『ロンドン・コーリング』発売からちょうど40年目の12/14、ミックやポールも参加した『ザ・クラッシュ:ウエストウェイ・トゥ・ザ・ワールド』イベント・レポート
『ロンドン・コーリング』40周年に湧くロンドン
クラッシュの最高傑作といわれる『ロンドン・コーリング』が1979年にリリースされてから今年で40周年。これを記念して、ロンドンではさまざまなイベントが開かれている。再び甦るこのバンドの熱いエネルギーで、まさにロンドンズ・バーニング状態。11月15日からロンドン博物館で開催中の「ザ・クラッシュ:ロンドン・コーリング」展と連動して、英国映画協会の本部BFIサウスバンクでクラッシュのドキュメンタリー映画の上映会とバンドのメンバーたちが登場する座談会を組み合せたスペシャル・イベントが開催された。期日は英国でのアルバム・リリース日からきっかり40年目に当たる2019年12月14日。上映されたのは、クラッシュの数あるドキュメンタリーの中でも最も信頼性が高いといわれる『ザ・クラッシュ:ウエストウェイ・トゥ・ザ・ワールド』。バンドの古くからの友人で映像作家/DJのドン・レッツ監督による2000年の作品で、60分のオリジナルと79分のディレクターズ・カットがあり、当夜は長い方のディレクターズ・カットが上映された。
上映会
映画はドンが長年にわたって撮りだめたバンドのライヴ映像と、メンバー全員が真摯に語るインタビューから構成されている。ジョー・ストラマー、ミック・ジョーンズ、ポール・シムノン3人のそれぞれの生い立ちからアートスクール時代、バンド形成期、スクォット(若者たちが不法占拠して住んでしまう空家など)でのリハ、4人目のメンバー、トッパー・ヒードンの加入、怒涛のパンク時代、気力が充実しきった中での3作目『ロンドン・コーリング』リリース、社会派バンドへの脱皮、反人種差別運動などの社会活動、音楽性の広がり、アメリカ進出、世界進出、ニューヨークでの16夜連続公演、スタジアム・バンドへの成長、それから、やがてバンドが疲弊して、アメリカでの華々しい成功の真っ只中で空中分解してしまうまでの様子が、まるで歴史の教科書のように整然と描かれている。
この映画、制作が1999年なので、メンバーたちはバンドが解散して10年以上たってからインタビューに駆り出されたわけだが、全員が心を開き、驚くほど率直に過去を語っている。これはやはり、バンドが深い信頼を寄せるドン・レッツだからこそできたこと。『ウエストウェイ~』は彼にしか作れなかった特別なドキュメンタリーだといえる。
パンク・ミュージシャンになる以前に好きだった音楽として各自挙げるのが、クリーム、ビートルズ、ストーンズ、ヤードバーズ、キンクスと、普通の人と何ら変わらぬラインナップなのが面白い。しかし、パンクというのは音楽的にも生き方の上でも一つの厳然とした区切りであり、過去と訣別して新しいことを始めるリセット・ボタンだった。ジョーはこう言う。「クラッシュはゼロからの出発だった。それまでの友達を捨て、持っていた知識を捨て、音楽のプレイの仕方も一旦全部白紙に戻した」
ドキュメンタリーの中ではまた、「I'm So Bored with the USA」が、実は「I'm So Bored with You」というガールフレンドにアキアキした内容の曲から発展したものであることが暴露されたり、パンク時代、スタジオ近くの自動車塗装工場で衣装、楽器、機材すべてにペンキを吹きつけてもらった話など、さまざまな裏話が披露される。
『ロンドン・コーリング』のジャケット写真を撮影したカメラマンのペニー・スミスもコメントを寄せている。「バンドが例の写真を選んできたけど、私は反対した。いいカバーにならないわよ、フォーカス合ってないし、とジョーに言った。私は間違っていた」
バンドのオピニオン・リーダーとして、いつも知的で思索的なジョー、音楽面の要を担っていたことがよくわかるミック、生まれながらにして乾いたパンク・スピリットを持ち合わせるポール。そんな3人の個性が噴出するインタビューだった。ライヴ映像は、何しろこの映画全体「歴史の教科書」なので、参考程度にしか出てこないが、もっと長く見せてほしいと思わずにいられない。音楽的にもスピリット的にもルックス的にも、あんなにかっこいいバンドは後にも先にもいないのだから。
長くハードなツアーの果て、80年代初めにすでにバンドには亀裂が入っていたが、解散の決定的要因となったのは、トッパーのドラッグ問題だった。ジョーは次のように言っていた。「ジャズ・バンドのサックスがドラッグ中毒でゆらゆらするのはありかもしれないが、ドラマーがそれをやったら致命的だろう。しっかりビートを刻まなきゃいけないんだから。ドラムが崩れたら、その上に何をのっけようとバンド全体がダメになるんだ」
そこへトッパーが出てきて、その頃の自分をふり返る。この痩せた小さな人が何てパワフルで技のきいたドラムを叩いていたことか、ちょっと感慨をもって見つめてしまう。そして、私にはなぜか次のトッパーの発言が映画の中で一番印象に残った。
