ローナ

子供のころの夢が実現することはそうあることではない。家族の協力や、強い決意、そして自身の才能を磨く不断の努力が不可欠なのだ。そしてその全てがこの24歳のローナ・ベネットの夢の実現をもたらしたのだ。スタジオの神童、ロドニー・ジャーキンスが創設したインプリント・レーベル、ダークチャイルドからのリード・ソロ・アーティスト、人呼んで”ファースト・レイディー”として、ローナはエピック/ダークチャイルドから待望のデビューを果たし、ついにスポットライトの下に歩み出す。丹念に作り上げられた12曲集は、ポップ、ロック、R&B、ヒップホップ、そしてジャズといった豊富なミュージック・スタイルを統合し、タイトに編み込まれたビートとメロディーは、ローナがマイクにもたらす抗い難いヴォーカル・エナジーとスムーズに溶け合うのである。



 それでは、ブランディー/モニカ、トニ・ブラクストン、ジェニファー・ロペス、メアリーJ・ブライジ、ホイットニー・ヒューストン、そしてデスティニーズ・チャイルドのような頂点に立つレコードの立て役者たる男が初めて立ち上げる、自身のレーベル初のアーティストにどんな仕掛けをしたのか?それはここでご紹介するローナをチェックすれば瞭然である。



 これまでのロドニー・ジャーキンスのプロデュース・ワークの軌跡を辿れば、それこそがグラミー受賞者やスーパースター(ホイットニー・ヒューストン、ジェニファー・ロペス、メアリーJ・ブライジ、デスティニーズ・チャイルド、ブラックストリート、そしてケネス”ベイビーフェイス”エドモンズ)の名鑑を作り上げてしまうような勢いのプロデューサーであり、またティーン・ディーヴァのブランディーとモニカのナンバー・ワン・ポップ・デュエット・シングル「The Boy Is Mine」を自らの力で頂点に押し上げた張本人であることがおわかり頂けるだろう。その超プラチナ級の確かな手腕は数多くのアーティストたちにスタジオ・マジックを提供してきている。2000年をマイケル・ジャクソンやいくつかのビッグ・アーティストとの制作や自身のレーベルの立ち上げに費やしてきたロドニーにとっては、2000年は普段の年に比べて著しくリリースの少ない、寡作な年であったにもかかわらず、2001年2月のグラミーではトニ・ブラクストン、デスティニーズ・チャイルドの受賞にしっかりと貢献している。ロドニーにとってはブランディー/モニカ、ホイットニー・ヒューストンに続いて、3年連続しかも3部門での受賞という離れ業を見せつけたグラミーとなった。そんなロドニーとの仕事を振り返って、ローナは謙虚に落ち着いてこう語る。「ロドニーはアルバムに対するヴィジョンを持って私に話をしに来てくれたの」 (ロドニー自身はこう回想する。「どういうものかわかるだろう?初めてローナを聴いた時、これは契約しなきゃ、と居ても立ってもいられなくなったんだ。彼女の声は信じられない程素晴らしいんだ」) 彼女は続けて言う。「私としては、ただそれがどういう結果をもたらすのか見てみたかっただけよ。だって録音された自分の声をプレイバックして聴く、なんて今まで経験したことがなかったんだから。実際にクリエイティヴな作業を進めていくことっていうのは考えていたのよりもずっと体力的にも精神的にも大変だった。けれども、感情を解き放ってスピリットを表現したりすることを通して、精神面でも自分自身についてたくさん学ぶことができたし、パフォーマー、シンガーとして成長できたと思うわ」



 さて、優雅、成熟、知的、ウィットに富んだローナは現在24歳のスーパー・レイディー。“完璧”ともいうべき経歴を築き上げてきたストーリーは後ほど紹介するが、音楽の話をするときのローナの目は少女のような輝きを見せる。「(音楽が)私のやりたいことだっていうのは子供の頃からずっとわかっていたの。その頃からはずいぶん経ったけど、今でも歌への情熱は変わらないわ」 シカゴ出身のローナが音楽の世界へと進む意識が芽生えたのは、祖母の住むアラバマで夏休みを過ごしているときがきっかけだった。「両親が来ると、近所にいた子供たちを集めていろんな演劇やらミュージカルを披露したの。私の父や母に「ローナには才能があるよ」って言ってくれた初めての人はおばあちゃんだったわ」



