生れは1936年4月23日、テキサス州のヴァ−ノン。



父親の手ほどきで6歳でギタ−、そしてハ−モニカをマスタ−し、子供時代から地元のラジオ、テレビに出演し、ハイ・スク−ルではバンドを結成。



大学時代に組んだティ−ン・キングスがバディ・ホリ−を手掛けて知られるノ−マン・ペティに認められ、1956年にジュエル・レコ−ドから「Ooby Dooby」でデビュ−(ティ−ン・キングス名義)を飾った。この曲がプレスリ−を世に送り込んだばかりのサン・レコ−ド社長サム・フィリップスの耳にとまり、同社から再録音で新たにリリ−スされ(ロイ・オ−ビソン&ザ・ティ−ン・キングス名義)、全米NO.59をマ−ク。プレスリ−が大手RCAにスカウトされてしまったこともあり、サン・レコ−ドはロイを“ポスト・プレスリ−”として売り出すもヒットは続かず。ロイはプレスリ−の後を追って?RCAに移籍するも失敗。が、モニュメント・レコ−ドへ入社後の第3弾「オンリ−・ザ・ロンリ−」が全米大ヒットを記録、一気にスタ−ダムへとノシ上がった。

 

しかし、ビ−トルズ旋風を軸とする新しい時代の波には逆らえず、1965年のMGM移籍後は急速にパワ−・ダウン。



1967年を最後に長らくヒット・チャ−トからは姿を消してしまう。さらに、1966年に妻クロ−デッドがバイク事故で死亡、また1968年には自宅の火事で息子二人を亡くすなど私生活での不幸も重なり公私共に落ち込んだ。



1970年代に入り、マ−キュリ−(74年~75年)ではダメだったが、アサイラム(1979年)を経て、自らも出演した映画「ロ−ディ」(ミ−ト・ロ−フ主演)のサントラでエミル−・ハリスとデュエットした楽曲「胸ときめいて~That Lovin' You Feeling Again」(ワ−ナ−)が13年ぶりに全米チャ−トに登場(NO.55:カントリ−・チャ−トではNO.6)、グラミ−賞の最優秀カントリ−・グル−プを獲得するなど復活のきざしが見え始めた。           



ロイのヒット作がリンダ・ロンシュタットやドン・マクリ−ン、ヴァン・ヘイレンらによって取り上げられたことも下地になったといえるだろう。



ヴァ−ジン社との契約が成立し、往年の名曲の新録音盤「イン・ドリ−ムズ~ザ・グレイテスト・ヒッツ」(1987年)を発表。同年9月には、ロイ・オ−ビソン&フレンズ名義でのココナッツ・グル−ヴ・セッション(死後1989年に「ア・ブラック・アンド・ホワイト・ナイト・ライヴ」としてリリ−ス。スプリングスティ−ンやコステロ、J.D.サウザ−、ジャクソン・ブラウンにk.d.ラング、ボニ−・レイットらが参加)が挙行され「ロックン・ロ−ルの殿堂」入り。 そしてあのトラヴェリング・ウィルベリ−ズ。ELOのジェフ・リンを核にトム・ペティ、ボブ・ディランにジョ−ジ・ハリスンという超ス−パ−な顔ぶれが偽名で組んだバンドの一員として大ベスト・セラ−・アルバム(1988年)を出した直後にロイは倒れた。ヴァ−ジンから出されたファン待望のオリジナル新作集「ミステリ−・ガ−ル」(ハリスン、ペティ、リン、ボノ、コステロらが参加)が長年のキャリアにおける最大のヒット(NO.5)&初のプラティナ・アルバムになるのを見届けることもなく、彼は逝ってしまった。





その名前から“BIG O”と呼ばれ、多くのファンやミュ−ジシャンたちからも敬愛されていたロイ・オ−ビソン。



後年の多忙さが寿命を縮めた?のかも知れないが、多くのスタ−が過去の遺産だけで晩年を過ごしていることを考えれば、幸せな人生だったといえるだろう。