも興奮気味に話す。「ぱっと思った通りに楽しくやったからこそ、こんなにすごい作品になったんだ。牧場のポーチで曲作りやデモをやってた時なんか、すっげぇ、こうこなくっちゃ、って感じでお互いに目を合わせてたもんだよ。そういう時に感じたんだ、これは絶対みんなの心に触れる音楽になるぞってね」



そう、ザ・ソーンズがみんなの心に触れるのももうすぐだ。