 ローナが夢を実現させるために生まれついた地、ミュージック、そしてパフォーミング・アーツ・シーンの盛んなシカゴに戻ってからは、教会の聖歌隊で歌い始め、地元でコンサートツアーを開くほどシカゴで有名なソウル・チルドレン・オブ・シカゴの一員として、シカゴのあちこちの教会やコンサート・ホールでパフォーマンスをして回った経験も持つ。そしてETA Creative Arts Theaterという劇団に入団、バックグラウンド・シンガーとして初めてステージの上に立つ。他の俳優達と共にステージに立ったローナは、たちまちアーティストとしての風格を漂わせ、自分自身を表現するだけにとどまらなかった。「1年くらい続けて思ったの。皆を見ていて、”私はきっと(単なるバックグラウンド・シンガーよりも)例えば演技とかもっと多くのことができる気がする。チャレンジさせてもらってどうなるか見てみたいわ”って言ったの。そうしたら監督が私をアンダースタディ(ミュージカルなどで主役と同じことをする代役。一日2、3公演あるミュージカルとかではアンダースタディが主役をやることも多い)に抜擢してくれたのよ」



 主役がオープニング・パフォーマンスをできない時には、ローナが登場して大活躍、その存在を公に見せつけることになった。それを見て、彼女を見初めた地元のエージェントはローナと契約、早速ローナはナレーター役などたくさんのブッキングされた仕事をこなす。その後オプラ・ウィンフリー(大人気トークショウの司会/「O」の編集長などをするスーパー黒人女性)のABCのTVシリーズ「Brewster Place」に出演、重要な役を獲得するまでに至ったのだった。そしてディズニー・チャンネルのミッキー・マウス・クラブ(以下、MMC)・オーディションに合格、晴れてマウスケティアー(MMCに出てる子供たちのこと:ブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラ、ジャスティン・ティンバーレイク&JC(イン・シンク)、ケリ・ラッセル、トニー・ルッカなどを輩出しているスター予備軍ともいえる集団)となったのである。



 「ディズニー・チャンネルは最高の番組だったわね。あれはディズニーの中の知られざる秘密のショウなのよ。どういうことかっていうと、あそこには才能あふれる子供たちがたくさんいて、みんながお金では買えない価値のある経験を積むことになるの。スキット、ビデオ、アルバムのレコーディング、ツアーといったことをこなして、いろんな人々と出会い、人との接し方もカメラの前ではどうしたらよいかも学んだりしたわ。一緒にやっていた子たちといえばイン・シンクのJCとか、“フェリシティ”の女優ケリ・ラッセル(『Felicity』[邦題:フェリシティの青春]"の主役。WOWOWで放送中)とか...いっぱいね。他にも、『Shasta McNasty』(UPNの番組)の俳優デイル・ガッドボルド.......。92年にゲスト出演したクリスティーナ・アギレラも。彼女は今の彼女と同じように威勢よく素晴らしい歌声だった。私たちみんなは本当に驚いちゃったわ。”こんな小さな女の子がこんなに歌えるの?”って感動したものだったわ」とローナは楽しそうに語る。



 4年間MMCのキャストとして過ごした後、ローナはまずはカリフォルニアに移り、音楽への夢を持ち続けながらも、演技の道に進む。マーティン・ローレンスの『Martin』『Living Single』『The Single Guy』にゲスト出演。96年のTVシリーズ『Homeboys in Outer Space』(UPN)では初の主演を獲得した。そして98年にはクリスティーナ・リッチ、ロリータ・デイヴィッドヴィッチ主演したインディー・フィルム『No Vacancy』で映画初出演。さらには『The Jamie Foxx Show』では、レッド・マン、メソッド・マンとも共演を果たし、結果的にシーズン終了まで準レギュラーとして出演するまでになった。「(『The Jamie Foxx Show』は)転がり込んできた感じね。そのとき演技は一時中断して音楽に専念していた時期だったから。そのときちょうど番組では歌って演技もできる人を捜していたの。私は1回きりの出演だと思っていたけど、とっても評判が良かったみたいで、結局そのシーズンの終わりまで出ることになったわ」



 そして時は戻り、ニューヨークのエピック・レコード・オフィスにて、デビュー・アルバムのレコーディング時に、プロデューサーの発するサインをどうやって汲み取ったかについてローナが語っている。「ロドニーが音楽やヴァイブを作り出し、バックグラウンド・ヴォーカルを入れながら全体の構図を描き上げ、曲ができ上がっていくのを見るのは素晴らしい経験だったわ」と彼女は驚きの色を隠さずに語る。「もうレコーディング・スタジオにはかなりの間出入りしてきたけれども、でき上がったアルバムを聴くのは、スタジオにいたときとは全然違っているのよね。何て言うのかしら、曲を聴いてもそれが自分だってことに驚いたりさえしちゃうんだから!」



