リック・デリンジャー

リック・デリンジャー(本名、リック・ゼーリンガー=Rick Zeringer):1947年5月8日に、オハイオ州生まれ。



1962年、ハイ・スクール時代に、弟のランディや学友と共に、ザ・マッコイズを結成。ちなみに、この名は当時人気を集めていたインストゥルメンタル・グループ、ザ・ヴェンチャーズ(日本でもお馴染み)のヒット曲から付けたもの。



1965年にニューヨークを本拠地とするバング・レコードと契約し、デビュー曲「ハング・オン・スルーピー」を発売。これが同年11月2日付けのビルボード誌のシングル・チャートでナンバーワンとなる快挙を成し遂げる。



その後、いくつかのヒットを放つが、バンドの音楽的な方向とアイドル的な人気とのギャップが目立つようになり1969年に解散。



同年、ジョニー・ウィンターのアルバム『Johnny Winter And…』のプローデュースを担当することになり、同時に彼のバックも務める。しばらくジョニーとの活動が続いたが、1972年、ジョニーがドラッグ中毒のため、一時、音楽活動を休止することとなり、リックはジョニーの弟のバンド、エドガー・ウィンター率いるホワイト・トラッシュに参加することになる。



プロデューサーとしてのリックの手腕は1973年のエドガー・ウィンターの全米ナンバー・ワン・ヒット「フランケンシュタイン」でも発揮され、同年、スティーヴ・ポールが設立したレーベル、ブルー・スカイとソロ・アーティスト契約を結び、74年にソロ・アルバム『オール・アメリカン・ボーイ』を発売。このアルバムは全米アルバム・チャートで25位の好成績を残し、同年、エドガー・ウィンター・グループの一員として、現在でも名盤としてロック・ファンに愛され続けている『恐怖のショック療法』(Shock Treatment)を発表。この頃のリックとウィンター・ファミリーの関係は複雑で、互いにソロとして活動する一方、バンドとしての活動も並行している。



75年には『スプリング・フィーバー』がリックのソロ・アルバムとして、そして『謎の発光物体』(The Edger Winter Group  with Rick Derringer)がエドガー・ウィンター・グループとして発売されている。



1976年、リックはダニー・ジョンソン、ケニー・アロンソン、ヴィニー・アピスと共にデリンジャーを結成し、アルバム『Derringer』を発売。その後、2枚のアルバムを残し、79年に再びソロ・アーティスとなり、そのかたわら多くのアーティストのレコーディングにギタリストとして参加する。

その代表とも言えるのがスティーリー・ダンの1979年のアルバム『リキの電話番号』(Rikki Don't Lose That Number)だ。ドナルド・フェイゲンが書いた、この曲の「リキ」とはリックがモデルになっている。



1980年代は、主にプロデューサーとしての活動が目立ち、特にマイケル・ジャクソンのヒット曲「今夜はビート・イット」のパロディとして大ヒットしたアル・ヤンコビックの「イート・イット」が有名。



その一方‘86年には、ギタリストとしてステージに復帰し、シンディ・ローパーなどのバックを務めた。また、旧友エドガー・ウィンターと共に、89年に来日しているので、そのステージを観たファンも多いだろう。



そして‘90年代から本格的にギタリスト業に精を出すようになり、自身のルーツであるブルースを基盤に活動するようになる。アルバムは1998年に『BluesDeluxs』と『King Biscite Flower Hour Present…』が、2000年に『Jackhammer Bluse』が発売され、渋いながらも、往年と変わらぬパワフルなプレイを聴かせている。