「罪悪感に苦しめられるよ。僕がちゃんとしていれば、バンドは今だって続いていたかもしれないんだから。バンドに謝りたい。でも、人生やり直しができるとしても、きっと同じことをしてしまうと思う。僕はそういう人間なんだ」
はぁ。どこまでもダメダメなトッパーさんに溜息が出る一方、人生やり直しがきいたらドラッグやりませんとかクラッシュを長続きさせますとかキレイごとを言わない潔さがすばらしいとも思う。映画は、3コードのパンク・ナンバーのように簡潔な次のポールの言葉で終わる。「やることやった。それはストーリーになった。そして、終わった。以上。満足」
座談会
満場の拍手で終わった上映会に続き、元メンバーたちが参加する座談会が行われた。ミック、ポール、そして監督のドン・レッツとクラッシュのツアー・マネージャーだったジョニー・グリーンがステージに登場する。BFIの担当者が司会を務めた。人を笑わせてばかりでコメディ―・ショーができそうにヒョーキンなミック。いまだにシャイなパンク少年の面影を残すポール。監督ばかりか「皿を回す」DJ及びラジオDJも務める歯切れよく頭の回転早いドン、パンク・キッズがそのままパンク親父になったようなジョニー。とにかく4人とも大変に元気であることを、まずご報告しておこう。
初めに『ウエストウェイ~』の監督ドンが、パンク時代に映像作家になったきっかけを語った。
「パンクには人を巻き込む力がある。パンク旋風が吹き荒れていた時、自分もどこかに場所を占めなければという気にさせられた。僕はたまたま映像作家になった。ギターを手に取ってもよかったんだが、代わりにスーパー8カメラを手に取った」
「映像作家としてクラッシュの面々には感謝しているよ。『ロンドン・コーリング』は僕の2作目のミュージック・ビデオで、心底気に入っている。彼ら、誰にだって頼むことができたのに、僕にずっと撮影を続けさせてくれた。そして『ウエストウェイ~』でグラミーの賞(長編音楽ビデオ最優秀賞)まで獲ることができた」。さらに、クラッシュを「ベストな構成要素から成るバンド」と彼は評する。「切れのいいビート、切れのいいベースライン、ジョーの社会的主張、良きメロディ、ルックスも最高。これだけ揃ったらこわいものなし。21世紀の今だって立派に通用すると思う」
「ロンドン・コーリング」のミュージック・ビデオは、ロンドン、バタシー・パークのテムズ河沿いの埠頭で撮影された。「午後に撮る予定だったのが準備に時間がかかって夜になってしまい、雨の設定にしたかったが人工雨を降らせるような予算はないしなと考えていたところへ本物の雨が降り始めた。偶然が重なり、凍えるほど寒く雨降るロンドンというこれ以上ないパンクな状況が出来上がった」(ドン)。
それはよかったが、撮影が終わる頃には、あまりの寒さと疲れでヤケっぱちな気分になり、機材捨てちゃおうぜ、というジョニーのかけ声に皆その気になり、何と撮影機材一式をテムズ川に投げ込んでしまう、というこれまたパンクな展開に。
「やっちゃいけないことだった。何せレンタルした機材だったから。クラッシュのアイテム・コレクターの方々、今でもあの辺に潜れば機材が沈んでいるかもしれません。でも、所有者はクラッシュじゃなくて機材レンタル会社ですがね(笑)」(ジョニー)
ミックからは、クラッシュの3Dホログラム・ライヴをやる話が持ち上がったというビックリな後日談が飛び出した。
「やりませんよ。でも、もしこれがうまくいって賞を獲るとしたら何でしょうか。ホログラミー賞ですね」(←おいおい)。
客席から飛んだタイムリーな質問「クラッシュは、ボリス・ジョンソン(クラッシュとは絶対に相容れない保守党の首相)の好きなバンドNO2だそうですが、それについでどう思います?」に対して、ポールは「あの人、きっと歌詞を聞いたことがないのさ」とムスッとして答えた。
さて、場内が大盛り上がりすればするほど、次第に大きく感じられてくるのが、ジョー・ストラマーの不在だ。彼は映画が公開された2000年の2年後、何の前ぶれもなく、心臓の疾患で全く突然にこの世を去ってしまった。あんなにエネルギッシュだった人が、50歳の若さで亡くなるとは誰にも想像のできないことだった。
「映画が完成した時ジョーはまだ生きていて、プレミアは全員揃って見ることができたよ」(ミック)。(これに対して、ドンは、いやジョーは映画とかミュージック・ビデオに関心がなかったから見てないはずだと言い張ったが、「プレミア上映を見てから皆で飲みにいったから間違いない!」と主張する他の人々に寄り切られる)
「ジョーが21世紀の今もし生きていたらどこにいるだろう」(ドン)
「ガレージで曲でも作ってるんじゃないか?」(ポール)
「だといいね。我々には今もジョーが必要だから」(ドン)
「彼の歌詞は現代にもつながっているよね」(ポール)
さてもう一人、その夜不在だった人について、短いながらも大切な情報がもたらされた。
「トッパーは今夜ここに来てないけれど、とても元気ですよ!」(ジョニー)
(客席から拍手が巻き起こる)
レポート:清水晶子Akiko Shimizu(ロンドン在住ジャーナリスト)