 女優などの仕事と並行して、音楽の世界に進出すべく、ローナは今か今かと焦らされながら21世紀の幕が開くのを待っていたのであるが、遂にその想いを爆発させる時代が到来したのである。20世紀のディーヴァからポスト・ニュー・ヒロインの座を狙うべく、その最有力であるローナは世界最強のヒット・メイカー/プロデューサーであるロドニー・ジャーキンスらとチームを組み、世界制覇の処女航海に出る。ロドニーをノックアウトしたローナの類い希な才能とロドニーのプロデュース手腕が光るデビュー・アルバムで彼女の底知れぬ可能性や品格、才能、実力、音楽、美貌...、その全能ぶりに気付くはずである。ロドニーは再び次のように語る。



 「ローナは、僕にとっては、今まで、この宇宙で最高のアーティストだね。初めて会ったときから「スター」だった。そして会う前から既にいろんな仕事をしていたから...例えばミッキー・マウス・クラブとかね。彼女はスターだよ。これからそのスターがスーパースターになるんだ。そう、彼女はスーパースターさ。ホイットニー・ヒューストンやセリーヌ・ディオン、マライア・キャリー、トニ・ブラクストンのような女性になれるアーティストさ。それくらい彼女は凄いよ。初めて聴いたとき、契約してたまらなかったね。‘オオ、このコとサインしなくちゃ、彼女は信じられないくらい素晴らしい’ってね。彼女は若くして才能を持っている。女優でもあるしね。本当にホイットニーがもう一人現れたみたいさ。彼女がボクのために歌ってくれたときなんてぶっ飛ばされたよ。彼女はいつも元気で、疲れを知らない。いつでも前を向いて進んでいく人だね。「ファースト・タイム」では、みんなは今まで知らなかったローナの一面を見ることになると思う。一過性の、一曲で消えていくようなアーティストではない、本物のアーティストだってことがわかるよ。これからポップ界でも、R&B界でも、ローナはすごいことになるよ」



 一方のローナは、「彼は私のことを"若いホイットニー"と思っているみたい。でも私はカテゴライズされるのは嫌なの。もちろんホイットニーは素晴らしいわ。才能溢れているし、上品だし。でも私は誰かのまねのような音楽を作っているわけではないつもり。(レコーディングは)思ったより大変だったけど、いろんなことを学べていると思う。そしてパフォーマーとして、シンガーとしても成長したと思う。デビュー・アルバムの中には「タイム・ウィル・テル」っていう曲があって、これも私のお気に入りなの。アルバムの出来にはとても満足しているわ」と語る。



 このように急速に知識を得ているローナが、彼女だけの音楽を作り上げる持ち味とひねりを加え、熟練したプロのような器用さでその多様性と才能を見せつける証となるのがデビュー・シングル「サティスファイド」である。ファンキーなビートに文字どおり染み渡ったセンシュアルな自信が漲る同曲に加え、ゴスペル・フレイヴァーの「ルック・トゥ・ザ・スカイ」は、何層にも重ねられたストリングスとアコースティック・ギターが浮遊するようなミックスのライトなムードに、スウィートなイノセンスと儚さが漂う曲である。「ザ・ベスト・オブ・ミー」では、ローナが覆いを翻し、ハスキーなテナーを披露、焦燥感のあるエモーショナルな空気を徐々に作り出して見せる。一方では「アイ・ウィル」や「ファースト・タイム」のようなインスピレーショナルなバラードにおいて、ポップの大御所セリーヌ・ディオンやマライア・キャリーのお株を奪うパフォーマンスを見せつける。またフォリナーの大ヒット曲をカヴァーした「アイ・ウォント・トゥ・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」は一度聴いただけで、まるでこの曲が彼女のために作られたかのような気にさえさせられてしまう程である。



 「シンガーやパフォーマーとは、音楽に順応するものよ」とローナは言う。「もし音楽がもっとソフトでポップ寄りのサウンドを求めていると感じたら、“それ”を手に入れるのよ。もっと官能的で、底を突いてくるようなトーンを求められたら、“それ”を手に入れるの、だって音楽が内面から“それ”を引き出してくれるんだから。私は自分の音楽の中に、意識して“それ”を手に入れようとするのではなくて、音楽の方が私に必要とするものを探そうとしているだけなの。そうすることでクリエイティヴでいられるし、テンションを保つことができるし、同時に何よりもそのおかげで全てが楽しく、イノヴェイティヴでいられることができるのよ」



 2001年、ローナ(RHONA)は5月23日にシングル『Satisfied』で日本デビュー、6月20日にアルバムを発表する予定。R&B/ポップ・シーンへの進出を目論む彼女のパフォーマンスはメインストリーム全体のスタンダードを引き上げ、今後その分野の歌い手に望まれるアーティストのあり方やその水準自体を全く塗り替えてしまうこと必至であろう。



 両親を人生のロールモデルとするローナの人生哲学とは、”Life goes on – you can’t go back and change what’s already happened.”。その言葉通り、今までの経歴を吹き飛ばしてしまうような輝かしい未来に向かってローナは進む。