ザ・ザ
マット・ジョンソンは1961年ロンドン生まれ。父親の経営するパブで音楽経験を積む。NME誌に”当方レジデンツ、シド・バレット、スロッビング・グリストル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに影響を受けました”と謳ったバンドメンバー募集を掲載し、集まった友人2人と79年にザ・ザを結成。
パンク全盛のロンドンで、設立間もない4ADレーベルと契約。アルバムBurning Blue Soulをリリース。幅広い音楽性ゆえ、さまざまなプロジェクトやユニットと関わるうち、結局ザ・ザというグループは実質的にマット・ジョンソン一人となる。
83年、Epic/UKへの移籍第1弾となったメジャー・デビュー・アルバム『ソウル・マイニング(魂の彫刻)』をリリース。パンク・ムーヴンメントの影響が残りつつ、独自のサウンドを確立しつつある秀作。
86年Epic/UKからのセカンド・アルバム『インフェクテッド』リリース。「スウィート・バード・オブ・トゥルース」「ハートランド」などがヒット・シングルとなった。大英帝国への辛辣なメッセージとともに強烈なインパクトを残す。この頃NYでトム・ウェイツと親交を深め、アルバムのコンセプトを体現した長編ビデオを制作する。日本ではこのアルバムが初リリースとなる。
89年『マインド・ボム』リリース。元ザ・スミスのジョニー・マー初め3人のメンバーを迎え、今作で初めて”バンド”としての体裁を整える。
ファースト・シングル「ビートゥン・ジェネレーション」、宗教戦争を真正面からとらえた「アルマゲドン・デイズ」初め、痛烈なメッセージを放つザ・ザ・サウンドは世界的に大きな反響を呼び、ロンドンの名門ロイヤル・アルバート・ホール3夜連続を皮切りに初めてのワールド・ツアー"The The vs The World"を敢行。初来日公演も実現し、暗闇の中に逆光のスポットライトだけを配したステージ演出が話題となった。
93年『ダスク』リリース。今作からキーボードのD.C.コラードが正式メンバーとして参加し、バンドはなんと5人に。ザ・ザの一連のジャケットのイラストを手がけていた弟のアンディの病死を経て、アルバムの内容もより人間の内面に視点を定めたパーソナル&ソウルフルなものに変遷。「欲望の犬ども」「前世のスロー再生」「愛は死よりも強し」などがシングル・ヒットを記録、DUSKツアーの一環で来日予定だったが、湾岸戦争の影響で敢えなくキャンセルとなった。
その後渡米したマットは93年にミニ・アルバム『シェイズ・オブ・ブルー』をリリース。
続いて95年カ伝説のカントリー・ブルース・シンガー、ハンク・ウィリアムスの全曲カヴァー・アルバム『ハンキー・パンキー』を発表。
2000年、ユニバーサル傘下ナッシング・レコードに移籍して『ネイキッドセルフ』を発表。来日公演も決定するが、アーティストの都合によりキャンセルとなる。
現在マットはスウェーデンに居住している模様。
2002年、突然、怒濤の再発プロジェクトが始動。
初のベスト盤となる『45RPMコレクション』を初め、『ダスク』までのオリジナル・アルバムのデジタル・リマスターを発売。
デヴィッド・ボウイ主催のメルトダウン・フェスティバルでジム・フィータスと共演する。