ブラザース・フォア

1958年ワシントン大学の学生4人、マイク・カークランド(ハイテナー・ヴォイスとパンジョー、12弦ギター)、ジョン・ペイン(バス・ヴォイスとギター)、ディックス・フォーリー(リード・ヴォーカルとテナー・ギター)、ボブ・フリック(バス・ヴォイスとギター)は、フォーク・ソング・グループ ”ブラザース・フォア” を結成した。



新進フォーク・グループとして、キャンパス・コンサートで活躍の傍ら、故郷シアトルのナイト・クラブ ”コロニー・クラブ” に出演、このとき大好評を博し、翌年1959年7月、コロムビア・レコードに認められ、初めてのレコーディング契約を結んだ。



初打席ホームランともいうべき「グリーンフィールズ」につづく映画『アラモ』の主題歌「遙かなるアラモ」、「7つの水仙」…と続く連続ヒット曲を発表する。、



1962年4月には、初めて日本公演も大盛況に終わり、ヨーロッパ公演、全米各地のナイトクラブ出演、また「ミッチ・ミラー」や「エド・サリバン」など主なテレビ・ショーにも全て出演するという華々しさだった。以来ほとんど毎年のように日本にやってきては、日本のキャンパス・フォークやカレッジ・ポップスの創生に大きな影響をあたえた。



フォーク系のそれまでのコーラスにはあまりみられなかった独自の声の甘さと、その声質をトコトン活かしきった深みのあるニュアンス豊かなハーモニー…。加えて清潔感あふれるアイビー・ルックえ固めたステージ・ファッションと、甘いマスク…。そして、なによりも若さ。騒がれる条件は揃っていたといっていい。



ただし、それがすべてだったら、声もルックスもひたすら<二枚目>のアイドル・グループというだけで、ここまではつづかなかっただろう。途中多少の曲折はあったとはいえ、幅広い年齢層にわたって、30年もエバーグリーン的な受け入れられ方をするなどということは、ありえなかったはずである。



ブラザース・フォアは、イージーライダース、ウィーヴァース、タリアーズ等先輩フォーク・グループが推し進めてきた"1950年代のフォーク運動"を、よりメジャーに推進しキングストン・トリオ、PP&Mとともに、アメリカ伝来のフォーク音楽のブーム化に貢献した、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランへと続くムーブメントは、アメリカンポップス最大の音楽革命の時でもあった。



1989年10月、バージニア・フォーク・フェスティバルでは、3日間で7万人を動員した。11月の "ブラザース・フォア 30周年記念コンサート" (シアトル・オペラハウス)の成功と併せ、ブラザース・フォアは健在である。



1999年、結成40周年記念の全米ツアーを行う。



そして西暦2000年、日本でも結成40周年記念公演を行う。





[メンバー紹介]



*ディック・フォーリー(ギター&ピアノ)オリジナル・メンバー



1939年ワシントン州のシアトルに生まれる。声はハイ・バリトンで4弦テナー・ギター、ギターを担当しておりステージはピアノも披露してくれる。少年時代はスポーツが得意でフットボールの高校代表選手であった。ワシントン大学では最初に電気工学を学んだ後、情報工学のラジオとテレビのコースを取っている。当時を振り返りディックは、「僕の人生はその時から確かに変わりました。もし機会があって学校に戻れるならば音楽理論について勉強したいですね。」と語っている。

グループでの活動について彼は、「自分にとって思いもよらない方向に進みました。これ以上刺激的で魅力的な仕事は想像できません。」と語っている。





* ジョン・ペイン(ギター)オリジナル・メンバー



1937年、ワシントン州、オカノガンに生まれる。

担当は、ギター。ワシントン大学では、政治学について学び、外交官をめざしていた。大学で2年過ごした後、直接体験することによりもっと世界を知りたいと考えたジョンは、休学届けを出しヨーロッパ中をフォルクスワーゲンで旅行した彼は、ソ連を訪れた時専攻を変える決心をし、シアトルへ戻った。その後大学ではロシア語について集中的に学んでいる。彼はそんな学生時代を顧みて「勉強やアルバイトに1日18時間も動きまわってとても忙しかった。なかでも友達と一緒に歌うことが一番好きだったよ。」と言っている。

「もしブラザース・フォアが結成されていなかったら、僕恥分がどうなっていたかわかりません。でも今より幸せにななれなかっただろうと思います。」とジョンは、グループについて語っている。現在メンバーとしてツアーに出ていない時の彼は映画、ビデオの制作会社を所有し経営している。





* マーク・ピアソン(バンジョー&ギター)



ブラザース・フォア結成の7年後1966年にマイク・カークランドの脱退に伴い新しいメンバーとしてグループみにもなのに迎えられた。オリジナル・メンバーと同じワシントン大学のフラタニティの出身で後輩にあたる。大学在学中はブラザース・フォアのようなコーラス・グループを自ら主宰しており、その手腕をかわれての起用であった。それ以来グループのメンバーとして歌い続けているいるいる彼のもう1つの仕事である作詞や作曲活動によりしばしばグループを離れている。

マークはスポーツマンで非常に多趣味でもある。大学へは、フットボールの奨学金で入学したほどで、現在も水泳大会などのスポーツ・イベントに積極的に参加し、日頃よりエクササイズに努めている。また新しい曲作りはもちろん、子供のための絵本を書いたり、小説を書いたりしている。





* ボブ・フリック(ベース)オリジナル・メンバー



1939年シアトルに生まれる。

担当はベースでユーモラスな低音で歌う。ボブの芸能歴はとても永く11歳のときからだという。その当時はマジックやコメディーのショーを行い、その才能を片鱗をみせていた。高校へ入学すると自分ショーや合唱団のメンバーとしてシアトル一帯で公演をおこなっていた。ワシントン大学では、テレビの制作、監督、脚本について学んでいる。担当のウッド・ベースは大学で他のメンバーと知り合ってから始めたもので、それ以前はピアノを習っていた。「僕はブラザース・フォアが開いてくれた旅の扉に本当に感謝しています。ブラザース・フォアのメンバーとして世界中に旅することは、あと2回か3回余計に大学へ行くのと同じくらい価値があり成長の糧となる経験でした。」とボブは、グループについて語っている。